退職した社員に対して損害賠償を請求できるか?(書式・ひな形あり)

人手不足の昨今,人材の確保に頭を悩ませる企業も多い。社員採用の為にかかる求人広告費や人材紹介会社への費用もバカにならないくらい高額だ。ところが,社員の中には,採用後,短期間で退職を申し出る者や,突然退職届を提出し会社に出社しなくなる者も希ではない。最近では、いわゆる退職代行業者を利用して、自ら直接会社に対して退職の申し出を行うことすらもしない者もいるようだ。せっかく採用した社員が,すぐに辞めてしまった場合,無駄になった求人経費を損害賠償請求したいと思う経営者も多い。そこで,今回は退職した社員に対して、退職したことを理由に損害賠償を請求できるのかについて説明したい。

1 退職は自由

まずは、そもそも社員の退職は法律でどのように保障されているのかを確認したい。

雇用期間の定めが無い場合

まず,社員との間の雇用契約に期間の定めが無い場合は,2週間の予告期間をおけば、労働者はその理由の如何を問わず退職することができる(民法627条1項)。

この場合、辞職の申し入れの日から2週間が経過すれば雇用契約は終了することになる。

退職届の効力発生時期については

退職届(辞職)の効力はいつ発生するか?

雇用期間の定めがある場合

これに対し,雇用契約に期間の定めがある場合は,契約期間の初日から1年を経過する前は「やむを得ない事由」がある場合でなければ、期間途中で辞職することはできないことになっている(民法628条,労基法附則137条)。

やむを得ない事由とは、期間満了まで労働契約を継続することが不当・不公正と認められるほどに重大な理由が生じたことをいい、例えば使用者が労働者の生命・身体に危険を及ぼす労働を命じたこと、賃金不払い等の重大な債務不履行、労働者自身が負傷・疾病により就労不能に陥ったこと等が挙げられる。

2 退職による損害賠償請求は可能か?

2.1 債務不履行・不法行為となる場合がある

上記のとおり,労働者が一方的に辞職することは,民法の定めに従う限り,法的に許容されており,辞職それ自体を理由として会社が労働者に対して損害賠償請求をすることは出来ない。

例えば,営業社員の退職により取引が挫折したり,営業不振に陥ったとしても,退職それ自体を違法と評価できない以上,労働者の損害賠償責任は問題となりません。

しかし,労働者が退職の効力が発生していないにもかかわらず職務放棄をすることは違法となることがあります。

例えば,雇用期間の定めがあり,雇用期間1年を経過しておらず,かつ,「やむを得ない事由」がない場合,社員は退職することは出来ません。

また,雇用期間の定めが無い場合であっても,退職の意思表示後2週間は退職することができません。

このように退職の効力が発生しない期間は,労働義務が存続するため,労働者はこの期間中は誠実に労働する義務を負います

にもかかわらず,労働者が退職届を一方的に提出して労務を提供しない場合は債務不履行となります(なお,本稿では以後労働者が退職届を提出したものの,退職の効力が発生していない期間における労務不提供を「退職前労務不提供」と呼びます。)。

また,事案によっては,退職前労務不提供が不法行為に該当することもあります

2.2 退職前労務不提供により損害賠償請求は可能

そして,退職前労務不提供によって,会社が損害を被れば,会社は債務不履行に基づく損害賠償請求(民法415条)が可能となります

裁判例でも,期間の定めのない雇用契約を締結した社員が,雇用から数日で退職の意思表示をして出勤しなかった為,会社が労働者に対して損害賠償請求をした事案において,辞職の効果が生ずるまでの期間,労働者が労務提供を怠ったことが雇用契約上の債務不履行であるとして損害賠償義務を負うことを判示した裁判例(ケイズインターナショナル事件東京地裁平4. 9.30判決 労働判例616号10頁)があります。

のみならず,労働者による退職前労務不提供が不法行為に該当し、民法709条に基づき損害賠償請求が認められることもあります(後記裁判例参照)。

3 賠償請求できる範囲

では,退職前労務不提供について,債務不履行又は不法行為として損害賠償請求が可能であるとして,どの範囲で損害賠償が認められるのでしょうか

この点,民法の損害賠償の一般原則(民法416条)によれば認められる損害は,退職前労務不提供から通常生ずる損害として相当因果関係がある損害に限られます。以下,具体的に検討します。

3.1 採用に関する費用

例えば,退職を申し出た社員を採用するために人材紹介会社へ支払った手数料などであり,採用後短期間で辞職を申し出た場合などに問題になることが多くあります。

この点,採用に関する費用は,退職前労務不提供がなかったとしても,人材紹介会社との契約に基づき発生しますので,退職前労務不提供と相当因果関係のある損害と認められることは困難であると思われます。

横浜地裁平成29.1.19判決 判例集未掲載
雇用契約と同時に採用後1年間は継続勤務する合意をした労働者が,1年以内に退職したことを理由に,使用者が人材紹介会社に支払った手数料相当額(約82万円)損害として賠償請求した事案において,裁判所は,労働者が1年間継続勤務する旨の合意は有効であり,1年以内に退職をすることが債務不履行に該当するとしながらも,使用者が人材紹介会社に支払った紹介手数料は人材紹介会社との契約に基づく支払である以上,退職をしたこととの間に相当因果関係がある損害とは認める余地はないとして,使用者の損害賠償請求を否定(棄却)しました。

3.2 売上等の逸失利益

例えば,当該社員の退職前労務不提供の後に,使用者の売上(利益)が減少した場合,その労務不提供と減少した売上(利益)との間に相当因果関係が認められるかが問題となります。

この点,一般の会社では,特定の社員が退職前労務不提供となったとしても,その業務を他の社員が引き継いで補うことが可能であることが通常です。このような人員の代替性を前提とすると,退職前労務不提供と売上(利益)の減少との間の相当因果関係を立証することは一般的に困難であると言えます

ただし、当該社員しか出来ない業務があり,退職前労務不提供により,当該社員が関わる取引が頓挫するなどして会社に損害が発生したことが明らかな場合は,相当因果関係が認められ、損害賠償請求も可能となります

この点,以下の2つの裁判例が参考になります。

失われた売上相当額1100万円を損害として認めた例

営業職であった労働者が有期雇用契約の期間の途中で退職の通知を行って競業他社に転職して職務を放棄した事案で、裁判所は、職務放棄は会社に対する債務不履行のみならず不法行為にも該当するとして、労働者(及び転職先の競業会社)に対して,会社の逸失利益等損害約1100万円,弁護士費用110万円の損害賠償の支払を命じました(BGCショウケンカイシャリミテッド事件 東京地裁平成30.6.13判決  TKC法律情報データベース【文献番号】25561403)。

失われた受注金額から経費を控除した金額を損害として認めた例

長距離トラック運転手として運送会社に勤務していた労働者が,運送業務の運行当日に退職する旨の書き置きを残して失踪したため,顧客から受注していた運送業務が履行不能となり,会社が受注金額を得られなかった損害が発生したとして,会社が当該労働者に損害賠償請求をした事案において,裁判所は,上記労働者の行為は労働契約上の義務に違反する不法行為であり,受注金額から経費を控除した金額を損害として,会社の請求を一部認容する判決を言い渡しました(大島産業事件 福岡地裁平成30.9.14決 労経速2367号10頁)。

3.3 後任の従業員の採用費用

例えば、社員が労務不提供のまま退職した為、後任の従業員を採用するために求人広告費や人材紹介会社への手数料の支払を余儀なくされた場合、これらが相当因果関係の範囲内の損害となるのかが問題となります。

この点、いかなる採用経費を投ずるかは使用者の判断次第となりますので、これら後任の採用費用は相当因果関係の範囲内の損害とは認められるのは困難であると考えられます。後任の従業員の採用費用は,前掲裁判例②BGCショウケンカイシャリミテッド事件においても論点の一つとなっておりましたが,裁判所は後任の採用にかかる費用は相当因果関係の範囲内の損害とは認めませんでした

4 退職社員に対する損害賠償請求書の書式・ひな形

上記法的な視点を踏まえて、退職により会社に損害を与えた社員への損害賠償を請求します。

以下の書式例は、引き継ぎもせずに退職をして会社に損害を与えた社員に対する損害賠償書になります。

記載事項

  • 社員は退職日までに必要な引き継ぎを実施する義務があること
  • 引き継ぎを一切していないこと
  • 引き継ぎをしないことにより会社に発生した具体的な損害
  • 損害賠償の根拠となる理由
  • 損害額

 

引き継ぎをせずに退職した社員へ損害賠償させるための書式はこちら

損害賠償請求書(退職社員宛)
有料(税込1980円) Wordファイルを入手

※ 前記のとおり会社に発生した損害額全額が常に認められる訳ではありません。

※ 内容証明郵便(配達証明付き)で送付してください。

5 不当な損害賠償は逆に損害賠償を請求される!?

そして,実際には請求できないような損害賠償を退職した社員相手に請求する訴訟を起こしたことで,逆に社員から不当訴訟で訴えられ損害賠償を請求される場合がある。

裁判例でも,社員が入社1年も経たずにうつ病を理由に退職届けを提出したところ,退職から1ヶ月もせずに別の会社に転職して勤務をしていたことに腹を立てた経営者が,社員がうつ病による退職という虚偽の事実をねつ造して退職し,業務の引継ぎをしなかったとして会社が1270万円(社員の給料の5年分以上)の損害賠償を求めたケースで,裁判所は会社の裁判は不当訴訟であり,社員が逆に請求した損害賠償請求を認め,110万円の慰謝料の支払いを会社に命じた例があります(プロシード元従業員事件横浜地裁平29.3.30判決労働判例1159号 5頁)。

このように退職した社員に対し特に理由も無く損害賠償請求を行うことで,逆に慰謝料の支払いを命じられることがあるので注意が必要です。

まとめ

以上をまとめますと

  • 社員が退職出来ないのに無理矢理退職届を出して勤務を放棄した場合,損害賠償を請求できる場合がある
  • ただし,損害賠償として請求できるものは限られており,その社員の求人費用等は請求できない
  • 不用意に損害賠償を請求することで,逆に会社が損害賠償を請求される場合がある

ということになります。

従業員に対する損害賠償請求は労務専門の弁護士へご相談を

弁護士に事前に相談することの重要性

従業員に対する損害賠償請求については、その成否、証拠による立証の可否、見込める損害賠償額などにハードルが存在します。

本来損害賠償を請求できた事案であるにもかかわらず、制度の不備や証拠が不十分であることにより、請求ができずに泣き寝入りをせざるを得ない場合も多くあります。また、全く請求できないにもかかわらず損害賠償請求訴訟を提起し、不当訴訟であるとして逆に損害賠償の支払いを命じられる場合もあります。

また、損害賠償請求をきっかけに労働組合に加入をして団体交渉を求められる場合があります。

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しかし、実際には、教科書どおりに解決できる例は希であり、ケースバイケースで法的リスクを把握・判断・対応する必要があります。法的リスクの正確な見立ては専門的経験及び知識が必要であり、企業の自己判断には高いリスク(代償)がつきまといます。また、誤った懲戒処分を行った後では、弁護士に相談しても過去に遡って適正化できないことも多くあります。

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