BCGショウケンカイシャ

BGCショウケンカイシャリミテッド事件(東京地裁平成30年6月13日判決)

有期雇用契約の期間中に一方的に退職を申し出て,競合他社に転職し,会社からの警告を無視していたことが,債務不履行だけでなく不法行為に該当するとして,会社による約1200万円の損害賠償請求が認められた例

1 事案の概要

1.1 当事者(登場人物)

X社:勤務先会社(東短ICAP株式会社),日本及び世界の大手金融機関を顧客とする金利スワップ取引、金利オプション取引、クレジットデリバティブ取引等のデリバティブ取引に関する媒介等を業とする株式会社。本件訴訟の原告。

Y1: 労働者,期間2年の有期雇用契約(平成28年5月1日から平成30年4月30日),年俸は6000万円+住宅手当月額80万円,金融取引のスペシャリストとして雇用され,X社のマネーブローカーとしてUSドルの金利スワップ取引を担当,直近2年における年間の獲得手数料(売上)は年間約1億3000万円であり,所経費を控除した利益は年間約3600万円であった。本件訴訟の被告。

Y2社:X社の競業会社(BGCショウケンカイシャリミテッド),BGCグループの一員として,日本国内に東京支店を設け,有価証券の売買,店頭デリバティブ取引の媒介等の業務を行う米国法人。本件訴訟の被告。

1.2 事案の概要

H28年9月 Y1は,X社での勤務に魅力を失っていたところ,Y2社に在籍していた友人Aより誘われてY2への転職を決意。なお,友人AはかつてX社に勤務していた。

H28年9月中旬 Y1は,X社に退職届を提出。X社はY1を慰留するもY1の決意は変わらず。その後,X社とY1は9月末で退職すること等について一旦は合意をしたが,Y1が同合意の前提条件を反故にするような提示をしたため,合意は撤回された為,退職の合意は無くなった。これによりYは少なくとも平成30年4月30日までは労務を提供する義務を負う。

H28年9月29日 X社は,Y1と面談して解決に向けた協議をした。X社は半年間,Y1がY2社へ転職せずに自宅待機すること,その間の給料の60%+社宅の家賃の負担すること等の提示をしたが,Y1は応じなかった。

H28年9月30日 Y1は同日以降,X社に出勤していない。また,10月18日にY2社と労働契約を締結し,11月からはY2社で就労をしている。

平成28年10月中旬 X社はY1及びY2社に対して,Y1は未だX社との雇用契約が続いており,Y2社に勤務することは競業禁止義務違反に該当すること,Y2社がY1を雇用したことは不法行為を構成すること等を警告した。

平成28年12月頃 X社の獲得手数料は減少した。

平成29年3月頃 Y1の後任のマネーブローカーを採用。採用にかかる航空券の費用などは,X社が負担した。

2 BGCショウケンカイシャリミテッド事件判例のポイント

2.1 結論

労働者が有期雇用契約の期間の途中に勝手に競業他社に転職して職務を放棄した事案において,裁判所は「本件労働契約に基づき,労務を提供する義務」「を負っていたにも関わらず,」「(※会社に対する)1か月前の退職の通知により,本件労働契約の一方的な解約が可能であるという誤った理解に基づいて,同日以降原告(※会社)に労務を提供せず」「損害を原告(※会社)に生じさせた」ことは,「原告に対する債務不履行にとどまらず,不法行為に当たるというのが相当である」として,労働者(及び転職先の競業会社)に対して,会社の逸失利益等損害約1100万円,弁護士費用110万円の損害賠償の支払を命じた。

2.2 理由

1 Yらによる共同不法行為の成否に関する判断

Y1の責任

Y1は,本件労働契約上,X社に対し,兼業禁止義務,競業禁止義務を負っていたところ,X社在籍中から,競業会社であるY2社の勧誘を受け,Y2社への入社を決めた。そして,平成28年9月30日以降も引続き,X社に対し,本件労働契約に基づき,労務を提供する義務,兼業禁止義務,競業禁止義務等を負っていたにも関わらず,Y1は,X社に対する1か月前の退職の通知により,本件労働契約の一方的な解約が可能であるという誤った理解に基づいて,同日以降X社に労務を提供せず,X社からの警告を受けた後も,Y2社で就労し続け,損害をX社に生じさせたものであるから,同日から,X社に対し労務を提供せず,その後,10月18日に労働契約を締結した上で,遅くとも平成28年11月からY2社で就労したことは,X社に対する債務不履行にとどまらず,不法行為に当たるというのが相当である。

Y2社の責任

また,Y2社は,そもそも,Y1を勧誘したA氏自体,X社会社での勤務経験もあり,X社会社のマネーブローカーが有期労働契約を締結していることは熟知していたと推認される上,Y1を通じても,本件労働契約が有期労働契約であることを知ることが容易であったにも関わらず,Y1がX社に在職中から,転職を勧誘し,その後,X社に対し本件労働契約が有効に中途解約されたか否かを確認することもなく,Y1と同月18日付けで労働契約を締結し,Y1をY2社で就労させている。Y2社の上記勧誘等の経緯,その後,11月にX社から送られた警告書によって,本件労働契約が継続している等の連絡を受けても,特にこれに応答していないこと等に照らせば,Y2社は,本件労働契約の帰趨に関わらず,かつ,Y1の転職に当たってY2社がX社に対し何らかの金銭的な手当をする意図もなく,Y1にX社での労務提供をやめさせた上で,Y2社で就労させることを謀ったものと推認される。そうすると,Y2社が,警告書を受け取った後もY1をY2社において就労させ続け,X社に損害を生じさせたことは,自由競争の範囲を超えた行為といわざるを得ず,X社に対する故意又は重過失による不法行為に当たるというのが相当である。
そして,上記Y1及びY2社の不法行為の内容には,関連共同性が認められ,Y1及びY2社は,共同不法行為によって生じたX社の損害について,連帯して賠償する責任を負う。

Yらによる共同不法行為による損害額に関する判断

① 逸失利益

上記Yらの不法行為によってX社に生じた損害を検討するに,X社は,平成26年5月から平成28年4月までの2年間におけるY1の獲得手数料等を基に算出した利益の平均を根拠として,平成28年9月15日から平成29年4月30日までの約7か月分に獲得できたであろう利益を算出しているところ,X社のマネーブローカーが行うスワップ取引等は,大手の金融機関のディーラーを顧客とするものであり,その市場自体も限定されるものであること,一般的にこのような取引にはマネーブローカー個人の専門的知見,資質等が要求され,マネーブローカーとディーラーとの個人的な信頼関係が非常に重要であることに照らせば,マネーブローカーが労務を提供しなくなった場合,当該マネーブローカーの雇用主において,当該マネーブローカーの顧客との取引を引続き行ったり,当該顧客から従前同様に新規の受注を受けたりすることは,容易ではなく,さらに当該マネーブローカーが他社に就職した場合には,当該顧客との新規の取引は,他社において当該マネーブローカーに発注される可能性が高いことが推認される。
X社は,マネーブローカーに対し,高水準の賃金を支払っているが,これは,上記マネーブローカーと顧客との関係等から,当該マネーブローカーが,その顧客との関係,マネーブローカー自身の資質等を活用し,労働契約期間中について,ある程度の取引手数料を獲得する見込みがあることを踏まえたものといえるし,X社が,マネーブローカーとの労働契約を有期の労働契約としているのは,当該労働契約期間について,当該マネーブローカーによる手数料収入を確実に得るためという側面もあると解される。
本件において,Y1が平成28年10月1日以降X社に労務の提供をしなかったことで,X社の全体の売上げにどの程度減少が生じたのか,あるいは,Y1が担当した顧客の取引のうち,どの程度の割合の取引が,なおX社に継続し,逆にY2社に移転したのかは必ずしも明らかではない。しかし,X社の売上げに係る取引量の増減には,市場の状況,天変地異,ディーラー側の事情などの要素が関連することも否定し難く(X社代表者本人),仮に,同日以降,X社の取引量が減少していなかったとしても,Y1の労務不提供による影響がなかったとは直ちに断定できない。また,Y1がX社からY2社に移籍したことに伴う,個別の顧客の取引の動向について,明らかにすることも,性質上困難といわざるを得ない。
むしろ,上記で検討したところに加え,Y1の平成26年5月から平成28年4月までの業績をみれば,月による獲得手数料の増減はあるものの,年間でみれば,2年にわたり一定して3500万円程度の利益を得ており,平成28年5月から同年7月までの獲得手数料(3057万7233円であり,1年分に換算すると,約1億2230万円である。)も,前2年の獲得手数料(約1億2586万円から1億2976万円である。)と同水準であったといえること,Y1の年収は6000万円と高額であり,X社は,Y1に一定の補償を支払ってでも,Y2社での就労を阻止しようするなど,X社は,Y1が当該報酬に見合うだけの手数料収入を得ることを期待し,競業他社で就労することを恐れていたといえることからすれば,Y1がX社に対し,労務を提供しなかった期間についても,Y1がX社に対し労務を提供すれば,ある程度の利益を獲得することが十分に期待できたといえる。そうすると,被告らの共同不法行為によって,X社はこれを獲得することができなくなったものであるから,被告らの不法行為と相当因果関係を有する損害が生じているということができる。
そして,その金額については,上記(イ)で検討したとおり,X社の売上の減少あるいはX社及びY2社の取引量の増減等でその額を立証することは,困難であるため,民事訴訟法第248条に基づき,口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づき,相当な損害額を認定するほかない。
そこで,本件訴訟においては,逸失利益の損害額に関し,裁判所からの釈明にも関わらず,当事者双方とも,既に当裁判所に提出されている程度の主張立証にとどまる(弁論の全趣旨)など,当事者の訴訟追行態度にも照らし,Y1がX社にもたらした2年間の利益を参考に,上記2年間のうち,利益が比較的少ない,平成26年5月から平成27年4月までの3596万6402円を基準とし,X社が,Y1が労務を提供しなくなった約5か月後にはY1の後任者のマネーブローカーを採用していること等本件に顕れた一切の事情を踏まえ,その5か月分に相当する1498万6000円の7割である1049万0200円をもって相当と認める。

② 固定費

X社は,本件労働契約が有効であることを前提として社会保険料等合計59万7553円を負担しているところ,Y1が,労務を提供した場合には,Y1が獲得した手数料からこれを回収することができるものであるが(上記イの逸失利益は,固定費を控除した金額を前提としているY1が労務を提供しなかったことにより,X社はこれを負担することになったものであるから,これも被告らの共同不法行為と相当因果関係を有する損害ということができる。

③ 後任者の採用コスト

Y1の退職によって,X社には後任者を採用する必要が生じ,X社は,約5か月後に香港の所在するX社の提携会社から,後任者を得たものであるが,かかる採用コストについて,被告らの共同不法行為と相当因果関係を有するものであるか否か自体に疑義がある上,この採用コストの費目,明細等について,認めるに足りる証拠がない(X社代表者は,本人尋問において,本件に担当者が渡航した費用,後任者の移籍にかかる費用等「数百万円。たしか800万円弱」が生じた旨陳述しており,マネーブローカーという職種の特殊性かつ臨時の採用であったことから,契約期間満了の場合の予測される採用コストよりも一般的に高額であるとも考えられるものの,具体的な金額等を認定するに足りない。)。

④ 弁護士費用

上記イからエで検討したとおり,被告らの共同不法行為により,1108万7753円の損害が生じているところ,X社が,本件訴訟について,訴訟代理人を選任して追行していることは当裁判所に顕かであるから,上記損害の額,本件訴訟の経緯等一切の事情を考慮し,被告らの共同不法行為により生じた弁護士費用として,110万円をもって相当と認める。

3BGCショウケンカイシャリミテッド事件の関連情報

3.1判決情報

裁判官:大野眞穗子(新61期)

掲載誌:TKC法律情報データベース【文献番号】25561403

3.2 関連裁判例

 

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主文

1 Yらは,X社に対し,連帯して1218万7753円及びこれに対する平成28年10月1日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
2 Y1は,X社に対し,161万5164円及びこれに対する平成29年5月26日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
3 X社のその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は,これを5分し,その3をYらの負担とし,その余はX社の負担とする。
5 この判決は,第1項及び第2項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1 請求

1 Yらは,X社に対し,連帯して2200万円及びこれに対する平成28年10月1日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
2 主文2項同旨

第2 事案の概要

本件は,Y1(以下「Y1」という。)と有期労働契約(以下「本件労働契約」という。)を締結し,雇用していたX社が,Yらに対し,Y1が,本件労働契約の契約期間の途中に,X社と合意することなく一方的にX社を退職し,X社の競業会社である被告BGCショウケンカイシャリミテッド(以下「Y2社」という。)に就職し就労したとして,Y1に対しては,当該退職,就職等が労務提供義務,兼業禁止義務等に違反する不法行為に該当する旨主張し,Y2社に対しては,Y1の上記義務を知りつつY1を雇用し,それを継続したことが不法行為に該当する旨主張し,Yらに対し,共同不法行為に基づく損害賠償請求として,連帯して,X社が本件労働契約の残期間においてY1の取引獲得によって得られたであろう手数料収入等の一部である2000万円及び弁護士費用200万円の合計2200万円並びにこれに対する不法行為の後の日である平成28年10月1日から支払済みまで民法所定の年5%の割合による遅延損害金の支払を求める(上記第1の1の請求)とともに,Y1に対し,X社がY1に仮に支給した賞与について,前提とする条件を満たさなくなったことから,法律上の原因を欠く旨主張し,不当利得返還請求権に基づき,当該賞与のいわゆる手取額である161万5164円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成29年5月26日から支払済みまで民法所定の年5%の割合による遅延損害金の支払を求める(上記第1の2の請求)事案である。

1 前提事実

(1)当事者

ア X社は,第一種金融商品取引業,金利スワップ取引,金利オプション取引,金利先渡取引,クレジットデリバティブ取引などのデリバティブズ取引に関する媒介業務及び電子取引基盤運営業務等を目的とする株式会社である。(現在事項全部証明書,弁論の全趣旨)
イ Y1は,X社に雇用され,主として外貨金利デリバティブ取引の媒介を行っていた。
Y2社は,BGCグループの一員として,日本国内に東京支店を設け,有価証券の売買,店頭デリバティブ取引の媒介等の業務を行う米国法人であり,X社の競業会社である。(履歴事項全部証明書,弁論の全趣旨)

(2)本件労働契約

Y1は,平成17年4月14日に,X社との間で期間の定めのある雇用契約を締結して、勤務を開始した。その後,X社との間で有期雇用契約を6回更新し,平成28年4月11日付けで,以下の内容の本件労働契約を締結した。(甲2,弁論の全趣旨)
ア 職務及び年俸等
職務は,X社の外貨スワップデスクのマネージャーの監督下で,マネーブローカーの業務に従事することである。
年俸は6000万円であり,これを12分した金額が,毎月20日に支給される。また,住宅手当として,家具のレンタル費用も含めて月額80万円が支給され,超過費用については,月の賃金から控除される。
イ 本件労働契約の期間
平成28年5月1日から平成30年4月30日まで
ウ 兼業禁止義務
雇用期間中,Y1は,自己のすべての勤務時間,精力,注意,技能及び能力を最大限に自己の職務遂行に注ぎ(X社の被用者として以外,他の一切の地位,他の一切の種類の業務若しくはサービスにおいて,運営し,又は経営,運営又は管理に参加し,又は被用者,役員,取締役,理事,相談役,社長,代理人又は代表者として活動してはならず),取引及びX社の最大の利益を促進するため,誠実かつ勤勉に努力し,本件労働契約に従って,義務と責任を果たす際には,自己の有するすべての知識を会社が利用できるようにしておかなければならない。
エ 競業禁止義務
本件労働契約の期間中及び本件労働契約終了直後の最大3か月間,契約に基づきX社がY1に賃金を支払うことを前提として,Y1は,どのような形であれ,直接又は間接的に以下のことを行わないことに同意する。(1)X社と競業することになる他の事業に,雇用又は別の方法で興味を示し,加わること。ただし,そのような競業事業がホンコン,東京,シンガポール,ロンドン又はニューヨークの金融センターで行われるものに限る。

(3)Y1の退職の申出等

Y1は,平成28年9月15日,X社に対し,退職を申し出た。
Y1は,同月30日以降,X社に出社していない。

(4)Y1及びY2社への警告等

X社は,Y1に対し,平成28年10月17日付け内容証明郵便を送付し,本件労働契約が期間の定めのある契約であり,平成29年4月30日までは,やむを得ない事情がない限り,一方的に解除することはできないこと,X社はY1の退職を認めていないこと,他社に勤務することは競業禁止義務違反に当たることなどを伝えた。(甲6)
X社は,Y2社に対し,平成28年11月7日付け内容証明郵便(同月8日にY2社に配達された。)を送付し,本件労働契約が期間の定めのある契約であり,Y1はX社と雇用関係があること,Y1は,競業禁止義務を負っており,Y2社が本件労働契約が終了していないことを認識しつつY1を雇用したことは,X社に対する不法行為を構成することなどを伝えた。(甲8の1及び2)

(5)本件訴訟に至る経緯等

X社は,平成28年12月14日,当庁に対し,Y1を債務者として,兼業禁止の仮処分を申し立てた(当庁平成28(ヨ)第21102号兼業禁止仮処分命令申立事件)が,X社が平成29年3月7日付けの取下書によって取下げの意思表示をしたことにより,同事件は終了した。
X社は,平成29年4月16日,本件訴訟の訴えを提起し,本件訴訟の訴状は,平成29年4月27日にY2社に,同年5月25日にY1に送達された。
(乙1の1,乙1の5,当裁判所に顕著な事実,弁論の全趣旨)

2 争点及びこれに対する当事者の主張

本件の争点は,X社とY1との間に,本件労働契約の合意解約等を内容とする合意(以下「本件合意」という。)が成立したか否か(争点1),本件合意の成立が認められた場合に,その後,X社とY1との間に,本件合意を撤回する合意が成立したか否か(争点2),Yらによる共同不法行為の成否及びその損害額(争点3)及びY1がX社に対し,賞与を返還する義務を負うか否か(争点4)である。

(1)争点1(X社とY1との間に,本件合意が成立したか否か)に関する当事者の主張

(※省略)

(2)争点2(本件合意の成立が認められた場合に,その後,X社とY1との間に,本件合意を撤回する合意が成立したか否か)に関する当事者の主張

(※省略)

(3)争点3(Yらによる共同不法行為の成否及びその損害額)に関する当事者の主張

ア X社の主張

上記(1)イ及び(2)アのX社の主張のとおり,Y1は,平成28年9月30日以降も,X社に対し,本件労働契約に基づき,労務を提供する義務,兼業禁止義務,競業禁止義務等を負っていたものであるが,同日以降も出社することなく,同年10月18日には,Y2社において勤務を開始し,同月17日付け内容証明郵便によってX社がY1の退職を認めていないことなどを伝えた後も勤務を継続している。このように,本件労働契約上の義務に反し,競業会社であるY2社において勤務を継続し,以下の損害をX社に与えたことは,X社に対する不法行為に当たる。また,Y2社は,遅くとも同年11月7日付け内容証明郵便によって本件労働契約が継続中であり,Y1がX社に対し,上記義務を負っていることを認識したものであるが,そうであるにも関わらずY1の雇用を継続し続けており,それによって以下の損害をX社に与えているのだから,X社に対する不法行為に当たり,Y1との共同不法行為が成立する。
Yらの共同不法行為によって,X社には,以下の(ア)から(エ)までの合計2329万9471円の損害が発生しているところ,X社はこのうち2000万円を一部請求する。
(ア)逸失利益
平成26年5月から平成28年4月までのY1がX社にもたらした利益の額を平均すると,年額3640万1465円であるところ,Y1が職務を遂行する義務を怠った期間は同年9月15日から平成29年4月30日までの約7か月間であるから,同期間に期待される利益は2123万4188円(3640万1465円×7/12)であり,同額の損害がX社に生じている。
Yらは,上記算定において,Y1に係る管理費等が控除されていないと主張するが,Y1個人に関する管理費等は特にない。
(イ)固定費
X社は平成28年10月以降,Y1に関係して187万2553円の固定費を支出しているところ,Y1からの預かり金を控除した59万7553円については,X社に生じた損害である。
(ウ)新たなブローカーの採用コスト
Y1が退職することによって,X社は急遽新たにブローカーを採用する必要が生じた。当該採用にかかった146万7730円は,X社に生じた損害である。
(エ)弁護士費用
上記(ア)から(ウ)までの損害額の合計は2329万9471円を上回るところ,本件訴訟ではその一部である2000万円を請求する。そして,上記額に照らせば,Yらの共同不法行為によって,Yらが負担すべき弁護士費用は200万円を下らない。

イ Yらの主張

上記(1)ア,(2)イのYらの主張のとおり,本件合意によって,本件労働契約は平成28年9月30日付けで合意解約され,Y1が,Y2社で就労を開始したのも同年11月上旬からであるから,Yらは不法行為責任を負わない。また,以下のとおり,X社が主張する損害(上記ア(ア)から(エ)まで)も発生していない。
(ア)逸失利益について
Y1は,X社に就職した時点で既に多数の顧客との人間関係を形成していたところ,X社在職中に顧客との関係を培った事実は否定しないが,ことさらに高額な接待費をX社に負担させたわけでもなく,Y1が退職したことによるX社の取引仲介手数料収入の減少,X社の市場における地位の低下は認められないのであるから,逸失利益は否認する。X社は,Y1の退職によって,Y1が担当していた顧客との取引をすべて失った訳ではない。また,X社の主張では,管理費等が考慮されていない。
顧客がどの会社を通じて取引をするかは,顧客の自由であり,X社の元顧客がY2社を通じて取引をしていたとしても,X社に実害は発生していない。
(イ)固定費について
否認する。
(ウ)新たなブローカーの採用コストについて
仮にY1が平成29年4月30日まで就労していたとしても採用コストは発生するのであるから,損害といえない。
(エ)弁護士費用について
争う。

(4)争点4(Y1がX社に対し,賞与を返還する義務を負うか否か)に関する当事者の主張

ア X社の主張

X社は,Y1に対し,平成28年5月1日から同年7月31日までY1が獲得した手数料収入(3057万7233円)を前提として,300万円(手取りは161万5164円)の賞与を仮払いした。
同年5月からの1年間にY1が獲得した手数料収入は4505万4199円なので,1年間の賞与の合計は(4505万4199円-6000万円)×0.25となり,マイナスが生じている。したがって,少なくとも上記支払済みの賞与の手取額である161万5164円については,法律上の原因がなくY1が利得していることから,不当利得として,返還を求める。

イ Y1の主張

上記アでX社が主張する,仮払いの賞与の支給を受けたことは認める。
Y1は平成28年9月30日付けで合意退職しているところ,中途退職の場合,年間の賞与の計算において,控除する金額は,在籍期間に応じた金額(6000万円に対し,在籍期間の割合をかけた金額)とすべきであるから,Y1に支払われる年間の賞与は,(4505万4199円-2500万円)×0.25=501万3550円となる。X社からは,このうち300万円しか支払われていないことから,むしろ201万3550円の未払賞与が生じており,不当利得は生じていない。

第3 当裁判所の判断

1 争点1(X社とY1との間に,本件合意が成立したか否か)及び争点2(本件合意の成立が認められた場合に,その後,X社とY1との間に,本件合意を撤回する合意が成立したか否か)について

なお,この項において,特に年の表示がない日付は,平成28年の日付である。

(1)認定事実(掲記証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。)

ア Y1の退職の申出等

(ア)Y1は,X社における就労に魅力を失っていたところ,友人であるA氏から誘われ,9月上旬頃,Y2社に入社することを決めた。なお,A氏は,かつてX社に勤務していたこともあったが,Y1を勧誘した当時から現在まで,ロンドンに所在するY2社のグローバル本社において勤務している。
(乙2の17から19,Y1本人)
(イ)Y1は,同月15日,X社の従業員に対し,X社代表者宛ての退職届を手渡した。同退職届には,Y1が,TullettとX社との共同事業の将来が不明瞭な中で,これ以上X社において勤務を続けることが難しいことなどを理由とし,退職届を提出するに至ったこと,X社代表者等に対する感謝の言葉等が記載されていた。同日,X社代表者はX社の取締役とともに,Y1を慰留したものの,Y1はX社を退職する意向を変えなかった。同日の話合いにおいては,Y1は,X社に対し,X社を退職後,Y2社に転職する予定であることは告げなかった。
Y1とX社代表者は,翌16日,再びY1の去就について話し合ったところ,Y1は,X社を退職した後,Y2社の東京支店で勤務する予定であることを告げた。
X社代表者は,Y1に対し,同月末日付けでX社はY1の退職を認めること,Y1がY2社で就労を始める日を11月1日とすること,Y1は同年10月中は就労をせず,X社はY1に対し,同月中の賃金を支払わないこと及びX社は,Y1に対し,期間途中での契約解除に関し,損害賠償等の法的な請求をしないことなどを提案した。
上記提案に対し,Y1は,これを受け容れようと考え,「Yes」と返答した。
(甲3,13,乙5,X社代表者本人,Y1本人)
(ウ)上記X社代表者とY1の面談の後,X社の従業員であり社会保険労務士であるq6(以下「q6氏」という。)は,X社代表者からの指示を受け,Y1との間で,Y1が住んでいたアパートをどのようにX社が引き継ぐか,原状回復費用をX社又はY1のどちらが負担するか等についてメールでやり取りをした。
(乙2の11,X社代表者本人)

イ Y1からX社代表者に宛てた電話の内容等

(ア)Y1は,9月23日,滞在先のイタリアからX社代表者に架電し,Y1が依頼した弁護士から,本件契約においてY1が退職の意思をX社に伝えれば,Y1の義務は終了すること,Y1には,基本的に2つ選択肢がある旨聞いたことを告げた。その2つの選択肢とは,Y1が10月1日にY2社での就労をスタートする,又は,X社がY1を11月1日まで就労させないというのであれば,X社がY1に対し,同日までの賃金とY1が居住する社宅の家賃を支払わなければならないというものであった。
Y1は,X社代表者の考えを知りたいと告げ,Y1とX社代表者は,同月29日にX社の事務所で再び話しをすることを約した。
(乙2の10,X社代表者本人,Y1本人)
(イ)Y1は,同月28日に,q6氏に対し,Y1がX社に退職届を同月15日に提出し,同届けによって4週間後に通知が効力を発する(退職できる)ことに満足していること,X社はY1に対し,10月1日から給与等を支払わないこと,11月1日まで就労を開始しないよう求めているが,これは,日本において違法であること,自身の善意を示すために4週間の通知が果たされるまで(判決注:退職届の提出から4週間が経過するまでの意味と解される。)は,Y2社において就労しないこの等をメールで伝えた。
(乙2の11,X社代表者本人,Y1本人)

ウ 9月29日のY1とX社代表者との会話等

(ア)9月29日に,Y1は,X社の事務所を訪れ,X社代表者と話した。
X社代表者は,Y1に,Y1が4週間前までの通知の提出によって本件労働契約を解除できると主張している根拠がわからず,X社の顧問弁護士にも,そのような解除はできないことを確認したと伝えたところ,Y1は,自らが相談した弁護士によれば,有期契約は1か月前の事前通告によって,解約が可能だと説明していることを伝え,X社がY1に賃金と家賃を支払うのであれば,Y1は(判決注:Y2社で就労せずに)待機する旨述べた。
(乙2の16,X社代表者本人,Y1本人)
(イ)X社代表者は,Y1に対し「あなたはあなたの手続きが正しく合法と主張し,私は私たちの手続きが正しく合法だと信じている。だからこの点につき話し合わなければならない。今,私は私の条件を撤回しなければならない。」と告げ,Y1は「わかった。」と回答した。その後,X社代表者は,「その前までは,私には契約解除を拒否する権利があった。これが法律上の,労働法上の私の理解だ。私は何らかの妥協をしようと努め,あなたは一度は合意したものの,それを拒否してしまった。それを撤回してしまった。それを破棄してしまった。それゆえ今となっては,私は私の提案を撤回しなければならない。」と告げ,Y1は「わかった。次のステージはどうなるのか」と尋ねた。
それに対し,X社代表者は「今,私は契約満了前でのあなたの契約解除には応じられない。基本的には,あなたには出勤し,会社のために働いてほしい。これが私のプランだ。通常に戻す。」と告げ,Y1は「私には,私の状況(手続き)が正しいと言っているアドバイザーがいる。」旨答えた。
(乙2の16,X社代表者本人,Y1本人)
(ウ)その後,X社代表者はY1に対し,新たに6か月間,Y1が在籍し,自宅待機を命ずる代わりに,X社がY1に対し6割の賃金及びY1が居住する社宅の家賃を支払うことなどを提案し,X社代表者は,「私たちは(互いに)権利を放棄するのだ。説明したように。交換条件だろう。いずれにせよよくあることだ。だから私は口頭で提案をした。あなたは誰かに相談するのだろう。」と尋ねた。Y1は「もちろんだ。」と答えた後に「もし私がそれ(判決註:X社代表者の上記提案)を望まなければ何が起こるのか?その選択肢を受入れなければ,次の選択肢は何か?」と尋ね,X社代表者は,「何も変わらない。あなたは労働上のステータスを変更することはできない。」と答えY1は「わかった。」と答えた。
X社代表者は,Y1に,対案を提示することなどを提案し,Y1は,同日の会合後に書面又は電話で回答をする旨伝えた。
(乙2の16,X社代表者本人,Y1本人)
(エ)上記会合の後,Y1は,X社に対し,連絡をしなかったことから,X社は,Y1に対し,10月17日付けで警告(前記第2の1(4)の前提事実)を送った。
(X社代表者本人,Y1本人)

エ 雇用保険に関する問い合わせ等

Y1がX社に出社しなくなった後,ハローワーク飯田橋の担当者からX社に対し,平成29年1月6日付けで「雇用保険被保険者の在籍確認のお願い」と題する書面が交付された。当該書面には,Y1に関し,他の事業所から,資格取得届が提出されたこと,その資格取得日は10月18日であること,X社は,Y1の在籍を確認する必要があることなどが記載されていた。
Y1とY2社との間の労働契約の締結日は,10月18日となっている。
(乙2の15,X社代表者本人,Y1本人)

(2)争点1(X社とY1との間に,本件合意が成立したか否か)に関する判断

ア 本件労働契約は,有期労働契約であるところ,当事者は,やむを得ない事由がない限り,期間の途中に一方的に契約を解除することはできず(民法第628条),期間の途中に契約を解約するためには解約に関する合意が必要であるが,上記合意の要件として書面によることまでは必要ではなく,解約に関する当事者の意思の合致があれば足りると解される。
Y1は,9月15日に,X社に対し,退職の意思を告げ,同日にはX社代表者との面談を行っている(上記(1)ア(イ))ところ,翌16日には,X社代表者は,Y1に対し,Y1がX社を退職後に,Y2社に就職することを聞いた上で,X社が,Y1が同月30日付けで退職することを認めること,Y1が11月1日までY2社で就労しないこと,X社は,Y1に対し,10月分の賃金を支払わないこと,X社は,期間途中での契約解除に関し,Y1に対し,法的な請求をしないことを提案している。X社は,全てのマネーブローカーとの契約について,期間の定めのある労働契約を締結している(X社代表者本人)というのであるから,X社代表者は,期間の定めのある労働契約の解除に関する法規制については,十分に承知していたと解され,上記提案は,Y1が11月1日までY2社で就労しないこと,X社がY1に対し,10月分の賃金を支払わないことを条件として,Y1が9月30日付けで退職する,すなわち本件労働契約を,同日をもって合意により解約することに同意すること及びX社に対し損害賠償請求をしないことを提案する意思表示と解するのが相当である。
そして,これに対し,Y1は特に条件をつけることなくYesと回答し(上記(1)ア(イ))ており,これは,X社の上記提案をそのまま受諾する旨の意思表示とみるのが相当であることから,この時点で,X社とY1との間で,Y1が9月30日付けで退職する(同日をもって,本件労働契約を合意解約する。)ことを含む本件合意が成立したと解される。

イ この点について,X社は,9月16日の時点では書面を交わしておらず,本件合意が成立する見込みがあったに過ぎない,合意は仮合意に過ぎないなどと本件合意の成立を否定するものの,上記面談後,q6氏がX社代表者からの指示を受け,Y1との間で,Y1が居住するアパートの引継ぎの調整等を行っている(上記(1)ア(ウ))など、X社は同月30日にY1が退職することを前提として準備を進めていることが認められるし,X社代表者自身,本人尋問において,仮合意であったとしても一方的にこれを覆すことはできない旨陳述していること,本件合意に至る経緯に照らしても,本件合意の成立に何らかの条件が留保されていたなどという事情も認められないことから,X社の上記主張を容れることはできない。

(3)争点2(本件合意の成立が認められた場合に,その後,X社とY1との間に,本件合意を撤回する合意が成立したか否か)に関する判断

ア 本件合意の性質

本件合意に関するX社とY1との間の合意の有無について検討する前提として,本件合意の性質について検討する。
本件合意は,〔1〕同年9月30日付けでY1がX社を退職する(同日をもって,本件労働契約を合意解約する)こと,〔2〕Y1は同年11月1日まで,Y2社で就労しないこと,〔3〕X社は,Y1に対し,同年10月分の賃金を支払わないこと及び〔4〕X社は,Y1に対し,損害賠償請求をしないことという4つの条項で構成されているところ,上記(2)アで説示した,X社代表者が本件合意を提案し,Y1がこれを受諾した経緯,本件労働契約は有期労働契約であり,Y1は,平成28年5月1日から1年を経過するまでは,やむを得ない事由がない限り,一方的に本件労働契約を解除することはできない(民法第628条,労働基準法第137条)こと等に照らせば,〔1〕から〔4〕までの条項はそれぞれ独立したものではなく,〔2〕から〔4〕までの条項を条件として〔1〕の条項が合意された一体の合意と解するのが相当である。

イ 本件合意を撤回する合意の成否

(ア)Y1は,9月23日に,X社に対し,Y1が10月1日にY2社での就労を開始することを認めるか,X社がY1を11月1日まで就労させないというのであれば,その期間の賃金と家賃を支払わなければならないという2つの選択肢を提示した(上記(1)イ(ア))が,この日には,X社代表者との間で,9月29日に会合を設けることが決められた(上記(1)イ(ア))にとどまるから,X社とY1との間で本件合意に関し何らかの合意がされたとは認められない。
(イ)次に,Y1は,9月29日の会合においても,有期労働契約であっても1か月前までの事前告知をすれば,労働者からの解約をすることができるという理解を前提に,X社がY1に対し,賃金と家賃を支払えば,待機すると述べており(上記(1)ウ(ア)),これは,同月23日に提案した2つの提案(上記(1)イ(ア))を維持する趣旨と解される。
Y1の上記2つの選択肢の提案の内容自体をみれば,本件合意のうち,〔2〕(Y1は同年11月1日まで,Y2社で就労しないこと)又は〔3〕(X社は,Y1に対し,同年10月分の賃金を支払わないこと)に関する変更の提案とも解されるが,上記アで説示した,本件合意の一体性を前提とすれば,直接的には〔2〕又は〔3〕に関する提案であっても,本件合意全体の効力に関するものと解さざるを得ず,本件合意全体に対する変更の提案すなわち本件合意を撤回した上で,新たな合意を締結することを申し込む意思表示と解するのが相当である。
この点,Yらは,Y1には,9月29日当時,本件合意のうち,〔1〕(Y1が9月30日付けで被告を退職すること)については,撤回する意思はなかった旨主張し,Y1も,本人尋問において,同月29日当時,退職合意を撤回するかと問われたならば,それに対しては拒否したであろう旨陳述する。しかし,本件合意の性質については,上記アで既に説示したとおりであるし,本件合意の成立の経緯等を見ても,上記本件合意の性質は,Y1にとっても自明であったといえる。しかも,Y1は,28日に,q6氏に対し,退職届の提出の日(9月15日(上記(1)ア(イ)))から4週間が経過した後に,Y2社と労働契約を締結するつもりであると伝え(上記(1)イ(イ)),実際に,Y2社とは10月18日を締結日として新たに労働契約を締結している(上記(1)エ。なお,Yらは,契約書の作成自体は11月初旬である,10月中は稼働していなかったなどと主張するが,雇用保険上も10月18日が加入日であり(上記(1)エ),実際に稼働していたかはともかく,同日からY1とY2社が労働契約を締結し,雇用関係にあったことは明らかである。)のであるから,結局,9月29日の時点で,Y1は,本件労働契約の解除については,1か月前の退職の通知のみで足り,X社からの同意は不要であると考えていたというのが相当である。そうであれば,同日の時点で,Y1が,本件合意の〔1〕を維持することに固執する理由はないのであるから,上記Yらが主張するような,本件合意のうち,〔2〕又は〔3〕のみを変更しようと考えての提案と解することはできず,〔1〕についても撤回する意思は有効に存在していたというのが相当である。
(ウ)そして,このようなY1の提案に対し,X社代表者は,「その前まで私には契約解除を拒否する権利があった。私は何らかの妥協をしようと努め,あなたは一度は合意したもののそれを拒否してしまった。それを撤回してしまった。私は私の提案を撤回しなければならない。」と応答している(上記(1)ウ(イ))ところ,これは,Y1の意思表示の内容を確認するとともに,これに同意する意思表示であることは明白であり,Y1も「次のステージはどうなるのか」と問い返していることからして,この時点で,X社代表者の意思表示を十分に理解していたといえる。したがって,遅くともこの時点で,本件合意全体を撤回することについて,両者の意思が合致したとみるのが相当である。
なお,Yらは,X社代表者が,Y1に対し,本件合意の〔1〕についても撤回する意図があるか否か明確に確認しなかったことについても論難するが,本件合意の性質がY1にとっても明らかなものであることは,既に上記(イ)で説示したとおりであるし,X社代表者は,再三にわたり,Y1が前提とする,1か月前の通知で自由に本件労働契約を解約できるという理解が誤っていることについて説明し,上記誤りは法律上も明らかな事実なのであるから,仮に,Y1の意思表示の前提に何らかの誤信があったとしても,それはY1自身の重過失に基づくものといわざるを得ず,いずれにしても,本件合意の撤回に関し,何らかの影響を及ぼす事情とはいえない。
(エ)以上のとおり,本件合意は9月29日の時点でX社とY1との合意によって撤回され,その効力を失ったものであるから,Y1はX社に対し,本件労働契約上,平成30年4月30日(本件労働契約の終期)まで,労務を提供する義務を負う。(ただし,労働基準法第137条により,Y1は,契約期間の初日(5月1日)から1年を経過する日以後は,X社に申し出ることにより,いつでも退職することができる。)

2 争点3(Yらによる共同不法行為の成否及びその損害額)について

(1)認定事実(掲記証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。)

ア X社の業務等

(ア)X社の業務は,各種商品の先物取引,先渡取引,オプション取引及びスワップ取引等のデリバティブズ取引に関する媒介等であり,顧客は日本及び世界の大手金融機関である。X社の媒介業務を担当する従業員は,マネーブローカーと称され,X社には,約50名程度のマネーブローカーが在籍している。マネーブローカーには,高度で専門的な商品知識,情報収集能力,瞬時の判断力が要求されるほか,顧客である金融機関のディーラーとの個人的な信頼関係を築く対人能力も求められる。X社の上記媒介業務における取引額は大きく,顧客は大手金融機関に限定されることから,競業会社との間では,限られた顧客との取引を獲得するため,競争が行われている。また,顧客の取引を獲得するためには,顧客のディーラーとマネーブローカーとの間の個人的な信頼関係が非常に重要であり,信頼関係を築くために,接待等のコストを要し,X社はこれを負担している。
X社は,マネーブローカーが受注した顧客との取引に基づき,顧客ごとに,1か月単位で取引をまとめ,顧客に手数料を請求する。当該手数料は,取引ごとに発生する。
X社は,全てのマネーブローカーとの間で,有期労働契約を締結しており,また,マネーブローカーに対し,高水準の賃金を支給している。
(甲13,X社代表者本人)
(イ)Y1は,X社のマネーブローカーとして,主としてUSドルの金利スワップ取引を担当し,X社で同取引を担当するマネーブローカーの中では比較的高い手数料収入を得ていた。
Y1の平成26年5月から平成27年4月までの獲得手数料は,合計1億2586万7005円,同年5月から平成28年4月までの獲得手数料は,合計1億2976万0397円であり,同年5月から同年7月までの獲得手数料は3057万7233円であった。上記手数料から,Y1に対する年俸,賞与,社会保険料等を控除すると,X社には,平成26年5月から平成27年4月までは3596万6402円,平成27年5月から平成28年4月までは3683万6528円の利益が生じ,2年間の平均は3640万1465円である。
Y1が退職した直後の平成28年12月頃のX社の獲得手数料は減少した。
(甲9,X社代表者本人)

イ 平成28年10月以降にX社が負担した固定費等

X社は,平成28年10月から平成29年3月までの間,Y1の社会保険料,福利厚生倶楽部会費,ロッカーの使用代,社宅の家賃等として,187万2553円を支払った。Y1は,X社に対し,社宅の家賃相当額として127万5000円全額を支払っていることから,これを控除すると,被告が負担した固定費は,59万7553円である。(甲10)

ウ Y1の後任者の採用

X社は,Y1の退職を受けて,後任のマネーブローカーを採用した。採用までには5か月程度を要し,最終的に,香港にあるX社の提携会社に在籍していたマネーブローカーを採用することとなった。当該採用にかかる航空券の費用などは,X社が負担した。(X社代表者本人,弁論の全趣旨)

(2)争点3(Yらによる共同不法行為の成否及びその損害額)に関する判断

ア Y1及びY2の責任

①Y1の責任
Y1は,本件労働契約上,X社に対し,兼業禁止義務,競業禁止義務を負っていた(前記第2の1(2)ウ,エの前提事実)ところ,X社在籍中から,競業会社であるY2社の勧誘を受け,Y2社への入社を決めた(上記1(1)ア(ア))。そして,上記1(3)において説示したとおり,本件合意の合意による撤回により,平成28年9月30日以降も引続き,X社に対し,本件労働契約に基づき,労務を提供する義務,兼業禁止義務,競業禁止義務等を負っていたにも関わらず,Y1は,X社に対する1か月前の退職の通知により,本件労働契約の一方的な解約が可能であるという誤った理解に基づいて,同日以降X社に労務を提供せず(前記第2の1(3)の前提事実),X社からの警告(前記第2の1(4)の前提事実)を受けた後も,Y2社で就労し続け,下記イの損害をX社に生じさせたものであるから,同日から,X社に対し労務を提供せず,その後,同月18日に労働契約を締結した上で,遅くとも同年11月からY2社で就労したこと(Y1本人)は,X社に対する債務不履行にとどまらず,不法行為に当たるというのが相当である。

②Y2の責任
また,Y2社は,そもそも,Y1を勧誘したA氏自体,X社会社での勤務経験もあり(上記1(1)ア(ア)),X社会社のマネーブローカーが有期労働契約を締結していることは熟知していたと推認される上,Y1を通じても,本件労働契約が有期労働契約であることを知ることが容易であったにも関わらず,Y1がX社に在職中から,転職を勧誘し,その後,X社に対し本件労働契約が有効に中途解約されたか否かを確認することもなく(弁論の全趣旨),Y1と同月18日付けで労働契約を締結し,Y1をY2社で就労させている。Y2社の上記勧誘等の経緯,その後,X社から同年11月7日付け内容証明郵便によって,本件労働契約が継続している等の連絡を受け(前記第2の1(4)の前提事実)ても,特にこれに応答していない(弁論の全趣旨)こと等に照らせば,Y2社は,本件労働契約の帰趨に関わらず,かつ,Y1の転職に当たってY2社がX社に対し何らかの金銭的な手当をする意図もなく,Y1にX社での労務提供をやめさせた上で,Y2社で就労させることを謀ったものと推認される。そうすると,Y2社が,同年11月8日に同月7日付けの内容証明郵便を受け取った後もY1をY2社において就労させ続け,X社に下記イの損害を生じさせたことは,自由競争の範囲を超えた行為といわざるを得ず,X社に対する故意又は重過失による不法行為に当たるというのが相当である。
そして,上記Y1及びY2社の不法行為の内容には,関連共同性が認められ,Y1及びY2社は,共同不法行為によって生じたX社の損害について,連帯して賠償する責任を負う。
そこで,以下では,上記Yらの共同不法行為によってX社に生じた損害の額を検討する。

イ 逸失利益

(ア)上記Yらの不法行為によってX社に生じた損害を検討するに,X社は,平成26年5月から平成28年4月までの2年間におけるY1の獲得手数料等を基に算出した利益の平均を根拠として,平成28年9月15日から平成29年4月30日までの約7か月分に獲得できたであろう利益を算出しているところ,X社のマネーブローカーが行うスワップ取引等は,大手の金融機関のディーラーを顧客とするものであり,その市場自体も限定されるものである(上記(1)ア(ア))こと,一般的にこのような取引にはマネーブローカー個人の専門的知見,資質等が要求され(弁論の全趣旨),マネーブローカーとディーラーとの個人的な信頼関係が非常に重要である(上記(1)ア(ア))ことに照らせば,マネーブローカーが労務を提供しなくなった場合,当該マネーブローカーの雇用主において,当該マネーブローカーの顧客との取引を引続き行ったり,当該顧客から従前同様に新規の受注を受けたりすることは,容易ではなく,さらに当該マネーブローカーが他社に就職した場合には,当該顧客との新規の取引は,他社において当該マネーブローカーに発注される可能性が高いことが推認される。
X社は,マネーブローカーに対し,高水準の賃金を支払っている(上記(1)ア(ア))が,これは,上記マネーブローカーと顧客との関係等から,当該マネーブローカーが,その顧客との関係,マネーブローカー自身の資質等を活用し,労働契約期間中について,ある程度の取引手数料を獲得する見込みがあることを踏まえたものといえるし,X社が,マネーブローカーとの労働契約を有期の労働契約としている(上記(1)ア(ア))のは,当該労働契約期間について,当該マネーブローカーによる手数料収入を確実に得るためという側面もあると解される。

(イ)本件において,Y1が平成28年10月1日以降X社に労務の提供をしなかったことで,X社の全体の売上げにどの程度減少が生じたのか,あるいは,Y1が担当した顧客の取引のうち,どの程度の割合の取引が,なおX社に継続し,逆にY2社に移転したのかは必ずしも明らかではない。しかし,X社の売上げに係る取引量の増減には,市場の状況,天変地異,ディーラー側の事情などの要素が関連することも否定し難く(X社代表者本人),仮に,同日以降,X社の取引量が減少していなかったとしても,Y1の労務不提供による影響がなかったとは直ちに断定できない。また,Y1がX社からY2社に移籍したことに伴う,個別の顧客の取引の動向について,明らかにすることも,性質上困難といわざるを得ない。
むしろ,上記(ア)で検討したところに加え,Y1の平成26年5月から平成28年4月までの業績をみれば,月による獲得手数料の増減はあるものの,年間でみれば,2年にわたり一定して3500万円程度の利益を得ており,平成28年5月から同年7月までの獲得手数料(3057万7233円であり(上記(1)ア(イ)),1年分に換算すると,約1億2230万円である。)も,前2年の獲得手数料(上記(1)ア(イ)のとおり,約1億2586万円から1億2976万円である。)と同水準であったといえること,Y1の年収は6000万円と高額であり,X社は,Y1に一定の補償を支払ってでも,Y2社での就労を阻止しようする(上記1(1)ウ(ウ))など,X社は,Y1が当該報酬に見合うだけの手数料収入を得ることを期待し,競業他社で就労することを恐れていたといえることからすれば,Y1がX社に対し,労務を提供しなかった期間についても,Y1がX社に対し労務を提供すれば,ある程度の利益を獲得することが十分に期待できたといえる。そうすると,Yらの共同不法行為によって,X社はこれを獲得することができなくなったものであるから,Yらの不法行為と相当因果関係を有する損害が生じているということができる。

(ウ)そして,その金額については,上記(イ)で検討したとおり,X社の売上の減少あるいはX社及びY2社の取引量の増減等でその額を立証することは,困難であるため,民事訴訟法第248条に基づき,口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づき,相当な損害額を認定するほかない。
そこで,本件訴訟においては,逸失利益の損害額に関し,裁判所からの釈明にも関わらず,当事者双方とも,既に当裁判所に提出されている程度の主張立証にとどまる(弁論の全趣旨)など,当事者の訴訟追行態度にも照らし,Y1がX社にもたらした2年間の利益を参考に,上記2年間のうち,利益が比較的少ない,平成26年5月から平成27年4月までの3596万6402円(上記(1)ア(イ))を基準とし,X社が,Y1が労務を提供しなくなった約5か月後にはY1の後任者のマネーブローカーを採用していること(上記(1)ウ)等本件に顕れた一切の事情を踏まえ,その5か月分に相当する1498万6000円の7割である1049万0200円をもって相当と認める。

ウ 固定費

上記(1)イのとおり,X社は,本件労働契約が有効であることを前提として社会保険料等合計59万7553円を負担しているところ,Y1が,労務を提供した場合には,Y1が獲得した手数料からこれを回収することができるものであるが(上記イの逸失利益は,固定費を控除した金額を前提としている(上記(1)ア(イ)参照)。)Y1が労務を提供しなかったことにより,X社はこれを負担することになったものであるから,これもYらの共同不法行為と相当因果関係を有する損害ということができる。

エ 後任者の採用コスト

Y1の退職によって,X社には後任者を採用する必要が生じ,X社は,約5か月後に香港の所在するX社の提携会社から,後任者を得たものである(上記(1)ウ)が,かかる採用コストについて,Yらの共同不法行為と相当因果関係を有するものであるか否か自体に疑義がある上,この採用コストの費目,明細等について,認めるに足りる証拠がない(X社代表者は,本人尋問において,本件に担当者が渡航した費用,後任者の移籍にかかる費用等「数百万円。たしか800万円弱」が生じた旨陳述しており,マネーブローカーという職種の特殊性かつ臨時の採用であったことから,契約期間満了の場合の予測される採用コストよりも一般的に高額であるとも考えられるものの,具体的な金額等を認定するに足りない。)。

オ 弁護士費用

上記イからエで検討したとおり,Yらの共同不法行為により,1108万7753円の損害が生じているところ,X社が,本件訴訟について,訴訟代理人を選任して追行していることは当裁判所に顕かであるから,上記損害の額,本件訴訟の経緯等一切の事情を考慮し,Yらの共同不法行為により生じた弁護士費用として,110万円をもって相当と認める。
カ 以上のとおり,Yらの共同不法行為により,X社には合計1218万7753円の損害が生じており,Yらは,共同不法行為に基づく損害賠償として,連帯して,上記損害及びこれに対する本件不法行為の後の日から支払済みまで民法所定の年5%の割合による遅延損害金をX社に対し支払う義務を負うから,前記第1の1の請求は,上記範囲で理由がある。

3 争点4(Y1がX社に対し、賞与を返還する義務を負うか否か)について

(1)認定事実(掲記証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。)

ア Y1に対する賞与に関する定め
X社とY1は,平成28年4月11日,本件労働契約に関連して奨励賞与の仕組みに関する合意(以下,「本件賞与合意」という。)を締結した。本件賞与合意は,以下のとおり,賞与の額,支給方法等を定めるものである。(甲11)
(ア)賞与の額
(年間取引仲介手数料純額-6000万円)×25%
(イ)支給方法
賞与は四半期ごとに計算され,最初の3四半期は,以下の計算によって計算される。ただし,取引仲介手数料純額及び計算結果については,100万円未満を切捨てる。
(当該四半期の取引仲介手数料純額-1500万円)×25%
最終の四半期については,先行する3四半期に支給された賞与の総額を,上記(ア)の計算式の結果から控除することによって計算される。ただし,最終四半期の賞与の額については,1円未満の端数は1円に切り上げる。病気その他の事由により,年間の賞与の総額(上記(ア)の計算式の結果)が,先行する3四半期に支給された賞与の総額よりも少ない場合には,Y1は,過払分の賞与をX社に返還しなければならない。

イ Y1に支給された賞与の額等
上記2(1)ア(イ)のとおり,Y1は,平成28年5月から同年7月まで,3057万7233円の手数料を獲得したところ,X社は,上記ア(イ)の計算式に基づき,同年8月19日,Y1に対し,第1四半期(平成28年5月1日から同年7月31日)の賞与として,300万円((3000万円-1500万円)×25%=375万円。100万円以下を切り捨て,300万円となる。)を支払った。(当該金額から所得税等を控除した,いわゆる手取りの金額は,161万5164円である。)
Y1が平成28年5月から平成29年4月までの1年間に獲得した手数料は,4505万4199円である。
(甲9,11,12)

(2)争点4(Y1がX社に対し,賞与を返還する義務を負うか否か)に関する判断

上記1(3)で説示したとおり,本件合意は合意により撤回されているから,本件労働契約は,平成29年4月まで有効に存在しており,Y1が平成28年5月から平成29年4月までの1年間に獲得した手数料は4505万4199円である(上記(1)イ)から,上記(1)ア(ア)の賞与の計算式によれば,上記1年間のY1の賞与はマイナスとなる((4505万4199円-6000万円)×25%=約-373万円)。したがって,Y1の年間の賞与額が,先行する3四半期に支給された賞与の総額よりも少ないため,本件賞与合意上,Y1は,X社に対し,第1四半期に支給された賞与を返還する義務を負う。
そして,本件労働契約の終期は平成30年4月30日であり,既に終了しているが,現在に至るまで,Y1は,上記第1四半期に支給された賞与をX社に返還しておらず(弁論の全趣旨),これを不当に利得しているため,少なくとも,いわゆる手取額である161万5164円(上記(1)イ)については,X社に返還する義務があるというのが相当である。
したがって,第1の2の請求については,理由がある。

第4 結論

以上のとおり,X社の請求は,主文の限度で理由があるからこれを認容し,その余については理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第36部
裁判官 大野眞穗子

 

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