保険

エース損害保険事件(東京地方裁判所平成13年8月10日決定)

損害保険会社の営業職社員について,能力不足を理由として解雇された事例につき,リストラの一環として,不適切な部署に配置された結果,能力を十分に発揮することができず,かつ,上司から繰り返し些細な出来事を取り上げて侮辱的な言辞で非難され,退職を強要されていたこと等などの事情を認定して解雇を無効と判断した裁判例

1 判例のポイント

1.1 どのような場合に能力不足を理由として解雇が認められるか

それが単なる成績不良ではなく、企業経営や運営に現に支障・損害を生じ又は重大な損害を生じる恐れがあり、企業から排除しなければならない程度に至っていることを要し、かつ、その他、是正のため注意し反省を促したにもかかわらず、改善されないなど今後の改善の見込みもないこと、使用者の不当な人事により労働者の反発を招いたなどの労働者に宥恕すべき事情がないこと、配転や降格ができない企業事情があることなども考慮して濫用の有無を判断すべきである。

1.2 能力不足の解雇理由となりえる事実はあったか?

リストラの一環として,不適切な部署に配置された結果,能力を十分に発揮するについて当初から障害を抱え,且,会社に対し多大な不安や不信感を抱かざるを得なかったのであるから,この点において宥恕すべき事情があるとされ,それのみならず,支店長から繰り返し些細な出来事を取り上げて侮辱的な言辞で非難され,また退職を強要され恐怖心から落ち着いて仕事のできる状況ではなかったとし,このような事情下で生じた理由を捉えて解雇理由とすることは甚だしく不適切であり是認できないとされ,解雇は無効と判断した

1.3 リストラ計画の中で行われた能力不足解雇

本件は,解雇の前に,全社的なリストラが実施されており,解雇された労働者らが加入していた労働組合と散々揉めている事案であった。解雇された労働者に対しても,解雇前に退職勧奨が行われていた。つまり,解雇理由は能力不足であったが,実質的には人員削減目的の解雇であった。能力不足は形だけのものに過ぎない状況も判断に影響を与えていると思われる。

1.4 関連裁判例

  • フォード自動車(日本)事件(東京高裁昭59.3.30労働判例 437号41頁)
  • 持田製薬事件(東京地裁昭和62年8月24日決定 労働判例503号32頁)
  • セガ・エンタープライゼス事件(東京地裁平成11年10月15日決定)

1.5 参考記事

1.6 判決情報

  • 裁判官:多見谷寿郎
  • 掲載誌:労働判例820号74, 判例タイムズ1116号148頁

2判例の内容

2.1 事案の概要

X1は昭和48年に入社し,本件解雇当時は勤続27年の53歳,X2は昭和51年に入社し,勤続24年で当時50歳であった。会社は,平成11年7月頃,人員削減のために希望退職の募集,全社員の配置を異動させる制度の導入を決め,平成11年12月に,X1は熊本支店へ,X2は前橋支店に配転となった。平成13年3月14日に能力不足を理由に解雇された。

2.2 判断

争いのない事実等

(1)債務者

債務者は、損害保険業務を主たる目的とする株式会社で、平成一三年三月一日現在、役員を含む従業員は四一八名、役員を除く従業員数は四一〇名である。なお、平成一一年一二月当時の従業員数は約五八〇名であったから、一年余りの間に約三〇パーセントの人員削減が行われたことになる。
昭和六一年、債務者はアメリカに本社を置く丙野日本支社(後に「乙沢保険」に名称変更)と甲本日本支社が合併し、同じくアメリカに本社を置く「丁山保険会社」の日本支社となった。平成八年七月、丁山保険日本支社は「戊川保険株式会社」として法人登記され日本法人となっている。
平成一一年七月、バミューダに本社を置く丁谷が、債務者の全株式を買収してその一〇〇%子会社とし、同年一〇月一日付で債務者の名称を「戊野保険株式会社」と変更している。

(2)債権者

債権者らはいずれも債務者で働く従業員であり、全国の損害保険企業で働く労働者によって組織されている労働組合である全日本損害保険労働組合の丙林支部(以下「支部」という。)に所属する組合員である。

(ア) 債権者甲野の経歴
債権者甲野は、昭和二三年三月三一日生れの現在五三才である。昭和四六年三月、中央大学商学部を卒業し、昭和四八年一〇月一日、債務者の前身である「丙野日本支社」に従業員として採用され、期間の定めのない雇用契約が成立した。
その後、債権者甲野は、本件解雇に至るまで以下のとおり債務者の従業員として就労してきた。
一九七三・一〇・一~一九七五・九・一五 東京支店経理課
一九七五・九・一六~一九九二・六・三〇 日本支社経理部
一九九二・七・一~一九九四・一一・三〇 東京業務サービスセンター経理課
一九九四・一二・一~一九九六・六・三〇 日本本社代理店部研修課
一九九六・七・一~一九九八・一一・三〇 同部代理店課
一九九八・一二・一~一九九九・一・三一 東京中央支店業務サービス課
一九九九・二・一~一九九九・一一・三〇 同支店営業三課
一九九九・一二・一~二〇〇〇・八・三一 熊本支店営業課
二〇〇〇・八・三一 退職要求、自宅待機命令
二〇〇一・三・一四 解雇通知

(イ) 債権者乙山の経歴
債権者乙山は、昭和二五年一一月一日生れの現在五〇才である。昭和五一年三月に法政大学文学部を卒業し、同年四月一日付で、債務者の前身である「甲本保険会社」に従業員として採用され、期間の定めのない雇用契約が成立した。
その後、債権者乙山は本件解雇に至るまで以下のとおり従業員として就労してきた。
一九七六・四・一~一九八二・一・三一 本店傷害部
一九八二・二・一~一九八六・八・三一 本店営業部第三部
一九八六・九・一~一九八九・一二・三一 東京中央支店営業第二部
一九九〇・一・一~一九九四・一・三一 渋谷支店営業課
一九九四・二・一~一九九七・一一・三〇 本店営業部業務サービス課
一九九七・一二・一~一九九九・一一・三〇 本店営業部業務英文契約課
一九九九・一二・一~二〇〇〇・八・三一 前橋支店
二〇〇〇・八・三一 退職要求、自宅待機命令
二〇〇一・三・一四 解雇通知

(3) 本件解雇までの労使関係

(ア) 債務者は、平成一〇年八月、支部に対し、①それまでの年功を基本とする賃金制度を職務給を中心とする「グレード給」に変更すること、②臨時給与の支給額に債務者の業績及び従業員の個別査定を反映させることを主な内容とする「新人事制度」を提案した。支部は当初からこの提案に反対してきたが、この間の同年一二月、債務者は、アメリカの持ち株会社が丁谷に対して、日本における損害保険部門全ての営業譲渡を行うことを明らかにした。債務者は、支部に対して、この営業譲渡によって雇用契約や労働条件に変更はないと確約していた。しかし、翌一一年三月一日、債務者は、一方的に本部長など組合員資格のない管理職に対して、四月一日から新人事制度を導入する旨通知しこれを実行した。
(イ) さらに債務者は、平成一一年三月三〇日になって、「他社との競争力をつけるために事業費削減を進めるため」に人員削減や支店の統廃合を前提とした「中期経営計画」を支部に示した。支部はこれについて労使協議を尽くすことを求めた。そして、支部は、同年七月五日、債務者に対して、①債務者の買収にあっても、雇用と労働条件を維持すること、②新人事制度や中期経営計画の実施に際しては労使間で協議を経ることなどを申し入れた。
債務者はこれに対し、①中期経営計画について、組織変更に伴うものについては労使協議の場で説明する、②新人事制度に関する労使協議を再開し、合意ができれば組合員・非組合員を区別することなく同一の制度を適用するとの回答を寄せ、そこで支部は同月一二日債務者との間で「賃金に関する労使協定書」を締結した。〈編注・本誌では証拠の表示は一部を除き省略ないし割愛します〉
(ウ) しかるに、その三日後の同年七月一五日、丁谷会長・社長兼CEO(最高責任者)であるブライアン・デュペローが来日し、日本の部支店長会議の席上で、全世界の丁山グループで一五%の人員削減を行うこと、日本では全従業員の二五%に当たる一五〇人の人員削減を一二月までに実施するよう命じた。そこで、債務者は、従業員を五八〇名規模から四三〇名規模に削減することを目的として、希望退職を募集するとともに、「社内公募」と称して債務者が提示したそれまでの役職・資格ごとに指定されたグレードの四三〇名分のポジションに従業員自身が応募してポジションを争わせることとし、これに応募しない又は応募しても選ばれなかった者は退職してもらうこととし、八月中旬ころ支部に対してもその旨表明した。
(エ) 支部はこのような債務者の希望退職及び社内公募に対して、平成一一年八月三一日、中労委に斡旋の申請を行ったが、債務者は九月二日にこれを拒否した。債務者が中労委斡旋を拒否したことから、支部は同日債務者に対し、争議通告を行ったが、債務者は、同年九月八日、「至急・掲示、希望退職プログラム及び社内公募について」との書面を組合員に掲示した上、「募集要綱」及び「応募用紙」を社員に送付した。そして債務者は、同月一〇日から希望退職者の募集を実施した。さらに債務者は、同月二〇日、組合員資格がなく既に新人事制度による格付けがされている管理職に対して、社内公募を実施した。そして債務者は、同月二九日には、全従業員に対して「社内公募募集要項」を配布し、社内公募も実施した。
(オ) 支部はこのような債務者の行動に対し、東京都地方労働委員会に救済の申立を行った。その結果、平成一一年一一月一六日、地労委は、実効確保の措置申立に対し、争いを拡大せず、人員配置について労使が誠実に交渉することを要望した。また、支部は、同年一〇月二七日、「組合員には社内公募に応じる義務はないこと」「債務者は社内公募に応じないことを理由に、解雇、賃金・労働条件の切り下げなどの不利益な取扱いをしてはならない」との仮処分を東京地方裁判所に申し立てた(平成一一年(ヨ)二一二二二号、債権者二九七名)。これと平行して支部は、債務者と交渉を行っていたのであるが、平成一一年一一月一九日、債務者は上記仮処分の審尋やその前後の団体交渉を通じて、支部に対して「社内公募に応じる義務はない」「応募しないことを理由に直ちに不利益な取扱いをしない」「整理解雇には支部との協議が絶対条件である」との確認をするに至ったことなどから、支部は所期の目的を達成したとして、同年一二月七日に当該申立を取り下げた。
しかし、債務者は、このような法的措置にもかかわらず、第四次までの希望退職者募集を実施し、このような経過の中で同年一一月二九日までに一四九名の従業員が希望退職に応募した。
(カ) また、債務者は平成一一年一一月二九日、従業員の全員雇用を前提とする「社員配置図」を提示した。しかし、これには、一三もの空席があるにもかかわらず、今までなかった人事部付きユーティリティーセクションなるものを新設し八名を配置したこと、本人の意思や事情に反する遠隔地への配転などの問題点を含んだものであったことから、一二月二日までに一二名の組合員が苦情申立てをした。平成一二年七月一七日債務者と支部は、都労委において上記「社員配置図」に基づく従業員の配置について、ユーティリティーセクションに配置した九名を他の部署に正式配置すること、他の二名を他の赴任地に移動させること、債務者から支部に対し、希望退職及び社内公募実施の結果、社員の間に混乱を生じさせたことに遺憾の意を表明するなどした文書を交付することを内容とする和解をした。
(キ) 債務者は、さらに平成一二年九月六日には、労使協議において「早期退職者優遇制度」の実施を、また同年一〇月二三日には「第二次中期経営計画」を発表し、この第二次中期経営計画を実施するにあたっては、営業支店の人員配置を社内公募で決定するとした。
そして、同年一一月一日から一五日までと同年一二月二〇日から二五日までの間に早期退職者募集を行い、合計三六名(追加募集に対するものを含む。内組合員二四名)がこれに応募した。

(4) 本件解雇に至る経過

(ア) 債権者らの支店への配置転換
前記(3)(カ)の際、債権者甲野は、平成一一年一二月一日付けで熊本支店営業課へ、債権者乙山は同日付けで前橋支店に営業職として配置された(以下「本件配転」という。)が、いずれも苦情申立てはしなかった。
(イ) 退職勧奨及び自宅待機命令
平成一二年八月三一日債務者は債権者両名に対し九月一四日までに自主退職することを勧告し、退職しない場合は就業規則第五三条一項三号(通知書は誤記)すなわち「労働能力が著しく低く債務者の事務能率上支障があると認められたとき」に該当するとして同条によって解雇する旨の通知をした。また、同日付自宅待機命令以降二週間毎の自宅待機命令を一三回繰り返し、債権者らを九月一日から翌一三年三月一六日まで自宅待機とし、この間、両名に対しては職場に立ち入ることを禁じた。
(ウ) 支部は、平成一二年九月六日の団体交渉から、債務者との間で、債権者両名に対する退職勧奨についての協議を開始した。これに対し債務者は、就業規則第五三条を適用するか否かは最後の判断であるとして、それまでは組合と協議することを約束した。
そして、これに基づいて支部・債務者間では両名の解雇問題について協議が重ねられたが、債務者は平成一二年一一月二二日の労使協議会及び同月三〇日の団体交渉の席上、両名が自主的に退職する意思がないとして、解雇措置を進めたいとの意向を示した。そして、支部・債務者間では債務者が指摘する両名の個別的な事情が解雇事由に該当するか否かについて
① 同年一二月一三日付の「甲野太郎社員の解雇事由について」「乙山松夫社員の解雇事由について」と題する債務者側書面
② ①に対する支部の「反論書」
③ 反論書に対する債務者側書面
④ ③に対する支部の「再反論書」
がやり取りされた。また、この間本件解雇に関し合計四回の労使協議会が開催された。

(5) 本件解雇

債務者は平成一三年三月一四日、債権者両名を債務者本社に出頭させた上、「就業規則第五三条一項三号により、平成一三年三月一四日をもって貴殿を解雇します。」と記載された解雇通知を交付して債権者らをいずれも解雇する旨の意思表示をなした。なお、債務者は同時に、債権者らに対しそれぞれ「解雇事由について」と題する書面(別紙一及び二)を交付し、その解雇理由を示した。

(6) 債権者らの賃金

(ア) 債権者甲野の月例給与
債権者甲野の月例給与は、七八三、六三五円で毎月末日締め、同月二五日に支払われる。
(イ) 債権者乙山の月例給与
債権者乙山の月例給与は、六五四、六七七円で毎月末日締め、同月二五日に支払われる。
(ウ) 債権者らの平成一三年(平成一三年四月一日から平成一四年三月三一日まで)分の臨給は「二〇〇一年度賃金に関する協定書」によって確定した。これによれば、平成一三年六月一〇日及び一二月一〇日に、債権者甲野には各金二〇四万七一四〇円が、債権者乙山には各金一八四万九二四七円が支払われるはずであった。

当裁判所の判断

(1)能力不足を理由に解雇できる場合

就業規則上の普通解雇事由がある場合でも、使用者は常に解雇しうるものではなく、当該具体的な事情の下において、解雇に処することが著しく不合理であり、社会通念上相当として是認できない場合は、当該解雇の意思表示は権利の濫用として無効となる。特に、長期雇用システム下で定年まで勤務を続けていくことを前提として長期にわたり勤続してきた正規従業員を勤務成績・勤務態度の不良を理由として解雇する場合は、労働者に不利益が大きいこと、それまで長期間勤務を継続してきたという実績に照らして、それが単なる成績不良ではなく、企業経営や運営に現に支障・損害を生じ又は重大な損害を生じる恐れがあり、企業から排除しなければならない程度に至っていることを要し、かつ、その他、是正のため注意し反省を促したにもかかわらず、改善されないなど今後の改善の見込みもないこと、使用者の不当な人事により労働者の反発を招いたなどの労働者に宥恕すべき事情がないこと、配転や降格ができない企業事情があることなども考慮して濫用の有無を判断すべきである
なお、債務者には、作業効率が低いにもかかわらず高給である債権者らの存在が債務者の活性化を阻害し、あるいは業績が低いのに報酬が高いこと自体が債務者に損害を与えているから、債権者らを債務者から排除しなければならないという判断が存するようである(別紙一及び二の第一)が、仮に債権者らがその作業効率等が低いにもかかわらず高給であるとしても、債権者らとの合意により給与を引下げるとか、合理的な給与体系を導入することによってその是正を図るというなら格別、自ら高給を支給してきた債務者が債権者らに対しその作業効率が低い割に給料を上げすぎたという理由で解雇することは、他国のことはいざ知らず、我が国においては許容されないものというべきである。

(2) 解雇事由へ該当する事実の有無

そこで、まず、《証拠略》に基づき、解雇権濫用の判断に必要な範囲で債務者主張の解雇事由を見るに、個々の事由自体は重大なものではなく、丁谷による買収及びその後の合理化策がなければ債権者らが解雇されるような事態とはならなかったであろうこと、作業効率が低いにもかかわらず高給である債権者らの存在が債務者の活性化を阻害するという判断が解雇の真の理由であることが窺える(特に、債務者の主張、提出にかかる陳述書、並びに「解雇事由について」と題する書面(別紙一及び二))。
そして、まず、債権者甲野についてみると、処理の遅れなど些細なこととまではいえなくても、ともすればありがちなことであり、かつそれによって債務者に現実の損害を生じたとの疎明はない。また、電話の応対、業務知識の点などはそもそも具体性にも欠ける。
また、債権者乙山については、「解雇事由について」(別紙二)の各論の冒頭に指摘されているパンフレットにアクセスインシュランス代理店ではなく前橋支店の名前が印刷されてしまったことについては、債務者の主張のとおり同代理店が債権者乙山に詳しく指示したにもかかわらず同債権者が前橋支店の記載をしてしまったなどの経過によるとすれば無視できない事態であるが、債権者乙山はこれを否定する陳述をしているところ、同債権者が記載したことに争いのない乙四〇の1(「発注書」)と誤って前橋支店の名前が記載された同2(「大学・短大生総合保険保証制度のご案内」)とは「橋」の筆跡が明らかに異なり、同2は別人が記入したものであることは疑いがない。また、前記警告書には、「解雇事由について」(別紙二)でも取り上げていない代理店宛に手書きで振込用紙の変更を伝えた文書について、誰が見ても常識を疑うとまで記載しているにもかかわらず、債務者としては過誤の内容も結果も重大であるはずのこの点の記載が見当たらない。これらの点からすると、この点に関する債権者乙山の供述は信用でき、これに反する丙川の陳述書は虚偽の内容を記載したものといわざるを得ず、そして、このように最も重大な事実について虚偽がある以上その他の記載についても採用することができない。したがって、債権者乙山が自認する以外の解雇事由は疎明がなく、そうであれば債権者乙山についてもさして重大なものはない。

(3) 解雇権濫用に関するその他事実関係

次に、解雇権濫用にかかわるその余の事実について見るに、前記第二の一の争いのない事実等、《証拠略》によれば以下の各事実が疎明される。
(ア) 債権者らは、債務者に入社後、本件配転まではその勤務成績や勤務態度に特段の問題はなかった。
(イ) 平成一一年末の希望退職者募集と社内公募は、四か月ほどの短期間に、従業員五八〇人の規模で稼働していた債務者を四三〇人規模に減らすと同時に、基本的に全社員の配置を異動させるというものである上に、債権者らを含む組合員ら二七九名は、社内公募に応じなかったため、これに応じた一四五名がほぼ希望のとおりのポストを得た後の残りのポストに配置されることになった。さらには、社内公募の選考決定は最終が一一月一二日であり、その後一一月二九日までに二七九名の配置が決定された。その結果、部署・支店のほとんど全ての社員が入れ替わることも珍しくなかった。とりわけ、地方の各支店ではどこも従来の三分の二から半分くらいの人数で営業を行うことになった。また支店長や管理職の大幅な入れ替えもあって、業務引継ぎの不徹底、地域の顧客・代理店に関する情報不足を招いた。そのような状況のため職場が混乱し、その結果、配置された従業員は長時間労働しなければならなかった。また、債務者は、平成一二年にもさらに希望退職者募集等を行い、これらによって合計二〇〇名近い従業員が債務者から去り、これらによって支店の業務にかなりの混乱や支障が生じている。
(ウ) 債権者甲野は勤続二七年であるが、本件配転以前の支店営業勤務は東京中央支店に一〇か月のみである。債権者甲野が結果として配転された熊本支店では、この人事異動によって、熊本支店経験者一人のみを残して他の従業員はその他の支店へ配置換えになった。丁原支店長も債権者甲野とほぼ同時期に異動してきた。したがって、十分な研修や教育はもちろん当該営業店が担当する各代理店の性格や具体的な業務の特徴を教えてもらえる状態ではなかった。
また、債権者甲野は赴任当時、約二二の保険代理店(売り上げ合計約三億六千万円)を担当として割り当てられたが、その中には架空の団体を作り、お互いに何の関係もない顧客をその団体の構成員として加入させ、時期の経過とともに、その保険料を着服してしまうという不祥事案である「ひのくにプラン代理店」も含まれていた。その後始末を戊田課長と組んで担当させられ、課長からは顧客からの苦情処理の窓口となるように命じられた。また、その保険契約の継続のために不祥事を起こした代理店の預金口座から残額を引き出すことを命ぜられ、また適当に解除されてしまった契約の復活等の事務処理等をおこなった。また、他の社員が担当をいやがる、手間のかかる、事務処理能力が低く自立できない保険代理店などを担当として割り振られた。
しかも、同支店長は、債権者甲野に対し、侮辱的な言辞を用いて非難し人格を著しく傷つけ、退職を強要する言動を繰り返した。
たとえば、平成一二年六月六日午前九時五六分から、
「もう少し工夫すればできるやろ。何年やってるんだ。いつまでたってもオマエなア。」
「勉強する勉強すると、学校やナインやど。オマエ何考えとんだ。……オマエ、キチガイかホンマ。……いつできるんだ、オマエ死ぬまで、できません、いうんか。」
「少なくともオマエの業務知識を彼ら並にセンかえ。人が教えてくれるのか。死ぬまで、会社辞めるまでこれ続くぞ、オイ。」
「いつまで待ちゃいいんだ。がんばりきれんのか。……馬鹿じゃネエかオマエ。」
「バカヤロー、オメエ、今まで何回ためてんじゃ。」
「何、ヘナチョコ、いっとんだ。……」
「辞めません。辞めたくない。ナア、それじゃ給料泥棒もいいところじゃネエ。泥棒じゃネエ、盗人じゃネエ、エ。……」と、
平成一二年六月九日午前九時四一分から、
「乙沢保険ではないし、丁山でもないし、戊野なんだから、……変わっている、状況が変わっている、環境が変わっている。だけどそこにいる甲野という個人がまったく変わっていない。……」
「後で本社に……どうすんだオマエ。人事部の人がさ、オマエこん中、入りなさい。新聞だけ読んでなさい。毎日こんな責め方されたら、あんた気狂っちゃうぞ、オマエ。」
「組織の都合にはまんなきゃ、オマエ、もう辞めてもらうしかないやろ。皆それぞれ事情をもって、自分を犠牲にして、ちょっとは無理をしてるわけよ。オマエ全然無理をせんのか。」
「ヤメロ、会社を、オマエいらん。迷惑かけてまで。どういう親や、顔も見たくない、オレ、顔も見たくネエ、辞表を持ってこい、辞表を。」
「……会社の都合を考えていないだろう。そんな考えだったら、イランちゅうの、辞めてくれや、ていうの。オマエに払っている給料で二人雇えるんだからな。明日から会社にこんでもエエデ……」と言っている。
その他、書面による指導はともかく、日常的に行われる口頭での同支店長の注意や指導は不適切なものであった。
(エ) 債権者乙山は勤続二四年で、本件配転以前には都心での営業勤務の経験はあるが、地方支店は初めての経験であり、しかも、地方では自動車を運転して営業をすることが不可欠であるが、同債権者は自動車免許を有しなかった。また、前橋支店は従来正社員五名と派遣社員一名で運営されていたが、正社員二名と派遣社員一名の体制になり、しかも正社員は全員転任した。そのため平成一〇年七月債務者においてリストラを推進するために入社し通常の二倍くらいの人員削減をする必要を感じていた債務者人事部長取締役甲田花子(以下「甲田取締役」という。)ですら懸念を抱く状況であった。また、丙川支店長は新任の支店長であった。そのため、十分な引継ぎがなされず支店の状況等が把握できなかった。債権者乙山は、「教育プラン」保険の取り扱いは全く初めての業務であったが、これについて全く研修等は行われていない。また、支店長は多忙なため債権者乙山に対し、適切な指導等がなされなかった。他方、債権者乙山は平成一一年八月五日にTOEIC(国際コミュニケーション英語能力テスト)を受験したところ七八五点(平均四五一点)を取っており、相当程度の英語力を有する。
(オ) 甲田取締役は、各支店から増員要請があったことからその原因を調査したのがきっかけか、さらなるリストラの目的に基づいて当初から意図的に行ったものかはともかくとして、平成一二年二月ころの時点では既に債権者らを含む五名の社員を業績や業務効率が低い社員(ローパフォーマー又はプアパフォーマー)と認識し、その配属先の丁原熊本支店長、丙川前橋支店長、乙野千葉支店長、丙山新潟支店長らに対し、その勤務状況について具体的かつ詳細にリストアップしたレポートを出すよう指示し、さらに四名の従業員に対して「警告書」を出すように指示した。この指示に基づいて、同年二月、上記各支店長は甲田取締役に対してレポートを提出し、丙川前橋支店長は債権者乙山について、同年二月二四日付けでレポートを提出した。また、同年三月六日付けで丁原熊本支店長は上記甲田取締役の指示に従い、債権者甲野に対して「改善項目」等を記載した警告書を交付し、同月七日付けで丙川前橋支店長は、同じく甲田取締役の指示に基づいて、債権者甲野に対するものとほとんどまったくおなじ体裁の書面を交付した。同年五月一六日、甲田取締役は、乙田二郎弁護士に「労働能率が著しく低く、債務者の事務能率上支障があると認められた社員」を退職勧奨する方法を相談し、種々のアドバイスを受けた。甲田取締役はこれに基づいて、債権者甲野、債権者乙山ら四名を対象として、丁原熊本支店長、丙川前橋支店長、乙野千葉支店長、丙山新潟支店長の四名に対して「問題社員の対処について」と題する書面で、上記経過及び今月末を目指して債権者らを現在のポジションからはずすつもりであること、一日も早く各支店に新たな人材を配置できるようにすべきであることを述べるとともに、誰が読んでもいかにして本人が債務者の事務能率上支障を来しているか理解できるようなレポートを作成提出することなどを事細かに指示した。すなわち、債務者は、この時点で既に債権者らを債務者から排除した上で、契約社員等を配置することを決定していたものである。
(カ) また、債権者甲野は、同年七月一四日、丁原支店長に対して「入社以来内務業務に携わる期間が長く、平成一一年一二月に、ここ熊本支店に着任以来半年強、今日まで経験の浅い営業職をカバーしようと、毎日午後九時ないし一〇時に及ぶ残業と休日出勤をして私なりに、精一杯の努力をしてきましたが、単身赴任により慣れない独り暮らしに加え、前述した勤務状態により、既に身体的精神的にも限界にきております。また東京に残された私の家族も年老いた病親の介護のために厳しい生活を余儀なくされております。従って家族のもとで働ける場所への異動をお願いする次第です。」との配転願いを出した。同月二八日付けで債権者乙山も丙川支店長宛に「私のスキル及び関心のある英文契約関係部署で今後力を伸ばしたく働きたい所存ですので転部願い申し上げます」との転部願いを提出した。しかし、債務者は、三月の時点で既に債権者らがローパフォーマーであり、他に配置転換することも相当ではないと判断しており、各支店長をはじめとして債務者はこれに何の応答もしなかった。
以上の事実が疎明される。
これに対し、債務者は充分に改善指導をしたが、平成一二年八月に至っても改善されなかったので、その時点で改善見込みはないと判断した、その間に退職するように言ったことはないとの内容の陳述書を提出するが、前記(オ)のとおり債務者は三月の時点で既に債権者らがローパフォーマーであり、他に配置転換することも相当ではないと判断しており、五月の時点では債権者らを早急に退職させることを決定し実行に移しつつあったことが明らかであり、信用できない。

(4) 解雇権濫用の成否

まず、本件配転は、リストラの一環として全社員の配置を一旦白紙にして配置し直すという目的で短時間で実行されたもので、本人の希望や個々具体的な業務の必要を考慮したものではなく、かつ結果としても債権者らにとって適切な配置ではなかった。なお、甲田取締役は、この点に関し、債権者らを各支店に配置した積極的な理由は述べないものの、他に受け入れ先がなかったと述べるが、他に受け入れ先がなかったから不適切な配置をしたということを正当化する根拠は社内公募制しかなく、そのことは前記第二の一(3)(オ)の「社内公募に応じる義務はない」「応募しないことを理由に直ちに不利益な取扱いをしない」の確認事項に反し、これによって不適切な配置をしたことを正当化することはできない。そして、このような債務者の一方的な合理化策の結果、不適切な部署に配置された債権者らは、そのため能力を充分に発揮するについて当初から障害を抱え、かつ債務者に対し多大な不安や不信感を抱かざるを得なかったのであるから、この点において既に労働者に宥恕すべき事情が存する。しかも、それだけではなく、そのような中でさらに、債権者甲野については、支店長から繰り返し些細な出来事を取り上げて侮辱的な言辞で非難され、また退職を強要され、恐怖感から落ち着いて仕事のできる状況ではなかったのであるから、このような状況下で生じたことを捉えて解雇事由とすることは甚だしく不適切で是認できない債権者乙山についても、人員を実質半分以下とし、正社員は二名とも配置換えされ、甲田取締役すら不安をもった状況で、あえて上記のとおり不適切な配置をするなどしたのであるから、その中で生じた過誤等はむしろ債務者の人事の不適切に起因するものというべきで、債権者乙山の責任のみに帰することは相当ではない。さらには、債務者は当初から債権者らを他の適切な部署に配置する意思はなく、また、研修や適切な指導を行うことなく、早い段階から組織から排除することを意図して、任意に退職しなければ解雇するとして退職を迫りつつ長期にわたり自宅待機とした。以上の点に債務者が解雇事由と主張する事実がさして重大なものではないことを考え併せると、仮に、これが解雇事由に該当するとしても、本件解雇は解雇権の濫用として無効である。したがって、債権者らが債務者に対し、前記第二の一(6)のとおり平成一三年三月一四日分以降の賃金請求権を有することが疎明される。

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