2022年11月28日デジタルマネーによる給与支払を可能とする労働基準法施行規則を改正する省令(厚生労働省令第158号)が公布されました。
これにより23年4月から労働者側の同意がある場合に、企業はデジタルマネーでの給与の支払いが可能になります。
企業が銀行の口座を介さずスマートフォンの決済アプリや電子マネーを利用して振り込むことができる「給与デジタル払い」。その基本やメリット・デメリット、実際に取り入れる場合の方法などについて、労働問題専門の弁護士が分かりやすく解説します。
給与のデジタル払いとは
給与のデジタル払いとは
給与のデジタル払いとは、給与の支払方法の選択肢として、労働者が指定する資金移動業者(分かりやすく言えば、PayPay、LINEPay、楽天ペイ、メルペイなどのような業者)の口座への資金移動による支払い(デジタル払い)を認める制度です。
これまでの法律では、賃金は原則通貨で直接労働者にその全額を払わなければならない(労基法24条1項)とされ、労働者の同意を得た場合には銀行振込等(労基法施行規則7条の2第1項)が認められていましたが、デジタル払いは認められていませんでした。
しかし、キャッシュレス決済の普及や送金サービスの多様化が進む中で、PayPay、LINEPay、楽天ペイ、メルペイの口座へ直接給与を振り込むニーズもあるとのことで、法改正がなされ、デジタル払いが認められるようになったのです。
デジタルマネー払いが解禁されるとどうなる
では、デジタルマネーによる給与支払うが解禁されると、給与支払が激変するのでしょうか。
結論としては、実務的に大きく変わるところはなく、給与の支払い方法として、従来の現金や銀行口座等への降り込みに加えて、デジタルマネー払いという選択肢が一つ増えるに過ぎません。
給与支払の方法
- 現金で支払う
- 銀行口座へ支払う
- NEWデジタルマネー口座へ支払う
Suica、nanaco、QUICPayは解禁の対象外
デジタルマネーといえば、Suica(スイカ)などの交通系電子マネー、WAONやnanacoなどの流通系電子マネーを思い浮かべます。
これらは前払い式(プリペイド式)デジタルマネーと呼ばれ、事前に入金することで利用が可能となりますが、原則として、出金はできません。
また、デジタルマネーとしては、QUICPayやiDなどのデジタルマネーもよく利用されています。
これらは後払い式(ポストペイ式)と呼ばれ、クレジットカードのように決済後、後払いとなります。
しかし、今回解禁された給与のデジタルマネー払いでは、前払い(プリペイド式)デジタルマネーや後払い式(ポストペイ式)は対象とはなっておりません。
対象となるのは、資金決済に関する法律(資金決済法)における「資金移動業」によって行われるものに限定されます。
資金移動業によるデジタルマネーは、PAYPAY、LINEPay、楽天ペイ、メルペイなどです。
これらは為替取引であり、一度入金しても、支払い以外に出金することが可能です。
給与デジタル払いのメリット・デメリット
社員側のメリット:銀行口座から「○○PAY」へ金を移す手間が省ける
これまでは、資金移動業者(「○○PAY」)の口座を持つ労働者は、「銀行口座→資金移動業者の口座→送金や決済」という手順が必要でした。
しかし、給与のデジタル払いが解禁されることで、「銀行口座→資金移動業者の口座」の手間が省略可され、「資金移動業者の口座→送金や決済」という短い手順でお金を扱うことが可能になるのです。
普段の買い物で使う「PayPay」などのスマートフォンの決済アプリを例にとると、これまでは給与が振り込まれる銀行口座からアプリにチャージする手間が発生していましたが、直接、アプリにデジタル振り込みされれば、チャージの手間を削減できるというわけです。
会社側のメリット:振込手数料が安い
会社側が給与デジタル払いを行うメリットとしては、デジタルマネーの場合、振込手数料が、銀行口座等へ振り込む場合に比べ安いという点が挙げられます。
現時点(2023年1月)で未だ指定資金移動業者の具体的サービス内容は不明ですが、現行の資金移動業(PAYPAYなど)では入出金の手数料が無料か割安というものが多いので、給与デジタル払いの場合も同様であると推測されます。
会社側のメリット:社員の利便性を高め、求職者にもアピールできる
給与デジタル払いは、労働者にとって利便性がありますが、現存する社員のほか、求職者にもアピールすることができます。
会社側のメリット:外国人労働者の給料支払いに使える
給与デジタル払いは、日本での銀行口座等の開設が困難な外国人労働者に対する給与支払方法として有用です。
しかし、現時点では注意が必要です。それは、解禁時点での給与のデジタル払いの口座残高の上限は100万円と決まっており、これを超える額が振り込まれる場合、100万円以下とする措置を資金移動業者側が講じなければならないとされています。そして、口座残高が100万円を超える場合、100万円以下にするためには、当該労働者が指定する金融機関の口座または証券総合口座への送金とされ、他の指定資金移動業者の口座(他の「○○PAY」口座)への送金は認められません。結局、給与のデジタル払いであっても、デジタルマネー口座以外に銀行口座等が必要となるのです。
そのため、現時点では、給与のデジタル払いといっても、銀行口座等が必要となるため、日本で銀行口座等の開設が困難な外国人に有用とは言い難い状況にあります。
会社のデメリット:手間が増えて面倒!
給与のデジタル払いの会社側のデメリットとしては、とにかく面倒くさいの一言です。
確実に会社の給与支払の手間が増えます。
労働者の同意を得たり、デジタルマネー口座の情報を収集したりするには、手間がかかりますし、銀行の給与振込サービスを利用しない場合は、毎度の振込先も増えますので面倒です。
使用者は給与デジタル払いにする義務はない
給料の支払い方法の選択肢が増え、従業員にとってメリットのある給与デジタル払いですが、大前提として、労働者から給与デジタル払いを求められても、使用者はそれに応ずる義務はありません。
労基法上は、賃金は直接・現金で労働者に支払うことが大原則とされており、銀行振込やデジタル払いは例外的な選択肢に過ぎないからです。
従って、会社が、給与デジタル払いをしない、と決めれば、これまでと全く同じ方法で給料を支払うことも可能です。
現時点で制度が未確定
給与のデジタルマネー払いを資金移動業者が行うためには、資金移動業(第二種)の登録に加え、厚生労働大臣の指定を受け、指定資金移動業者となる必要があります。
しかし、この厚生労働大臣の指定は、令和5年4月1日に申請の受付が開始され、指定までに数ヶ月はかかると言われています。つまり、企業が導入できるのは、早くても令和5年の後半になるとみられています。
加えて、どの資金移動業者が指定を受けるかが不明です。現状では、PAYPAYや楽天、auなどがサービス提供を検討しているといわれていますが、どの資金移動業者がサービスを開始するかは現時点ではっきりしていません。
さらには、資金移動業者が提供するサービスも不明です。例えば、多くの会社が利用している給与振込サービスが、給与のデジタル払いに対応するのか否か、対応する場合の手数料なども不明です。
このように現時点では、令和5年4月1日に給与デジタル払いが解禁されることは分かっているものの、その制度を支える資金移動業者の指定などが未確定なのです。
給与のデジタル払いの方法
就業規則の改定
デジタルマネーによる給与支払いを行う場合、就業規則(賃金規程)の改定が必要となります。
ポイントは
- 従業員が希望する場合にデジタルマネーによる給与支払いをする場合があること
- デジタルマネーによる給与支払い先の口座を労働者が指定する必要があること
- デジタルマネーによる給与支払い口座が100万円を超える場合、超えた分の異動先となる銀行口座等を指定する必要があること
などです。
第●条(賃金の支払と控除)
1 賃金は、労働者に対し、通貨で直接その全額を支払う。
2 前項について、労働者が同意した場合は、労働者本人の指定する金融機関の預貯金口座又は証券総合口座へ振込により賃金を支払う。
3 第1項について、従業員が希望する場合は、従業員が指定する指定資金移動業者の第二種資金移動業に係る口座へ資金移動により賃金を支払う。
4 次に掲げるものは、賃金から控除する。
① 源泉所得税
② 住民税
③ 健康保険、厚生年金保険及び雇用保険の保険料の被保険者負担分
④ 労働者代表との書面による協定により賃金から控除することとした社宅入居料、財形貯蓄の積立金及び組合費
労使協定の締結
給与のデジタル払いをする場合は、過半数労組もしくは労働者代表と労使協定を締結する必要があります(賃金の口座振込み等について(令和4年11月28日基発1128第4号))
デジタルマネーによる給与支払いに関し、労使協定に記載が必要な事項は以下の事項になります。
(2)口座振込み等の対象となる賃金の範囲及びその金額
(3)取扱金融機関、取扱証券会社及び取扱指定資金移動業者の範囲
(4)口座振込み等の実施開始時期
労使協定の記載例
賃金のデジタルマネー払いに関する労使協定書
○○株式会社(以下「会社」という。)と会社の従業員代表○○○○とは、従業員の賃金の預金口座振込による支払方法に関し、下記のとおり協定する。
(賃金の口座振込払い)
第1条 会社は、従業員各人の同意を得て、本人の指定するデジタルマネー口座に賃金を振り込むことができる。
(対象従業員)
第2条 口座振込払いの対象となる従業員は、会社のすべての従業員とする。
(対象賃金)
第3条 デジタルマネー払いの対象とする賃金は、毎月の給料とし、その金額は、全額または一部で、各従業員の申し出た額とする。
(指定資金移動業者の指定)
第4条 デジタルマネー払いを行う指定資金移動業者の範囲は、●●、●●の範囲内で従業員は指定することができる。ただし、指定資金移動業者を変更する場合は、振込を予定する日から30日以上前に会社に申し出るものとする。
(実施日)
第5条 デジタルマネーによる給与支払いは、令和●年●月●日以降実施する。
(有効期間)
第6条 本協定の有効期間は、締結日から1年間有効とし、満了日の1か月前までに協定当事者のいずれからも申出がないときは、同一条件をもって1年まで更新するものとする。
以上の協定を証するため、本書2通を作成し、記名押印のうえ協定当事者が各々1通ずつ所持する。
年 月 日
○○株式会社 従業員代表 ○○○○ ㊞
○○株式会社 代表取締役 ○○○○ ㊞
※ 銀行の口座払いの場合は、毎月の給与のほか、賞与や退職金も対象とすることが多いですが、デジタルマネーによる給与支払いの場合は、口座残高の限度額が100万円とされているので、協定書の対象から外すことが適当と考えます。
書式ダウンロード(後日追加)
労働者の同意、口座情報の収集
給与のデジタルマネー払いを行うためには、労働者の同意を得る必要があります。
会社が給与のデジタル払いを強制することは違法であり、仮に強制した場合は労基署の調査の対象となりえます。
同意を得る際は、以下のいずれの事項も満たす必要があります。
- 金融機関の口座又は証券総合口座への賃金支払も併せて選択できるようにすること
- デジタルマネーによる給与支払いについて必要な事項を説明すること
同意書例
資金移動業者口座への賃金支払に関する同意書
株式会社 ○○
代表取締役 ○○ 様
私(労働者名)は、資金移動業者口座への賃金支払いについて、以下の内容を確認しました。
□ 使用者から、賃金支払の方法として、厚生労働大臣の指定を受けた資金移動業者(以下「指定資金移動業者」という。)の口座(以下「指定資金移動業者口座」という。)のほか、預貯金口座(銀行口座等)又は証券総合口座への賃金支払も併せて選択肢として提示されたこと
□ 使用者又は使用者から委託を受けた指定資金移動業者から、裏面の留意事項について説明を受け、その内容を確認したこと
その上で、私(労働者名)は、資金移動業者口座への賃金支払いについて以下のとおり選択します。
□ 私(労働者名)は、以下の事項を確認した上で、指定資金移動業者口座への賃金支払に同意し、その取扱いは、下記のとおりとするよう申し出ます。
□ 私(労働者名)は、資金移動業者口座への賃金支払いに同意しません。(こちらを選択する場合、以下の記入は不要です)
記
1.指定資金移動業者口座への資金移動を希望する賃金の範囲及びその金額
※指定資金移動業者口座は、資金の受入上限額が100万円以下とされています。希望する賃金の範囲及びその金額は、裏面の留意事項「2.資金移動業者口座の資金」を確認の上設定することが必要です。
毎月の給与 □ 全額 □ 一部( 円)
※ 受入れ限度額を上回る場合は、超過分を4で指定する講座へ振り込みます。
2.労働者が指定する指定資金移動業者名、サービスの名称、口座番号(アカウントID及び名義人その他口座を特定するために必要な情報があればその事項)
指定資金移動業者名
資金移動サービスの名称
口座番号(アカウントID)
名義人
その他必要であれば口座を特定するために必要な情報(例:労働者の生年月日、電話番号等)
3.指定資金移動業者口座への支払開始希望時期
年 月 日
4. 代替口座として指定する預貯金口座(銀行口座等)又は証券総合口座の口座番号等の情報
金融機関・店舗名
預金又は貯金の種類
口座番号
口座名義
※本口座は、指定資金移動業者口座の受入上限額を超えた際に超過相当額の金銭を労働者が受け取る場合、指定資金移動業者の破綻時に保証機関から弁済を受ける場合等に利用が想定されます。
令和 年 月 日
氏名
(別紙)
資金移動業者口座への賃金支払に関する留意事項
資金移動業者とは、資金決済に関する法律(平成21年法律第59号。以下「資金決済法」という。)に基づき、内閣総理大臣(財務局長に委任)の登録を受けて、銀行その他の金融機関以外の者で為替取引を業として営む事業者です。
【1.労働者の同意】
使用者又は使用者から委託を受けた指定資金移動業者は、労働者に対して、以降に記載する事項について説明しなければなりません。また、資金移動業者口座への賃金支払を行う場合には、使用者は、労働者に対して、賃金支払方法の選択肢として、現金又は資金移動業者口座以外に、預貯金口座(銀行口座又は証券総合口座への賃金支払も併せて提示しなければなりません。仮に、使用者が、賃金支払方法として、現金か資金移動業者口座かの2つの選択肢のみを労働者に提示した場合や、形式的に選択肢を提示していたとしても実質的に労働者に資金移動業者口座への賃金支払を強制している場合には、使用者は、労働基準法(昭和22年法律第49号)第24条に違反し、罰則の対象となり得ます。
【2.資金移動業者口座の資金】
資金移動業者口座の資金は、預貯金口座の「預金」とは異なり、為替取引(送金や決済等)を目的としたものです。労働者が資金移動業者口座への賃金支払を利用する際には、口座への資金移動を行う賃金額は、為替取引(送金や決済等)に利用する範囲内とし、送金や決済等に利用しない資金を滞留させないことが必要です。このため、資金移動業者の口座への資金移動を希望する賃金の範囲及びその金額(希望額等については、労働者の利用実績や利用見込みを踏まえたものとする必要があります。また、希望額等の設定に当たっては、資金移動業者が設定している口座残高上限額100万円以下)及び指定資金移動業者が1日当たりの払出上限額を設定している場合には当該額以下に設定する必要があります。また、賃金支払が認められる資金移動業者口座は、資金の受入上限額が100万円以下となっています。このため、賃金支払に当たって口座の受入上限額を超えた場合の送金先の金融機関名又は証券会社名及びその口座番号等をあらかじめ登録しておく必要があります。仮に受入上限額を超過した際には、あらかじめ登録された預貯金口座等に資金移動業者が送金を行いますが、その際に送金手数料の負担を求められる場合があります。
【3.資金移動業者が破綻した場合の保証】
銀行等の金融機関が破綻した場合には、預金保険法に基づく預金保険制度により一定額の預金が速やかに保護されますが、賃金支払が認められる資金移動業者が破綻した場合には、預金保険制度の対象とはなりません。資金移動業者が破綻した場合には、資金移動業者と保証委託契約等を結んだ保証機関により、労働者と保証機関との保証契約等に基づき、速やかに労働者に口座残高の全額が弁済される仕組みとなっています。
【4.資金移動業者口座の資金が不正に出金等された場合の補償】
賃金支払が認められる資金移動業者口座の資金が労働者の意思に反して権限を有しない者の指図が行われる等の労働者の責めに帰すことができない理由により口座の資金が不正に出金等された際に、労働者に過失が無い場合には損失全額が補償されます。また、労働者に過失がある場合にも損失を一律に補償しないといった取扱いとはされず、少なくとも個別対応とされます。なお、労働者の親族等による払戻の場合、労働者が資金移動業者に対して虚偽の説明を行った場合等においては、この限りではありません。また、損失発生日から一定の期間内に労働者から資金移動業者に通知することが資金移動業者による補償の要件となっている場合には、当該期間は少なくとも損失発生日から30日以上は確保することとなっています。
【5.資金移動業者口座の資金を一定期間利用しない場合の債権】
賃金支払が認められる資金移動業者口座残高について、資金移動業者が利用規約等により有効期限を定める場合には、口座残高が最後に変動した日から少なくとも10年間は債務が履行できるようにされていることとなっています。
【6.資金移動業者口座の資金の換金性】
賃金支払が認められる資金移動業者口座の資金は、現金自動支払機(CD)又は現金自動預払機(ATMの利用や預貯金口座への出金等の通貨による受取が可能となる手段を通じて資金移動業者口座の資金を1円単位で払出をすることができます。また、少なくとも毎月1回は、労働者に手数料負担が生じることなく資金移動業者口座から払出をすることができます。
(以上)
書式ダウンロード(近日公開)
まとめ
以上、給与のデジタル払いについて説明致しましたが、おわかりいただけましたでしょうか。
ポイントは
- 給与のデジタル払いとは、給与の支払方法の選択肢として、労働者が指定する資金移動業者(分かりやすく言えば、PayPay、LINEPay、楽天ペイ、メルペイなどのような業者)の口座への資金移動による支払い(デジタル払い)を認める制度
- 給与のデジタル払いが解禁されることで、「銀行口座→資金移動業者の口座」の手間が省略可され、従業員側のメリットがある
- 会社側としては、従業員(求職者)満足度を上げることができる、手数料が安いというメリットがあるが、他方で、従来の銀行口座への振込に加えて、デジタルマネーによる給与支払いが必要となり、手間が増えるというデメリットがある
- 会社側は給与デジタル払いに応ずる義務はない
- 現時点(2023年1月)で厚労省による資金移動業者の指定もなされておらず、サービス内容も不確定なので、検討のしようがない(2023年10月頃以降まで待つ)
- 就業規則の変更、労使協定の締結、同意書の取得などの手続が必要
ということになります。
ご参考になれば幸いです。