ビーダッシュ事件(東京地方裁判所平成30年5月30日判決)

雇用契約の途中で固定残業代制度を導入することとし,社労士による社員説明会を開催し,雇用契約書に署名・捺印を得たが,そもそも固定残業代制度の導入は雇用条件の不利益変更に該当し,社員の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在したとはいえないとして,固定残業代制度に関する同意が無効となると判断された例

1 事案の概要

原告は、平成24年8月14日、インターネット関連の広告代理業等を目的とする株式会社である被告との間で、無期雇用契約を締結した。
基本給は、契約締結時は40万円とされ、その後45万円に昇給し、遅くとも平成25年12月には50万円となった。なお、基本給という名称ではあるが、被告はこれに一定の残業代が含まれていたことを雇用契約の当初より説明し労働者の了解を得ていたと主張している。
平成26年1月31日、被告は、社労士のアドバイスを受けて基本給を39万円、固定残業代を約13万円とする固定残業代制度として制度を明確化することとし、就業規則等を変更の上で労基署に提出した。同年4月分の給与の支払から、原告を含む被告の従業員に対し同固定残業制度が適用され、時間外割増賃金40時間分と深夜割増賃金10時間分が固定残業代をもって充当されることとなった。
原告は、同社を平成27年12月31日に退職した。

2 ビーダッシュ事件判例のポイント

2.1 結論

そもそも雇用契約書等の明確な証拠が存在せず,雇用契約の当初より基本給に残業代が含まれていたとは言えない。よって,雇用契約の途中から従来の基本給額を減少させ,減少分を固定時間外手当と固定深夜手当に割り振る形で固定残業代制度の導入することは,労働条件の不利益変更に該当する。

そして,社労士による説明会や雇用契約書の新たな締結などが行われているものの,固定残業代制度の導入による不利益(固定残業代制度の導入によって基本給が減少すること,従前残業代が払われていなかったことなど)の実質的な説明がなされておらず,社員の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在したとはいえない

よって,固定残業代制度の導入は無効であり,従来の基本給をベースに残業代が発生する。

2.2 理由

1 基本給に割増賃金は含まれていたか(就業規則変更前の固定残業代制度の有効性)

原告も雇用契約締結当初に年俸制である旨の説明を受けたことは認めるが、割増賃金が含まれる説明があったことは明確に否定している。そして、契約締結時に交付された雇用通知書には「基本給400,000円(月額)」との記載しかなく、そのうち割増賃金に相当する額又は時間外労働として想定されている時間数はもちろん、割増賃金が含まれていることすら記載されていない。
また、原告の職種の平均年収が約400万円から530万円であること、将来に期待できる人材として採用したもので通常より賃金水準も高いと解されることからすれば、むしろ原告の年俸40万円×12=480万円は割増賃金を含まないと解した方が自然である。
さらに、被告代表者自身、固定残業代は何時間分の残業を想定しているのかを意識していなかったということから、差額が生じた際にその精算をする合意内容となっていたとも認められない。
なお、被告主張の説明内容では、固定残業代制度に同意したと評価することはできない。
以上より、既払分を認めることはできない。

2 就業規則変更の有効性

「使用者が提示した労働条件の変更が賃金に関するものである場合には,当該変更を受入れる旨の労働者の行為があるとしても,労働者が使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれており,自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力にも限界があることに照らせば,当該行為をもって直ちに労働者の同意があったものとみるのは相当でなく,当該変更に対する労働者の同意の有無についての判断は慎重になされるべきである。そうすると,賃金に関する労働条件の不利益変更にかかる労働者の同意の有無については,当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度,労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様,当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして,当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも判断されるのが相当である。」

原告は「上記年俸制の基本給を基本給と固定時間外勤務手当に分けて支給することなど本件固定残業制度の内容については,一応説明を受け,理解することができたということができる」。また,原告が署名捺印した新しい雇用契約書の真正に成立したといえる。

しかし,就業規則変更により基本給は11万円の減額となるから、その不利益は大きい。そして、「本件固定残業制度採用前の本件雇用契約において,年俸制の基本給の中に割増賃金が含まれていたと認めることはできず,全てが基本給であるから,従前の賃金体系において,時間外労働を行った場合には,当該基本給に応じた割増賃金が支払われるべきであったが,被告から原告に対し,割増賃金は支払われることはなかった(弁論の全趣旨)。そうであるにも関わらず,本件説明会においては,漠然と従前の賃金体系又は割増賃金が支払われていないことが違法である可能性があることの説明がされた(上記1⑶ウ(ア))のみであって,本来的には当該基本給に応じた割増賃金が支払われるはずであったことなどについて原告に対し,明確に説明がされたとはいえない。
そして,C社労士及び被告代表者は,原告に対し,本件固定残業制度の採用に伴う基本給の減少が形式的なものにとどまる,総額としては支給される額は変わらないとも説明している(上記1⑶ウ(ウ),⑸イ)が,原告の新賃金体系と従前の賃金体系を比較すれば,正に割増賃金の基礎となる基本給が減少するのであり,基本給の減少は,形式的なものにとどまるものではない。その上,原告の新賃金体系においては,基本給(引いては発生する割増賃金の額)が減少するのみならず,発生した割増賃金についても,固定時間外勤務手当分は既払となるのであるから,総額として支給額が減少することがないという説明も誤っているといわざるを得ない(従前は支払われるべき割増賃金が支給されていなかったことから,支給総額が給与明細上抑えられていたに過ぎず,この違法な支給状態と原告の新賃金体系の下で支給される賃金の額に差がなかったとしても,原告に不利益がないということはできない。)。
そうすると,C社労士及び個別の面談における被告代表者の説明は,従前の制度に関する誤った理解を前提としたものであり,原告に対し,原告の新賃金体系が適用されることによって,原告が受ける不利益の程度について正確かつ十分な情報を提供するものとはいえない」。
そうすると,「原告が本件雇用契約書に押印し(上記(ア)),本件固定残業制度の内容の説明を受け,従業員代表として被告の就業規則に意見を述べたこと(上記(ウ))が認められるとしても,原告の新賃金体系への変更は,上記アで検討したとおり,原告に著しい不利益をもたらすものであるところ,上記(エ)で検討したとおり,被告の原告に対する説明内容は不正確かつ不十分なものであったことから,原告が本件雇用契約書に押印したとしても,これが原告の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在したとはいえず,原告による有効な同意があったとは認められない。」

3 ビーダッシュ大学事件の関連情報

3.1判決情報

裁判官:大野 眞穗子

掲載誌:労働経済判例速報2360号21頁

3.2 関連裁判例

山梨県民信用組合事件(最二小判平成28年2月19日 労判1136号6頁)…不利益変更の同意の要件

ワークフロンティア事件(東京地判平24.9.4 労判1063号65頁 裁判官 早田尚貴)…雇用途中の同意有効

今井建設ほか事件(大阪高判平28.4.15 労働判例1145号82頁)…同意無効

サンフリード事件(長崎地判平29.9.14 労働判例1173号51頁)…同意無効

マーケティングインフォメーションコミュニティ事件 (東京高裁平26.11.26労働判例 1110号 46頁)…基本給の減額を伴う固定残業代制度の同意無効

プロポライフ事件(東京地判平成27年3月13日 労判1146号85頁)…基本給の減額を伴う固定残業代制度の同意無効

3.3 参考記事

固定残業代の有効要件について

3-4 吉村コメント(社労士の損害賠償責任)

この事件は,社労士の助言を得て固定残業代制度を導入したところ,結果的に,固定残業代制度が無効となっています。この事案において,社労士は,会社に対して損害賠償責任を負うのでしょうか?

固定残業代制導入の有効要件については最高裁判例でズバリの内容のものはありませんし,雇用契約の途中から固定残業代制度を導入する合意が有効となる裁判例もあります。よって,事後的に固定残業代制度が無効となっても,社労士の善管注意義務違反はないと考えられます。

ただ,会社(社長)によっては「社労士に裏切られた。大丈夫って言っていたのに!(`Д´)」などと怒って責任追及する人もいるかもしれません。よって,社労士の先生はお気を付けくださいませ。

具体的には,顧問契約書において免責事項を明記する(法令解釈が確立していない事項については,事前にリスクの説明をし,クライアントにて最終決断した事項については免責する等)や事前に固定残業代制度が無効となるリスク説明する(録音,書面など形に残す)などを対応をした方がよいでしょう。

主文

1 被告は,原告に対し316万1437円及びうち300万7857円に対する平成28年1月11日から支払済みまで年14.6%の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告に対し149万9090円及びこれに対する本判決確定の日の翌日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
3 原告のその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用はこれを5分し,その2を原告の負担とし,その余は被告の負担とする。
5 この判決は,1項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1 請求

1 被告は,原告に対し,514万4748円及びうち490万2018円に対する平成28年1月11日から支払済みまで年14.6%の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告に対し,50万円及びこれに対する平成28年1月1日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
3 被告は,原告に対し,467万4606円及びこれに対する本判決確定の日の翌日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。

第2 事案の概要等

1 事案の概要

本件は,インターネットに関連する広告代理業等を目的とする株式会社である被告と無期雇用契約を締結していた原告が,被告に対し,①未払割増賃金及びこれに対する各支払日から退職後の最後の約定賃金支払日である平成28年1月10日まで商事法定利率年6%の割合による遅延損害金,及び翌11日以降支払済みまで賃金の支払の確保等に関する法律第6条第1項及び賃金の支払の確保等に関する法律施行令第1条の規定による年14.6%(以下「賃確法令所定利率」という。)の割合による遅延利息の支払(第1の1の請求)及び②原告が被告に在職中,被告の代表者の言動等によって精神的苦痛を被ったとし,不法行為に基づく損害賠償請求として,慰謝料50万円及びこれに対する退職した日の翌日である平成28年1月1日から支払済みまで民法所定の年5%の割合による遅延損害金の支払(第1の2の請求)を求めるとともに,③労働基準法(以下「労基法」という。)第114条に基づく付加金及びこれに対する本判決確定の日の翌日から支払済みまで民法所定の年5%の割合による遅延損害金の支払(第1の3の請求)を求める事案である。

2 争いのない事実等

⑴ 当事者

ア 被告は,インターネットに関連する広告代理業等を目的とする株式会社であり,Webの制作及びコンサルティング,パンフレット,カタログ及び営業ツールの制作,課題解決型プロモーションの企画及び制作等の事業を行っている(甲1,2)。
イ 原告は,平成24年8月14日,被告との間で,期間の定めのない雇用契約(以下「本件雇用契約」という。)を締結し,平成27年12月31日に退職した。

⑵ 本件雇用契約の内容

被告は,本件雇用契約締結に当たり,原告に対し,雇用通知書(甲3)(以下「本件雇用通知書」という。)を交付しており、当初の本件雇用契約の内容は,以下のとおりである。
ア 賃金等
基本給 月額40万円(当該賃金に,割増賃金が含まれるか否かについては,当事者間に争いがある。)
通勤手当 実費として月額3万3690円
イ 支給日
毎月末日締め翌月10日支給
ウ 所定労働時間
午前10時から午後7時まで
(休憩は1時間であるところ,業務の進捗状況などにより,勤務時間内の適宜な時間に休憩をとることとされており,休憩のタイミング,何回に分けてとるかということは,決められていなかった。)
エ 所定休日等
土曜,日曜,国民の祝日,年末年始休暇及び夏期休暇
平成26年の所定休日は126日,平成27年の所定休日は127日であり,一年間における一月の平均所定労働時間(小数第3位以下切上げ)は,平成26年においては159.334時間,平成27年においては158.667時間である。
オ 就業の場所
被告本社・事務所(以下,単に「被告の事務所」という。なお,被告の事務所は,本件雇用契約期間中に移転している。)

⑶ 原告の昇給

原告の基本給は,本件雇用契約締結後,月額45万円となり,遅くとも平成25年12月には月額50万円となった(上記各金額に,割増賃金が含まれるか否かについては,当事者間に争いがある。)。

⑷ 固定残業制度の採用等(乙2,3)

ア 被告は,本件雇用契約を締結した後,固定残業制度を採用することとし,平成26年1月31日に,渋谷労働基準監督署に就業規則及びこれに付属する給与規程等を提出した(以下,被告が採用した固定残業制度を,「本件固定残業制度」,被告の就業規則を「本件就業規則」,給与規程を「本件給与規程」という。)。なお,被告の従業員に対し,本件固定残業制度が適用されたのは,同年4月分の給与の支払からであった。
イ 本件固定残業制度に関し,本件就業規則及び本件給与規程には,以下の定めがある。
(ア)本件就業規則
「(給与)
第62条 社員の給与については,「給与規程」の定めるところによる。」
(イ)本件給与規程
「(給与の構成)
第3条 給与は,基準内給与と基準外給与とに分け,その構成は次のとおりとする。
(中略)
⑵ 基準外給与 固定時間外勤務手当
(後略)」
「(固定時間外勤務手当)
第13条 社員が就業規則第37条(労働時間および休憩時間)に定める所定労働時間を超えて早出・残業した場合を想定し,1カ月当たり時間外勤務40時間相当分および深夜勤務10時間相当分を固定時間外勤務手当として支給する。」

3 争点及びこれに対する当事者の主張

本件の争点は,①本件固定残業制度採用前の本件雇用契約の内容(基本給に割増賃金が含まれるか。)(争点1)②本件固定残業制度採用後の本件雇用契約の内容(争点2),③原告の時間外・深夜労働の有無及びその時間(争点3),④付加金支払の要否及びその額(争点4),及び⑤被告代表者の言動による不法行為の成否(争点5)である。

⑴ 争点1(本件固定残業制度採用前の本件雇用契約の内容(基本給に割増賃金が含まれるか。))に関する当事者の主張

ア 原告の主張
原告は本件雇用契約の締結時に,基本給に割増賃金が含まれる旨の説明を受けたことはなく,本件雇用通知書上も給与明細上も基本給のうち,通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外労働の割増賃金に当たる部分を判別することができなかったのであるから,本件固定残業制度採用前の本件雇用契約の基本給に割増賃金が含まれるとの被告の主張は争う。
イ 被告の主張
被告は,本件雇用契約締結時から,原告に対し,基本給に割増賃金が含まれていることについて,説明をし,原告の同意を得ていたし,他の従業員も同様の運用であった。したがって,本件固定残業制度採用前の原告の基本給50万円には,一定の割増賃金が含まれていた。

⑵ 争点2(本件固定残業制度採用後の本件雇用契約の内容)に関する当事者の主張

ア 被告の主張
(ア)被告は,上記⑴イの被告の主張のとおり,当初から基本給に割増賃金を含む運用を採っていたが,C社会保険労務士(以下「C社労士」という。)から,このような定め方は,固定残業制度の定め方として問題がある旨の指摘があったため,本件就業規則及び本件給与規程を整備し,平成26年4月以降,固定時間外勤務手当を明示することにした。
その際,原告については,雇用契約書(乙9。以下「本件雇用契約書」という。)のとおり,39万円を基本給とし,12万1875円の固定時間外勤務手当を支払うこととした。これは,上記の運用を明確化するもので,基本給,固定時間外勤務手当に関する雇用条件を変更したものではない。
仮に,本件固定残業制度採用前の運用が固定残業制度の定めとして有効でなく,本件固定残業制度採用前の本件雇用契約における基本給が50万円であったのであれば,上記のとおり,原告に対し新たな雇用契約の内容の説明をし,原告が本件雇用契約書に押印したことによって,基本給を39万円,固定時間勤務外手当を12万1875円,固定深夜手当を6094円,配偶者手当を1万円,子供手当を5000円及び通勤手当を2万円支払う旨の雇用条件の変更の合意が成立した。
被告は,上記雇用条件の変更に当たり,平成26年1月27日にC社労士から被告の従業員に対し,本件就業規則等の説明を行う説明会(以下「本件説明会」という。)を開催した。本件説明会において,C社労士は,従業員に対し,①従前,基本給に割増賃金も含まれており,これについて各従業員に説明をしていること,②これまで割増賃金という名目での支給はなかったこと,③従前の取扱いは労基法等に照らし,問題があること,④今後は固定残業制度を採用すること,⑤総支給額は減少しないこと等を説明した。
原告は,この説明を聞いた上,従業員代表として就業規則について特に意見はない旨意見を表明し,被告代表者から個別に本件雇用契約書の内容等について改めて説明を受けた後に,本件雇用契約書を作成したのであるから,原告は,自由な意思に基づいて本件雇用契約の賃金を変更する同意をしたといえる。
したがって,原告の基本給は本件固定残業制度採用前から39万円であったし,仮に本件固定残業制度採用前の基本給が50万円であったとしても,本件雇用契約書の作成の頃,基本給を39万円とする合意が成立した。
(イ)本件で問題となるのは,基本給39万円を前提とした固定残業制度の有効性であって,基本給50万円を前提とした固定残業制度を観念することはできないから,仮に本件固定残業制度採用後の基本給が39万円であると認定された場合,原告は,基本給50万円を前提として,固定残業代を請求することはできない。
イ 原告の主張
(ア)被告が,平成26年4月に,本件就業規則及び本件給与規程を制定し,被告の従業員について,1か月あたりの時間外勤務40時間相当分及び深夜勤務10時間相当分を固定時間外勤務手当として支給する旨の賃金体系の変更(本件固定残業制度の採用)をしたことは争わない。
しかし,その際,原告は,本件雇用契約の内容を変更したことはないから,基本給は本件固定残業制度採用前と変わらず50万円である。
なお,原告は,本件雇用契約書に押印したことはなく,本件雇用契約書は偽造文書である。
原告は,本件説明会に参加したことは認めるが,被告から個別の雇用契約の変更について詳細な説明を受けたことはなく,被告が主張する賃金の引下げの幅も大きく原告に不利益なものであるから,原告は自由な意思に基づいて本件雇用契約の内容の変更に同意したということはできない。
(イ)上記(ア)のとおり,原告は,平成26年4月から,被告において,本件固定残業制度が採用されたこと自体は争わない。そして,上記(ア)のとおり,本件固定残業制度の採用後における原告の基本給(本件就業規則の固定時間外勤務手当の算定における「基準内給与」)も,50万円であるから,原告に対しては,本件固定残業制度により,時間外勤務40時間相当分及び深夜勤務10時間相当分として,平成26年においては,月額16万4745円,平成27年においては,月額16万5427円の固定時間外勤務手当が支給されるはずである。
したがって,平成26年4月以後,労基法所定の割増賃金の額が,上記金額に満たない月については,上記金額が原告に対して支給されるべきである。

⑶ 争点3(原告の時間外・深夜労働の有無及びその時間)に関する当事者の主張

ア 原告の主張
原告は,別紙1「原告の主張する時間,賃金計算」のとおり,被告において稼働しており,上記⑵イ(イ)の原告の主張も併せると,別紙2のとおりの未払割増賃金が発生している。
被告は,原告の労働時間について,乙1の1の1から乙1の2の12までの勤怠表と題する書面(以下「被告の勤怠表」という。)を提出するが,いずれも原告が押印したものではなく,偽造文書である。原告の稼働時間は甲5の1の1から甲5の2の12までの勤怠表(以下「原告の勤怠表」という。)によるべきで,これは,原告が被告に勤務していた当時,被告から,作成及び提出を義務付けられていた勤怠表の基となったデータである。原告の業務量は多く,休憩1時間を取得することはできなかった。
イ 被告の主張
原告の勤怠表は,原告が改ざんした文書であり,信用性がない。
被告は,従業員の労働時間をパソコン内でデータ管理しており,被告の従業員は,毎日の労働時間をデータ入力し,月末にそれを出力し,従業員自らの印を本人印の欄に押印した上,C社労士及び被告代表者の確認を経ることになっている。以上の経緯で当時作成されたものが被告の勤怠表であり,これによれば,原告の時間外・深夜労働の時間は別紙3のとおりである。
仮に,原告の勤怠表記載の時間を前提としても,被告は,原告に早朝,深夜又は休日の勤務を命じたり,休憩時間に勤務を命じたりしたことはなく,被告の指揮命令に基づく労務の提供とはいえず,かかる時間は労働時間に当たらない。
被告は,上記⑴イ及び⑵アの被告の主張のとおり,平成26年3月までは,基本給に割増賃金を含む方式により,平成26年4月以降は固定時間外勤務手当として割増賃金を原告に支給しているから,これらの時間外・深夜労働に係る割増賃金は,既に支払済みである。

⑷ 争点4(付加金支払の要否及びその額)

ア 原告の主張
被告に対しては,付加金467万4606円が支払われるべきである。
イ 被告の主張
争う。

⑸ 争点5(被告代表者の言動による不法行為の成否)について

ア 原告の主張
被告代表者は,平成26年12月頃,原告に対し,なぜ仕事をしないのかと執拗に尋ね,平成27年になってからは,会議の際などに,なぜ約束した営業目標が達成できないのか,このままでは評価しない,給料を下げざるを得ない,被告をやめてもらわなければ困るなどと理不尽な説教,執拗な小言を述べた。上記小言等は,2時間にわたることもあり,被告代表者は怒鳴ったり,机を叩いたりもした。
被告代表者の上記言動は,同年夏頃にも続き,原告は,被告代表者の言動により気が沈む,気持ちが悪くなる,胸が苦しくなる,朝頭痛がする,睡眠障害による寝不足,食欲不振などの症状を呈したが,被告代表者の言動は収まることなく,原告の症状も悪化の一途をたどり,同年8月から12月頃までメンタルヘルス科を受診することになった。被告代表者は,原告の受診を知って,休職するかなどと迫った。
被告代表者の上記言動は,原告に対する嫌がらせであり,結局,原告は,被告代表者の上記言動に耐え兼ね,同年11月30日に被告代表者に退職を申し入れて退職に至ったのであり,被告代表者の上記言動は原告に対する被告の不法行為を構成する。被告代表者は,営業成績向上を原告に求めつつ,原告が被告のホームページの改定を求めても応じなかったり,ゴルフに出かけて業務を滞らせたりしていたし,これを指摘すると逆に怒鳴るなどした。
原告の退職が決まってから,原告は同年12月21日に突然業務用に使用していたパソコンを被告に取り上げられ,顧客への連絡が出来なくなったほか,同月分の賃金は支払期日に支払われなかった。このような出来事も,上記従前のハラスメントの顕れである。なお,被告は,賃金の不払に関し,株式会社日本パープルとの経緯を主張するが,退職後に業務を行う義務はないし,賃金を支払わないことを正当化するものではない。
上記不法行為によって,原告は精神的苦痛を被ったところ,慰謝料の額は,50万円を下らない。
イ 被告の主張
原告が主張する,被告代表者の言動は,そのほとんどが作り話で事実に反する。
被告は,原告をプロデューサー兼ディレクターとして,他の従業員よりも高額の賃金で採用したものであるが,原告の仕事ぶりは50万円という賃金に見合うものではなく,被告代表者は「どういう動きをすれば200万円の粗利をあげることができるのかをよく考えるように。」と原告に常々言っていた。しかし,原告は,自ら考えて仕事をすることができず,被告代表者の指示を必要とした。被告代表者は,原告の仕事ぶりに対し,「給料に見合う仕事ができていると思うか?」「給料を下げるのであれば,ここまでの目標・数字は求めない」という内容のことを言ったことはあるが,言い方も執拗にまくしたてるようなものではなく,いわゆるハラスメントに当たらないのは明らかである。なお,ホームページの改定については,原告から改定の希望があったことから,原告を改定担当にしたものの,十分な提案もなく,改定が出来なかったに過ぎない。
原告は,体調不良を訴えることがしばしばあったため,被告代表者としては,心配して,診断書を持ってくれば休職制度もあることを伝えたが,原告は,診断書を持参することもなかった。
また,原告の退職が決まって,被告代表者は原告に引継ぎを指示したが,原告が作成した資料は不十分であり,やむを得ず,被告代表者が原告のパソコンを直接見て各案件の状況を把握することとしたものであり,原告にもそのことを伝えた。原告の引継ぎ不足により,被告は,原告が担当していた株式会社日本パープルの案件の進捗状況が分からず,同社に業務委託料98万4000円のうち,93万4000円を返金せざるを得なくなった。このような事情によって被告は原告に平成28年1月8日に支給すべき賃金を同日に支払わなかったのであるから,ハラスメントの顕れではない。

第3 当裁判所の判断

1 認定事実

⑴ 被告の概要等

ア 被告は,平成20年3月17日に設立された。被告の事務所(本店)の所在地は,平成24年12月3日から東京都渋谷区に所在するfビルの6階であったところ,平成26年3月17日頃に同じく東京都渋谷区に所在するgビルディング(以下「本件ビル」という。)の8階(現住所)に移転した。なお,同所への移転に当たって,被告代表者は同所を内見し,移転の1か月程度前に賃貸人と契約を交わした。(甲1,被告代表者本人)
イ 本件ビルは,地上11階,地下1階建てであり,フロア毎に別のテナントが入居している。8階の被告の事務所を訪れる場合,1階の表玄関が開錠されていなければ,暗証番号の入力又はカードキーの使用によって通用口(本件ビルに入居する各テナントが使用する。)を開錠して本件ビルに入る。次に,通用口にあるキーボックスを確認し,8階のロックが解除されていなければ,カードキーでキーボックスを開け,そこから鍵を取り出して,当該鍵で8階の入り口を開け,カードキーで8階のセキュリティのロックを解除することになる。
8階のセキュリティのロックを解除した時刻及びセットした時刻については,本件ビルの警備会社が把握し,記録している。この記録について,以下では「本件警備会社の記録」という。(甲13,平成29年5月17日付け申立て及び同年10月26日付け申立てに係るセコム株式会社に対する調査嘱託の結果(=甲12,14),被告代表者本人,原告本人)
ウ 被告の従業員は,平成29年9月現在,正規雇用の従業員が15名,アルバイトが3名であり,うち30代の従業員が約7割,20代の従業員が約2割,40代以上の従業員が約1割という年齢構成である。なお,原告が被告に入社した平成24年8月当時も同様の年齢構成であったところ,原告は,被告代表者よりも10歳以上年長(同月当時,原告は48歳。)であり,従業員の中で一番の年長であった。(乙19,被告代表者本人,弁論の全趣旨)
エ 本件雇用契約締結当時から現在まで,被告において労基法第36条が定める協定は締結されていない。(被告代表者本人)

⑵ 原告の業務内容等

ア 原告は,被告のプロデューサー兼ディレクターの業務に従事し,自ら新規の営業を開拓し,顧客から仕事を獲得した上で,Web,パンフレット,カタログ,広告等の制作から納品まで全ての工程を担当していた。
原告は,営業の仕事として,資料を作成したり,被告の事業所から外出して,顧客との打ち合わせ等を行ったりするとともに,顧客からの電話又はメールに対応するなどし,また,電話による営業も行っていた。原告は,制作の仕事として,デザイナーに渡す写真を探すなどの作業を行っていた。
被告は,原告を採用した当時,35歳までの年齢という条件で,プロデューサー職及びディレクター職の従業員を募集していたところ,被告代表者は,原告の経歴,面接時の熱意等に期待し,35歳を超える年齢ではあったが,プロデューサー兼ディレクターとして原告を採用した。被告代表者は,原告が自らの右腕となるような存在となることを期待していた。(甲11,乙15,被告代表者本人,原告本人,弁論の全趣旨)
イ 原告の賃金は,被告の他の従業員よりも高く,平成26年3月当時,他の従業員の基本給は,最大35万円程度であったが,原告の賃金は50万円であった。ただし,基本給が32万円の従業員については,原告より約7歳年が若く,基本給が35万円の従業員については,原告よりも約11歳年が若い。(乙19,21,被告代表者本人)
ウ 40歳から44歳のウェブディレクターの平均的な年収は,349万円から470万円程度であり,45歳から49歳のウェブディレクターの平均的な年収は404万4000円から526万4000円程度である。(乙20)
エ 被告代表者は,原告に対し,50万円の給与をもらうには,200万円の粗利を出さなければならないことを告げ,原告の営業成績を伸ばすため,平成27年1月頃,原告に新規営業先の開拓に集中させるなどした。(被告代表者本人)

⑶ 本件説明会の内容等

ア C社労士は,平成25年9月1日に被告の顧問に就任した後,キャリアアップ助成金の申請に関連して,被告代表者から就業規則の作成の依頼を受けた。C社労士は,その際,被告代表者から,被告では基本給を12倍したものを年収として従業員に支給しており,当該年収に割増賃金が含まれていること,全ての従業員に対して,面接の際に上記賃金体系を説明している旨の説明を受けた。C社労士は,被告代表者に対し,被告代表者が口頭でこのような説明をしていたとしても,従業員から割増賃金を請求されれば,会社として支払わなければならない場合もあり得ることを説明した上,このような運用を,法的に問題のない形にするため,就業規則上,固定残業制度を採ることを被告代表者に提案し,同人からの同意を得た。(乙13,15,16,証人C,被告代表者本人)
イ C社労士は,被告から提供を受けた資料等を基に,従前の被告の従業員の就労状況を検討したところ,時間外勤務が1か月当たり40時間を超えている従業員,深夜勤務が1か月当たり10時間を超えている従業員はおらず,固定残業制度としては,上記時間分の割増賃金を含む内容に設定すれば,従前の被告における取扱いとも整合すると考えた
C社労士は,就業規則作成について被告代表者と打ち合わせる過程で,被告代表者から,プロデューサー兼ディレクターの立場で,被告においてナンバー2の立場にある人物であり,就業規則を制定する際の従業員代表となってもらう予定であるとして,原告を紹介された。
C社労士は,平成25年11月26日に,被告代表者に対し,従前の従業員の年収を基に,各従業員毎に基本給,時間外勤務手当40時間分及び深夜勤務手当10時間分を分配した一覧表並びに新たに従業員との間で締結する雇用契約書のひな型をメールで送付した。(乙16,17,証人C)
ウ C社労士は,原告を含む被告の従業員に対し,平成26年1月27日の午後5時から1時間半程度,就業規則説明会(本件説明会)を開催した。本件説明会では,本件就業規則の案を配布し,本件就業規則の項目に沿って説明をした。
C社労士は,本件説明会の中で,被告の従業員に対し,これから説明する内容は重要でありよく聞いてほしい旨前置きし,20分から30分程度の時間を使って,本件固定残業制度について,以下の内容を説明した。C社労士の説明に対し,被告の従業員から質問等は出なかった。(乙4,12の1から2まで,16,証人C)
(ア)従前,被告では,基本給を12倍した金額を年収として,年収に割増賃金を含める取扱いをしており,被告代表者からは,各従業員の採用面接の際に,それぞれ上記の取扱いについて説明済みで,従業員は納得しているとの説明を受けた。従業員が納得しているとしても,上記取扱いは,労基法又は裁判例に照らし,違法になる可能性がある。そこで,被告代表者と話し合い,本件固定残業制度を採用し,それを就業規則に明記することとした。
(イ)本件固定残業制度の内容は,1か月当たり時間外勤務40時間相当分及び深夜勤務10時間相当分を固定残業とみなすものであり,固定残業時間を超えて残業した場合にはその分の残業代を支払う。本件固定残業制度の時間について,上記のとおりとしたのは,従前の従業員の就労状況を踏まえて検討した結果である。
(ウ)基本給について,従前は,割増賃金も含めて全て基本給という形にしていたが,今後は基本給と固定時間外手当及び固定深夜手当を分けて定めることになる。これまでの基本給は割増賃金を含めた形での基本給であり,今後の基本給は割増賃金を含めない形の基本給なので,その性質が異なり,形式的な基本給の数字は減るが,支給額総額でみれば,これまでより増えることはあっても減ることはない。
各従業員の個別の労働契約の内容については,後に代表者から個別に説明がある。

⑷ 意見書の作成等

本件説明会終了後,原告は,被告の従業員の過半数を代表する者として,本件就業規則について,特に意見は無い旨の意見書を作成したなお,この意見書には,「労働者の過半数を代表する者の選出方法」について「互推薦による」と記載され,上記文言並びに原告の職名及び氏名はいずれも不動文字で印刷されているところ,意見書のひな型を作成したのはC社労士であった。(乙5,16,証人C)

⑸ 被告代表者と被告従業員との面談の実施等

ア 本件説明会終了後,被告代表者は,被告の従業員と,個別に面談を実施し,雇用契約書を締結した。なお,当該雇用契約書のひな型は,上記⑶イのとおり,C社労士が,本件説明会に先立って被告に交付したものであり,被告は,C社労士が従前の基本給の額に基づき計算した額を基に,基本給,固定時間外手当,固定深夜手当の額を各雇用契約書に記載した。(乙15から17まで、証人CSI,被告代表者本人)
イ 被告代表者は,原告との間で,平成26年3月28日,今後の雇用契約の内容等に関する面談を行い,基本給は形の上で減少するものの,総支給額は減少しないなどと説明した
本件雇用契約書(この作成に原告が関与したか否かについては,当事者間に争いがある。)上,平成26年4月からの本件雇用契約の賃金は,以下のとおりとされており,被告は,同月以降,原告に対し,この賃金体系を前提として,賃金を支給している。以下では,被告が,原告に適用されると主張する,この賃金体系について便宜上,「原告の新賃金体系」という。
なお,平成28年1月8日に支払われるべき平成27年12月分の賃金については,平成28年2月1日に支払われている。(甲9,乙9,11,証人C,被告代表者本人,原告本人,弁論の全趣旨)
(ア)基準内給与
 基本給月額39万円
(イ)基準外給与
 固定時間外手当12万1875円,固定深夜手当6094円,配偶者手当1万円,子供手当5000円及び通勤手当2万円

⑹ 被告における労働時間の管理等

ア 原告を含む被告の従業員は,グーグルカレンダーに自らの予定を入力し,従業員間で予定を共有している。(甲8,9,乙15)
イ 原告を含む被告の従業員は,被告所定の勤怠表(出勤時間,退勤時間,休憩時間等の入力欄が設けられたエクセルファイル)に,日々出勤時間等を入力し,毎月末又は翌月当初に,当該1か月分のデータを印刷し,氏名欄の右脇の本人欄に押印した上,被告代表者に提出する。
被告代表者は,従業員から提出された勤怠表を確認し,クリアファイルに入れてまとめて管理している。本件固定残業制採用前から,被告代表者は,C社労士が被告を訪れた際に,C社労士に勤怠表を見せていた。C社労士は,月に一度程度,被告を訪れており,被告代表者から勤怠表を見せられ,当該勤怠表に記載された時間外労働時間数等を確認し,勤怠表の「部長」の欄に「C」印を押印した。C社労士が被告代表者から勤怠表を受領した時点で,既に被告代表者は「社長」欄に「B」の印を押印していた。なお,C社労士は,本件固定残業制度採用後には,従業員の勤怠表を見て,時間外労働時間が40時間,うち深夜労働時間が10時間以内に収まっているかどうかを確認していたが,仮に時間外労働時間等が長い従業員がいたとしても,上記押印は行っていた。(甲11,証人C,被告代表者本人)

⑺ 原告の通院歴等

原告は,平成27年9月1日から同年11月17日までの期間,4回,社会医療法人財団石心会狭山総合クリニックを受診した。
上記クリニックの担当医師は,平成28年4月26日,原告の症状は,身体表現性障害であり,「会社で営業の仕事を任され,それが負担であったという。このことと症状との関連が考えられた。」との診断をした。(甲7の1,7の2)

2 争点1(本件固定残業制度採用前の本件雇用契約の内容(基本給に割増賃金が含まれるか。))について

⑴ ア 被告は,本件雇用契約を締結した当初,基本給に割増賃金を含む旨を原告に説明しており,原告はそれを了承して本件雇用契約を締結した旨主張し,被告代表者もその本人尋問において,被告は年俸制を用いており,年俸の中に残業代も含まれているという説明を面接のときからしていた,原告と交わした雇用契約書は,被告代表者が以前,別の会社で,残業代込みの年俸制で勤務していた時の契約書をひな型として作成したなどと陳述し,乙15にも同様の記述がある。
イ しかし,原告は,本件雇用契約を締結した当初,年俸制である旨の説明を受けたことは認めるものの,割増賃金が含まれるということが説明されたことは明確に否認している
まず,本件雇用契約締結当初に原告に交付された本件雇用通知書の形式を検討するに,「賃金」の欄には「基本給 400,000円(月額)」との記載しかなく(前記第2の2⑵アの前提事実),そのうち割増賃金に相当する額又は時間外労働として想定されている時間数について明確に区分されて記載されていないばかりか,割増賃金が含まれていることすら記載されていない。
次に,本件雇用契約の賃金水準をみると,原告と類似の職種であるウェブディレクターの45歳から49歳の平均年収が404.4万円から526.4万円である(上記1⑵ウ)ことに照らせば,本件雇用契約締結当時の原告の年俸(40万円×12か月)480万円は,平均的な水準にとどまり,このような水準の年俸に割増賃金が含まれていることが当然の前提とされているとも言い難い。かえって,被告代表者が,原告についてプロデューサー兼ディレクターという職種で,将来的には被告代表者の右腕となる人材として採用したことからすれば(上記1⑵ア),期待される賃金水準は高くなるのが一般的と解されるのであるから,上記平均的な水準の年俸については,その全てを割増賃金を含まない基本給と見る方が自然である。
付言すれば,被告代表者自身,本件雇用通知書を作成した当時,基本給に何時間分の残業を想定しているのかという意識はなく,残業という概念自体が自身の中になかったことを認めている(被告代表者本人)ことからすると,そもそも,当初の基本給の内容の説明において,その中に割増賃金が含まれていることを明示的に原告に対し説明したという上記アの被告の主張自体に疑念が生じる上,上記本件雇用通知書の形式等も併せ考慮すれば,少なくとも原告において,基本給の中に割増賃金が一定額含まれていることに合意して本件雇用契約を締結したとはおよそ認め難く,本件雇用契約の内容として,労基法所定の計算方法による割増賃金の額が,基本給に含まれる割増賃金額を上回る場合に,その差額を当該賃金の支払期に支払うことが合意内容となっていたことも認め難い。
そうすると,本件固定残業制度採用前の本件雇用契約の基本給に一定の割増賃金が含まれていることを認めることは困難である。
ウ なお,被告は,本件固定残業制度採用前には,被告の従業員全員に対して基本給に割増賃金を含む年俸制を採用していた,原告は,本件雇用契約締結後,他の従業員の採用に当たって,他の従業員にそれを説明していたなどと指摘するものの,仮に被告の主張どおり,原告がかかる説明をしたとしても,これによって原告が事後的に本件雇用契約の基本給部分に,一定の割増賃金が含まれることに了承したなどと解することも困難であり,上記結論を左右しない。

⑵ 以上のとおり,本件固定残業制度採用前の本件雇用契約において,基本給(当初は40万円,昇給後は45万円又は50万円)に割増賃金が含まれると解することはできず,本件訴訟において原告が割増賃金を請求する期間のうち,本件固定残業制度採用前の平成26年3月分までの原告の基本給は月額50万円であり,被告による割増賃金の既払分は認められない。

3 争点2(本件固定残業制度採用後の本件雇用契約の内容)について

⑴ 原告に原告の新賃金体系が適用されるか否かについて

ア 賃金体系変更によって原告が受ける不利益について
上記2で検討したとおり,平成26年3月までの本件雇用契約の賃金体系においては,所定労働時間内労働に対する対価部分は,基本給である50万円(加えて通勤手当が3万3690円)であったのに対し,原告の新賃金体系によれば,12万7969円には固定時間外勤務手当としての性格が与えられることになり,所定労働時間内労働に対する対価部分は,基本給の39万円(加えて配偶者手当1万円及び子供手当5000円が新たに支給されることになり,通勤手当は2万円に減額された。)のみとなり,基本給は11万円の減額となるから,その不利益は大きいものと言わざるを得ない。

イ 本件雇用契約書の効力について
(ア)まず,本件雇用契約書の成立の真正を検討するに,原告は,本件雇用契約書への押印を否定しているものの,他方で,本人尋問においても,被告代表者から個別に原告の新賃金体系に関する説明をされ,はいと返事をしたことを認め,その時見せられた書面についても,本件雇用契約書でなかったとは断定できないなどと陳述している。
また,被告は,本件説明会以前にC社労士から,従業員と締結する雇用契約書のひな型等を受領し,本件固定残業制度の採用に当たって,従業員に個別に新たな労働条件を示した上で,当該面談の中で従業員に雇用契約書に押印をさせている(上記1⑸ア)ところ,原告にだけ,面談において本件雇用契約書を見せなかったとは考え難い。
そして,上記のとおり,原告は表立って原告の新賃金体系に反対してもおらず,本件雇用契約書への押印を拒んだという事情も見当たらないのであるから,被告において,あえて原告に関して本件雇用契約書に押印させず,本件雇用契約書を偽造する動機も乏しいと解される。
そうすると,被告代表者との面談において,原告が,被告代表者からの説明を受けて本件雇用契約書に押印したという被告代表者の陳述は一応信用することができ,本件雇用契約書は真正に成立したものと認めることができる。
(イ)ところで,使用者が提示した労働条件の変更が賃金に関するものである場合には,当該変更を受入れる旨の労働者の行為があるとしても,労働者が使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれており,自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力にも限界があることに照らせば,当該行為をもって直ちに労働者の同意があったものとみるのは相当でなく,当該変更に対する労働者の同意の有無についての判断は慎重になされるべきである。そうすると,賃金に関する労働条件の不利益変更にかかる労働者の同意の有無については,当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度,労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様,当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして,当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも判断されるのが相当である。
(ウ)まず,上記1⑶のとおり,被告は,本件固定残業制度の導入に先立って,C社労士による本件説明会を開催し,原告はこれに出席した上,従業員代表として被告の就業規則について意見を述べているのであるから,原告は,本件固定残業制度について,1か月当たり時間外勤務40時間相当分及び深夜勤務10時間相当分を固定残業とみなすものであること,従前被告では,年俸制の基本給の中に割増賃金が含まれていたことを前提として,上記年俸制の基本給を基本給と固定時間外勤務手当に分けて支給することなど本件固定残業制度の内容については,一応説明を受け,理解することができたということができる
(エ)他方で,そもそも,上記2で論じたとおり,本件固定残業制度採用前の本件雇用契約において,年俸制の基本給の中に割増賃金が含まれていたと認めることはできず,全てが基本給であるから,従前の賃金体系において,時間外労働を行った場合には,当該基本給に応じた割増賃金が支払われるべきであったが,被告から原告に対し,割増賃金は支払われることはなかった(弁論の全趣旨)。そうであるにも関わらず,本件説明会においては,漠然と従前の賃金体系又は割増賃金が支払われていないことが違法である可能性があることの説明がされた(上記1⑶ウ(ア))のみであって,本来的には当該基本給に応じた割増賃金が支払われるはずであったことなどについて原告に対し,明確に説明がされたとはいえない。
そして,C社労士及び被告代表者は,原告に対し,本件固定残業制度の採用に伴う基本給の減少が形式的なものにとどまる,総額としては支給される額は変わらないとも説明している(上記1⑶ウ(ウ),⑸イ)が,原告の新賃金体系と従前の賃金体系を比較すれば,正に割増賃金の基礎となる基本給が減少するのであり,基本給の減少は,形式的なものにとどまるものではない。その上,原告の新賃金体系においては,基本給(引いては発生する割増賃金の額)が減少するのみならず,発生した割増賃金についても,固定時間外勤務手当分は既払となるのであるから,総額として支給額が減少することがないという説明も誤っているといわざるを得ない(従前は支払われるべき割増賃金が支給されていなかったことから,支給総額が給与明細上抑えられていたに過ぎず,この違法な支給状態と原告の新賃金体系の下で支給される賃金の額に差がなかったとしても,原告に不利益がないということはできない。)。
そうすると,C社労士及び個別の面談における被告代表者の説明は,従前の制度に関する誤った理解を前提としたものであり,原告に対し,原告の新賃金体系が適用されることによって,原告が受ける不利益の程度について正確かつ十分な情報を提供するものとはいえないただし,上記1⑶アのとおり,C社労士は,被告代表者の説明(従前の年俸に割増賃金が含まれ,従業員もそれに同意していること)を前提として,本件固定残業制度の説明をしたものであり,あえて虚偽の説明をしたとまでは認められない。)。
(オ)そうすると,原告が本件雇用契約書に押印し(上記(ア)),本件固定残業制度の内容の説明を受け,従業員代表として被告の就業規則に意見を述べたこと(上記(ウ))が認められるとしても,原告の新賃金体系への変更は,上記アで検討したとおり,原告に著しい不利益をもたらすものであるところ,上記(エ)で検討したとおり,被告の原告に対する説明内容は不正確かつ不十分なものであったことから,原告が本件雇用契約書に押印したとしても,これが原告の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在したとはいえず,原告による有効な同意があったとは認められない。
ウ まとめ
以上の次第で,原告について,原告の新賃金体系は適用されず,平成26年4月以降についても,基本給を50万円とする従前の雇用契約の効力が有効であるというのが相当である。

⑵ 原告は本件固定残業制度に基づき,固定時間外勤務手当の支払を求めることができるか。

ア ところで,原告は,原告の新賃金体系の適用を争う一方で,被告が本件就業規則を制定して本件固定残業制度を導入したこと自体は争わないとし,本件就業規則の効力により,原告にも本件固定残業制度自体は適用され,原告については,従前の基本給(であり,平成26年4月以降も維持される)月額50万円の基本給を前提として,1か月当たり時間外勤務40時間相当分及び深夜勤務10時間相当分の固定時間外勤務手当が支給されるべきであるとも主張する。
しかし,被告は本件固定残業制度を導入するに当たって,従業員と個別に雇用契約の締結をしていること(上記1⑸ア),本件就業規則の規定(前記第2の2⑷イの前提事実)自体,固定時間外勤務手当が従業員に必ず支給されることを定めたものではなく,固定時間外勤務手当が支給される場合に,その性質は「1か月当たり時間外勤務40時間相当分および深夜勤務10時間相当分」に該当することを定めたに過ぎないとも解されること,およそ残業が想定されない従業員についても一律に固定時間外勤務手当が支給されると解するのは不合理であり,本件固定残業制度導入後も,固定時間外勤務手当の対象となっていない従業員もいること(乙18)などに照らせば,本件固定残業制度の適用の前提として,従業員との個別の雇用契約による固定時間外勤務手当の額の合意等が前提とされていると解するのが相当であるから,かかる合意のない原告との関係では,固定時間外勤務手当は生じないと解するのが相当である。
イ したがって,平成26年4月以降について,本件固定残業制度に基づき,固定時間外勤務手当の支払を求める原告の主張は理由がない。

⑶ 既払分について

ア 上記⑴で検討したとおり,原告には原告の新賃金体系は適用されないが,被告は,原告に原告の新賃金体系が適用されることを前提として,平成26年4月以降,原告に対し,月額39万円の基本給,12万1875円の固定時間外手当及び6094円の固定深夜手当の合計51万7969円を支払っている(上記1⑸イ)ところ,同月以降の本件雇用契約における基本給は50万円であるから,支給項目及び支給総額に齟齬が生じている。
本件訴訟の請求において,原告は,原告の新賃金体系が原告に適用されず,基本給は50万円であることを前提としつつ,基本給部分が支払済みであることは特に争っていないと解され(弁論の全趣旨),当事者の意思を合理的に解釈すれば,上記固定時間外手当及び固定深夜手当のうち11万円は基本給の不足分として支払われたとみるのが相当である。また,固定時間外手当及び固定深夜手当のうち残り1万7969円は,被告が上記各手当を,割増賃金として支払う意思であったことは明らかであり,当月分の割増賃金として支払われたとみるのが相当であるから,上記1万7969円の範囲において,被告の弁済の抗弁には理由がある。
イ したがって,本件で認定できる平成26年4月以降の未払の割増賃金の額のうち,毎月1万7969円については,既に被告から原告に支払済みであると解するのが相当である。

4 争点3(原告の時間外・深夜労働の有無及びその時間)について

⑴ 原告の退社時刻について

ア 各書証の作成過程の検討等
被告は,被告の勤怠表を基に,原告の労働時間を主張するところ,被告においては,従業員は各自で勤怠表を作成し,被告代表者の確認を経た後にC社労士の確認を得るというのであり(上記1⑹イ),被告の勤怠表には,被告代表者及びC社労士の印が押されており,その形式は,勤怠表の作成過程と一致している。また,C社労士自身,被告の勤怠表を確認したことを認めており(証人C),被告と顧問契約を締結しているとはいえ,労務管理の専門家であるC社労士において,本件訴訟のために被告とともに被告の勤怠表を偽造する動機は乏しいといえるから,被告の勤怠表は,当時C社労士が確認した勤怠表というのが相当である(ただし,C社労士の確認は事後的なものであり(上記1⑹イ),被告の勤怠表の作成に原告が関わったか否かについては,C社労士の証言等からは明らかではない。)。
他方で,原告が保管していた勤怠表(以下「原告の勤怠表」という。)は,原告が,被告に提出する勤怠表を作成するために入力したデータの控え(原告本人)というのであり,単なる手控えに過ぎない上,その基となったデータも消去してしまった(原告本人)というのであるから,この信用性については,他の証拠との整合性等を慎重に検討する必要がある。
イ 原告の勤怠表及び被告の勤怠表とグーグルカレンダー,本件警備会社の記録との比較等
(ア)グーグルカレンダー上に入力された原告のスケジュール(以下「本件スケジュール」という。)との比較
原告は,他の従業員と同様に,被告に勤務していた当時グーグルカレンダー上でスケジュールを共有して管理していた(上記1⑹ア)ところ,本件スケジュールと原告の勤怠表及び被告の勤怠表の退勤時刻を比較すると,原告の勤怠表については,本件スケジュールと整合しないところは特に見当たらない。
これに対し,被告の勤怠表では,本件スケジュールで報告会,ミーティング,作業等が予定されている日について,当該予定の終了時刻よりも早く,退勤とされている日があったり(平成26年10月31日,平成27年1月26日,同年5月22日,同年6月19日,同月30日,同年7月10日,同年10月22日等),午後4時に早退予定となっている日について,被告の勤怠表では午後7時に退勤となっていたり(同年11月21日)するなど,本件スケジュールと被告の勤怠表には齟齬がある。
(イ)本件警備会社の記録との比較
被告が本件ビルに移転した平成26年4月以降の本件警備会社の記録のうち「セット」の時刻(被告事務所のセキュリティがセットされた時刻(上記1⑴イ))と,原告の勤怠表の退勤時刻を比較すると別紙4「原告の勤怠表と本件警備会社の記録の対比」のとおりである。このうち,平成26年4月4日,同年7月31日,同年10月22日,同年11月11日,同月25日,平成27年1月29日,10月16日,11月4日については,勤怠表の退勤時刻よりもセット時刻が早いが,平成26年7月31日は,本件スケジュールによれば,午後4時から5時30分にβでの打合せの後,午後6時から8時が送別会とされており,βでの打合せ後,帰社していない可能性もあり,本件警備会社の記録のセット時刻とは必ずしも関連しないこと,その他の日については,最大39分程度の差であり,多くは数分程度の差にとどまっていることから,誤差あるいは手控えの誤りに留まると解され,原告の勤怠表の退勤時刻は,本件警備会社の記録と概ね矛盾しないということができる。
さらに,原告の勤怠表上,原告が午前0時を超えて勤務したとされる日は,平成26年4月以降,わずか4日であるが,午前4時30分まで勤務したとされる平成26年11月18日については,本件警備会社の記録のセット時刻が翌19日の午前4時39分となっており,退勤しなかったとされる同月20日については,翌21日の夜までセットの記録がなく,午前4時40分に退勤したとされる平成27年1月29日については,セット時刻が翌30日の午前4時38分となっており,退勤しなかったとされる同年5月29日については,30日の午後までセットの記録がないなど,いずれも,本件警備会社の記録と矛盾しないか,極めて近接している。
また,原告の勤怠表上,平成27年に原告が土日に出勤したとされるのは,4月12日のみであるが,この日の原告の勤怠表の出勤は午前0時,退勤が午前4時となっており,本件警備会社の記録上,解除は午前0時41分,セットが午前6時44分であるから,これも整合しているといえる(なお,被告は,解除が午前0時41分であるのに,午前0時から勤務していると記載されていることについて,論難するが,もともと原告の勤怠表が原告の手控えによるものであるから,多少の齟齬が生じることはやむを得ないと解される。)。そして,被告代表者が,その本人尋問において,従業員が深夜又は早朝まで勤務したり,徹夜で仕事をしたりすることはなかったと陳述するところを前提とすれば,上記深夜の本件警備会社の記録は,他の従業員の記録とみるべきではなく,原告の出退社の記録である可能性が高い。
本件警備会社の記録は,本件訴訟の調査嘱託によって当裁判所に提出されたものであり(当裁判所に顕著な事実),原告が本件訴訟手続以前に本件警備会社の記録を入手できたことを認めるに足りないから、上記のとおり本件警備会社の記録と原告の勤怠表が整合することは,原告の勤怠表の信用性を相当程度高める事情といえる。
ウ まとめ
そうすると,上記アのとおり,原告の勤怠表は,手控えに過ぎないものであるが,上記イで検討したとおり,原告の勤怠表に記載された退勤時刻が本件警備会社の記録のセット時刻と整合するなど,それなりに信用できるものである一方,被告の勤怠表については,原告が偽造を主張している上,本件スケジュールと整合しないところがあるなど原告の退社時刻を正確に反映したものといえるか疑義があることから,原告の退社時刻については,原告の勤怠表の退勤時間の記載によることとし,そのうち本件警備会社の記録のセット時刻が,原告の勤怠表記載の退勤時間よりも早い日は,本件警備会社の記録によることとする(ただし,原告が,被告の事務所外で勤務していた,平成26年7月31日については,上記イ(イ)で論じたとおり,原告が帰社していない可能性もあり,原告の勤怠表によることとする。)。

⑵ 原告の出社時刻について

ア 本件雇用契約における所定労働時間は午前10時からである(前記第2の⑵ウの前提事実)ところ,原告の勤怠表には,午前10時以前を出勤時間とする日がある(平成26年1月6日,同月24日,同年2月17日,同年3月15日,同年11月21日,平成27年1月7日,同月19日,同年10月9日)。
このうち,平成26年11月21日,平成27年1月7日,同月19日,同年10月9日以外の日については,被告の勤怠表にも同様の出勤時間が記載されており,被告もこれを労働時間の開始時刻とすることについて争っていないと解されることから,原告の勤怠表記載の出勤時間を労働時間の開始時刻とする。
イ 他方,平成26年11月21日,平成27年1月7日,同月19日,同年10月9日については,以下(⑶ウ)において,各勤務日に所定始業時刻以前から労務を提供することが被告から義務付けられていたか否か等も含め,個別に検討する。

⑶ 各勤務日における原告の労働時間について

ア 総論
労働時間とは,労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間であるところ,被告は,仮に,原告が原告の主張する労働時間に被告事務所に滞在していたとしても,被告が原告に対し早朝,深夜又は休日に勤務したり,休憩時間を削って勤務したりすることを命じたことはなく,原告の業務量も多くはなかった旨主張することから,以下,上記⑴及び⑵で認められる原告の出社及び退社時刻を基に,原告の労働時間を検討する。
イ 所定の終業時刻後,退社までの時間について
被告代表者は,本人尋問において,従業員に対しては,電車があるうちに帰るように指導し,事務所に泊まることを容認していなかった旨陳述するものの,その内容は包括的なものにとどまり,原告に対し,具体的に帰宅を命じたり,徹夜の作業を禁止したりしていたことを認めるに足りない。また,被告は,原告の業務量が,時間外労働を必要とするようなものとはいえないとも主張するものの,原告の職種は,プロデューサー兼ディレクターであり,その業務内容は,営業の開拓から制作,納品までの全ての工程を担当する(上記1⑵ア)という広範なものであり,時に被告代表者からは,営業成績を伸ばすために,業務内容の一部に集中するように指示されることもあった(上記1⑵エ)こと,原告は他の従業員よりも高額の賃金を支給されており(上記1⑵ウ),そのことからも被告代表者から粗利の目標を告げられるなどしていたこと(上記1⑵エ)に照らせば,原告がその業務を行うため,被告において所定の終業時刻を超えて勤務しなければならなかったことが推認される。また,原告が,所定の終業時刻後に業務と関係なく被告に滞留していたことをうかがわせる証拠もないのであるから,所定の終業時刻後の時間については,原告は被告の指揮命令下に置かれているというのが相当であり,上記⑴で認定した退社時刻までを労働時間とするのが相当である。
ウ 出社後,所定の始業時刻までの時間について
早朝の勤務のうち,平成26年11月21日,平成27年1月19日については,本件スケジュール上も,開始時刻は所定の始業時刻である(甲9)など,所定の始業時刻よりも早く出社することを被告から指示されたなどの事情はうかがえず,仮に,原告の勤怠表の出勤時間記載のとおり,原告が出社していたとしても,所定の始業時刻である10時を労働時間の開始時刻とすべきである。
同年10月9日については,原告は大阪出張のため,早く自宅を出るために1時間早く出勤したものとして9時と記載したと主張しており,この主張を前提とすれば,所定の始業時刻前に労務を提供したことが認められず(単なる移動時間と解される。),同様に,所定の始業時刻である10時を労働時間の開始時刻とすべきである。
他方,同年1月7日については,本件スケジュール上,9時30分からγ付近において「CTCSM」との打合せが予定されており(甲9),同時刻から労務の提供を行ったことが推認され,かかる業務が本件スケジュールに記載され,被告もこれを把握していたといえるから,同時刻から被告の指揮命令下に置かれていると認め,同時刻を労働時間の開始時刻とする。
エ 土曜日及び日曜日における出勤について
平成26年3月15日は土曜日であるが,被告の勤怠表の備考欄の記載及び被告が同月17日頃に本件ビルに移転したこと(上記1⑴ア)によれば,原告は,被告の引越し作業に従事していたことが推認され,原告の勤怠表と被告の勤怠表の出勤時間及び退勤時間は一致するから,原告の勤怠表記載の出勤時間(午前8時30分)から退勤時間(午後4時30分)まで,原告は,被告の指揮命令下において労務を提供していたと認める。
他方,原告の勤怠表によれば,原告は,平成27年4月12日の日曜日に,被告に出社しているところ,原告は,本人尋問において,前日の夕方に知人とδで食事をし,帰りが遅くなり,自宅まで帰宅するのが困難になったから被告事務所に立ち寄り,メールの確認,資料の整理を行った旨陳述する。これを前提とすれば,仮に原告が原告の勤怠表記載の出勤時間及び退勤時間に出社及び退社していたとしても,原告が,被告から,当該休日に上記勤務を命じられたことが認められないので,同日の作業は,被告の指揮命令下に置かれた時間とはいえず,労働時間と認定することはできない。
オ 休憩時間について
原告の勤怠表上,1時間未満の休憩時間が記載されている日もあり,原告は休憩時間を取得できなかった理由について,縷々主張するものの,被告において,休憩の取得方法は,勤務時間内の適宜な時間に休憩をとるというものであり,休憩のタイミング,何回に分けて取るかということは,従業員にまかされていたこと(前記第2の2⑵ウの前提事実),原告が上記主張の前提とする本件スケジュールは,予定に過ぎず(上記1⑹ア),実際の勤務内容を必ずしも正確に反映したものとはいえず,特に終了時間については,予定時刻より早く終わる可能性もあり,それによって原告が休憩を取得し得る可能性も否定できないこと,原告の勤怠表の退勤時間が,本件警備会社の記録と整合し,信用できるとしても,休憩時間についてはその裏付けとなるような客観的証拠に乏しく,また,一日の労働の終わりである退勤時間と異なり,勤務中の休憩時間(しかも上記のとおり,数回に分けてとられた可能性もある。)に関する記録については,性質上,メモの正確性に疑義が残ること等に照らすと,原告の勤務表に基づく原告の主張を容れることはできず,結局所定の1時間の休憩時間を取得していたと判断せざるを得ない。(ただし,早退した平成26年9月29日については,休憩時間を取得できなかったと認める。)

⑷ 以上の判断を前提に,認定できる原告の労働時間は,別紙5「時間・賃金計算書」の始業時刻欄から終業時刻欄までであり,休憩時間欄記載の休憩時間の取得が認められる。
平成26年の一月当たりの平均所定労働時間数は159.334時間,平成27年の一月当たりの平均所定労働時間数は158.667時間である(前記第2の2⑵エの前提事実)ところ,基礎賃金は,上記1及び2で検討したとおり,本件固定残業制度の前後を問わず,月額50万円であるから,以上認定した時間外・深夜労働によって発生する割増賃金は,別紙6「集計表」記載のとおり,338万5206円である。そして,上記3⑶で論じたとおりの既払金の額を控除すると,被告は,原告に対し,未払割増賃金元金合計300万787円及びこれに対する各支払日から平成28年1月10日まで商事法定利率年6%の割合による遅延損害金の合計316万1437円,及びうち300万7857円に対する翌11日から支払済みまで賃確法令所定利率による遅延利息の支払義務を負うことになり,前記第1の1記載の請求は,この範囲で理由がある。

5 争点4(付加金支払の要否及びその額)について

⑴ 本件においては,すでに説示したとおり,原告の新賃金体系が原告について効力を有するとはいえず,未払割増賃金の金額は多額にのぼり,そのことによって原告が受けた不利益も大きく,被告に対しては,付加金の支払を命じるのが相当である。
⑵ もっとも,被告は,C社労士から従前の賃金体系の問題点について指摘を受けたことをきっかけとして,適切な労務管理のため本件固定残業制度を導入することを決め,C社労士に相談した上で本件固定残業制度を設計し,従業員に対して本件説明会を開催したりするなどして本件固定残業制度を施行したものである上,結果的に無効と判断されたとはいえ,原告に対しても,一応同意取得に向けた手続も取っていたなどの事情を考慮すると,付加金の額については,上記⑴の付加金対象賃金額の2分の1に相当する149万9090円をもって相当と認め,前記第1の3の請求は,この範囲で理由がある。

6 争点5(被告代表者の言動による不法行為の成否)について

⑴ 原告は,被告代表者から過度のノルマを課され,達成できないことについて,長時間叱責された,賃金を下げる等と言われたと主張し,原告の陳述書(甲11)及び原告の本人尋問においてこれに沿う陳述がある。
しかし,被告はこれらの言動を明確に否認し,被告代表者も本人尋問において明確に否定するところ,原告が提出する医師の診断書においても,症状の原因として,営業の仕事を任され,それが負担であったこととの関連が考えられるとされる(上記1⑺)程度であり,被告代表者の言動は指摘されていない。また,被告代表者が,原告に対し売上げ目標を示唆したことなどが認められる(上記1⑵エ)ものの,賃金が切り下げられるなどのペナルティが課せられたなどの事情も認められず,原告が主張する被告代表者の言動を認めるに足りる証拠がない。
確かに,平成28年1月8日分の賃金については,同年2月1日まで支払われておらず(上記1⑸イ),原告が同年1月13日頃被告に支払を求めるなどしていたことが認められる(甲6の1,6の2)ものの,一応,被告においては,(それが賃金の不払いを正当化する事情といえるかは措くとして)原告の退職後の引継ぎを巡るやり取りの中で,支払を怠っていたという主張もしており(上記第2の3⑸イ),少なくとも,上記原告が主張する被告代表者の言動を基礎づける程度の事情とまではいえない。
⑵ したがって,被告代表者が,業務の適正な範囲を超えて,原告を叱責するなどしたという事実が認定できないことから,不法行為に基づく損害賠償請求権(前記第1の2の請求)については,理由がない。

7 結論

よって,原告の請求は,主文第1項及び第2項の限度で理由があるから,これを認容し,その余の請求は,いずれも理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(別紙1)原告の主張する時間,賃金計算(※省略)
(別紙2)集計表2(※省略)
(別紙3)
原告の残業時間については,以下の通りである。なお,乙1号証の勤怠表の残業時間の合計は,原告の勤務時間が8時間未満の場合,8時間に満たない分を差し引いているため,その点を修正した時間を記載する。( )内の時間は深夜早朝勤務時間である。
・2014年1月 26時間35分(3時間20分)
・2014年2月 20時間50分(0分)
・2014年3月 18時間20分(0分)
・2014年4月 26時間40分(55分)
・2014年5月 22時間05分(1時間)
・2014年6月 24時間00分(15分)
・2014年7月 32時間15分(3時間)
・2014年8月 6時間45分(0分)
・2014年9月 17時間55分(1時間)
・2014年10月 23時間30分(0分)
・2014年11月 38時間05分(3時間35分)
・2014年12月 29時間35分(4時間10分)
・2015年1月 35時間55分(3時間25分)
・2015年2月 39時間30分(2時間15分)
・2015年3月 23時間30分(0分)
・2015年4月 32時間40分(15分)
・2015年5月 29時間05分(3時間30分)
・2015年6月 21時間20分(0分)
・2015年7月 21時間25分(0分)
・2015年8月 30時間05分(1時間50分)
・2015年9月 26時間00分(45分)
・2015年10月 26時間25分(15分)
・2015年11月 36時間20分(1時間15分)
・2015年12月 18時間45分(30分)
(別紙4)「原告の勤怠表と本件警備会社の記録の対比」(※省略)
(別紙5)時間・賃金計算書(※省略)
(別紙6)集計表(※省略)

 

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