人事本部長として雇用された労働者に対する適格性を欠くとしてなされた解雇が有効とされた裁判例
1 判例のポイント
1.1 人事本部長としての地位が特定された雇用契約か否か
雇用契約書などにより人事本部長としての地位を特定していなかったと思われるが,採用に至る経緯として,会社が日本人の人事本部長の適任者を捜していたところ,Xは前職で人事関係のキャリアを積み,人事本部長となることを希望して応募してきたことなどの経緯から,人事本部長という地位を特定した雇用契約であると判断した。
1.2 能力不足を理由に解雇をする場合,どの地位を基準に判断されるか?
人事本部長という職務上の地位を特定した雇用契約であるので,人事本部長としての適格性の有無を基準に検討すれば足り,一般社員としての適格性を基準に判断する必要は無いと判断した。
1.3 関連裁判例
1.4 参考記事
1.5 判決情報
- 裁判官:鈴木潔,鹿山春男,岡山宏
- 掲載誌:労働判例437号41頁
2判例の内容
2.1 事案の概要
外資系の大企業が,組織上社長に次ぐ最上級管理職4名のうちの1名である「人事本部長」として,昭和51年10月15日,Xを期間の定めなく中途採用した。入社後,会社はXに人事本部長としての職務に適応する訓練並びに従業員やその職務についての認識を深めてもらい,組織の再編成の役に立つと考え,55の給与職(事務職)について,担当者との面接や分析などを含めたレポート作成を命じた。その前からXは,その執務態度について,人事の分野に注意・努力を集中すべきこと,課せられた事務は自ら処理して能力を実証すべきこと,連絡文書は自ら起案作成すべきことを重ねて指導されていた。それにもかかわらず,Xは5つの職の者との面談を済ませただけで,要求されていた職務を著しく怠るなど執務態度の改善がみられないため,会社は就業規則の解雇事由にあたるとして昭和52年8月末日をもってXを解雇した。
2.2 判断
2.2.1人事本部長としての地位が特定された雇用契約か否か
前示のとおり、原告は、被告会社の一般の従業員として入社した後昇進して人事本部長になつたのではなく、人事本部長として中途採用されたものであり、成立に争いのない甲第四ないし第六号証、同第一七号証、同第三三号証の二、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第一号証並びに証人c、同d、同aの各証言及び原審及び当審における控訴人本人尋問の結果を総合すれば、被控訴人はフアスパツクの統轄のもとにあり、昭和五一年九月当時、被控訴人には社長のもとに、工場長、財務本部長、営業本部長及び人事本部長の四つの最上級管理職が配置されており、その従業員は約三五〇名であつたこと、人事本部は労務部と人事部に分れ、労務部には、労務部長、クラーク各一名、人事部には、人事部長、看護婦、安全保安課長各一名、守衛一〇名が配置され、上記人員に人事本部長及びその秘書一名を加え、人事本部所属の従業員は一七名であつたこと、従業員は月給制(事務系統)と時間給制(現業系統)に分れていたこと、被控訴人は右当時各本部長に日本人をあてる方針を樹てていたこと、被告会社は原告の前任者であつたaの後任として、日本人の人事本部長の適任者を捜していたこと、国際経営顧問協会(以下「イムカ」という。)は、昭和五一年四月、被告会社に対し、人事本部長の候補者として原告の履歴書を送付してきたこと、原告は被告会社に採用される前は外資系(米国)の会社である日本IBMに約一六年間在籍し、その間同社の労務課長、人事部長、人事担当マネジヤー、副社長補佐、社長補佐、GBG人事担当マネジヤー等ほぼ一貫して人事の仕事をしてきたものであること、被告会社としては、原告を人事本部長として採用するにあたり、原告が米国で教育を受けたという学歴及び右職歴に注目したこと、そして、被告会社は、同年九月六日付で原告に対し、月額報酬七五万三七〇〇円、試用期間経過後は同社から自動車を貸与する等の待遇で人事本部長として被告会社に入社するように申し出したこと、原告は右申し出を受けて被告会社に対し、同月一三日付書簡で、同社申し出の条件で受諾する旨通知したこと、原告が日本IBMを辞めて被告会社に入社した理由の一つは、仕事が人事の仕事で、しかも人事本部長という地位で採用されることにあつたこと、もし提供される職位が人事本部長ではなく一般の人事課員であつたならば、原告は被告会社に入社する意思はなかつたこと、被告会社としても原告を人事本部長以外の地位・職務では採用する意思がなかつたこと等が認められ、以上の事実を総合すれば、本件契約は、人事本部長という地位を特定した雇用契約であると解するのが相当である。
2.2.2 能力不足を理由に解雇をする場合,どの地位を基準に判断されるか?
人事本部長という職務上の地位を特定した雇用契約であつて、原告の特段の能力を期待して中途採用したという本件契約の特殊性に鑑み、前記(一)の原告の執務状況を検討すると、特に(イ)機会あるごとに、自己に課せられた仕事を部下に委譲する形ではなく、自ら仕事を担当する(デイレクターという形ではなく、被告会社のいうワーキング・マネジヤーとして)という方法で執務することを期待されていたにもかかわらず、執務開始後約六か月になつてもそれが改善されなかつたこと、(ロ)ジヨブ・オーデイツトの目的を認識し又は認識しえたにもかかわらず、人員整理の完了した後である昭和五二年四月二〇日までに、五五の職のうち五人に面接したのみで、原告に要求されていた職務を著しく怠つていたこと、とりわけ、同年三月にb社長に対し同月末日までに面接を完了する予定であると報告しながら、全くそれを行わなかつたこと、(ハ)被告会社の執務方法に習熟する機会を与えられながら、かつ、被告会社においては社長の決裁だけでなくフアスパツクの承認が必要である事項が留保されていることを認識し、さらに、部下の助言を無視して規則違反を行つた等の原告の執務態度は、被控訴人における最上級管理職の一つである人事本部長として備えるべき適格性を欠き、規則(ト)にいう「業務の履行又は能率が極めて悪く、引き続き勤務が不適当と認められる場合」に該当し、ひいては、規則(リ)にいう「雇用を終結しなければならないやむを得ない業務上の事情がある場合」にも該当する、と解するのが相当である。
原告は、規則(ト)の「従業員の業務の履行又は能率が極めて悪く、引き続き勤務が不適当と認められる場合」を適用して原告を解雇するためには、同人の業務の履行又は能率が極端に不良で、これを矯正したり他に配置換えをする等の余地がなく、被告会社から排除する以外に方法がない場合でなければならない旨主張するが、本件契約が前記二2において認定のとおり人事本部長という地位を特定した雇用契約であるところからすると、被告会社としては原告を他の職種及び人事の分野においても人事本部長より下位の職位に配置換えしなければならないものではなく、また、業務の履行又は能率が極めて悪いといえるか否かの判断も、およそ「一般の従業員として」業務の履行又は能率が極めて悪いか否かまでを判断するものではなく、人事本部長という地位に要求された業務の履行又は能率がどうかという基準で規則(ト)に該当するか否かを検討すれば足りるものというべきである。
3.3 判決文(抜粋)
一1 請求の原因1、3の事実及び原告が昭和五一年九月一三日、契約の始期を同年一〇月一五日、試用期間九〇日の約束で、被告会社の人事本部長として雇用されたこと、同五二年一月一四日に試用期間が満了し、引き続き雇用されたことは当事者間に争いがない。
2 原告は昭和五二年一月一五日以降被告会社の終身雇用の従業員であると主張するので、この点につき検討する。
成立に争いのない甲第四号証、同第九号証並びにc、同aの各証言によれば、原告が被告会社に入社した当時、被告会社の定年が満五五歳であつたこと、原告が試用期間を満了した後は、同人は被告会社の「パーマネント・エンプロイー」となつたこと、被告会社においては、パーマネント・エンプロイーとは試用期間経過後の本採用たる地位、すなわち期間の定めのない雇用を意味するものであり、何らかの理由によつて解雇されないかぎりいわゆる終身雇用の慣行に従つて雇用される地位であることが認められ、右事実によれば、パーマネントとは永久という意味ではなく、被告会社の就業規則に定める雇用の終結事由に該当しないかぎり被告会社から排除されないという地位を意味するものと解するのが相当であり、右の認定、判断を左右するに足りる証拠はない。
二 被告会社は、原告の業務の実績は、同社の組織上社長に次ぐ最上級管理職四名のうちの一名である人事本部長の地位にあるものとしては積極性を欠き、能率が極めて悪い等、同社において同人を右の地位において引き続き勤務せしめることが不適当と認められ、その結果、このまま雇用を継続することができない業務上の事情が存在するのであるから、規則(ト)及び(リ)により原告を解雇した旨主張するので、検討することとする。
1 被告会社が原告に対し、本件解雇の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。
2 そこで、まず本件雇用が、被告会社主張のような人事本部長という地位を特定した契約であるか否かを検討する。
前示のとおり、原告は、被告会社の一般の従業員として入社した後昇進して人事本部長になつたのではなく、人事本部長として中途採用されたものであり、成立に争いのない甲第四ないし第六号証、同第一七号証、同第三三号証の二、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第一号証並びに証人c、同d、同aの各証言及び原審及び当審における控訴人本人尋問の結果を総合すれば、被控訴人はフアスパツクの統轄のもとにあり、昭和五一年九月当時、被控訴人には社長のもとに、工場長、財務本部長、営業本部長及び人事本部長の四つの最上級管理職が配置されており、その従業員は約三五〇名であつたこと、人事本部は労務部と人事部に分れ、労務部には、労務部長、クラーク各一名、人事部には、人事部長、看護婦、安全保安課長各一名、守衛一〇名が配置され、上記人員に人事本部長及びその秘書一名を加え、人事本部所属の従業員は一七名であつたこと、従業員は月給制(事務系統)と時間給制(現業系統)に分れていたこと、被控訴人は右当時各本部長に日本人をあてる方針を樹てていたこと、被告会社は原告の前任者であつたaの後任として、日本人の人事本部長の適任者を捜していたこと、国際経営顧問協会(以下「イムカ」という。)は、昭和五一年四月、被告会社に対し、人事本部長の候補者として原告の履歴書を送付してきたこと、原告は被告会社に採用される前は外資系(米国)の会社である日本IBMに約一六年間在籍し、その間同社の労務課長、人事部長、人事担当マネジヤー、副社長補佐、社長補佐、GBG人事担当マネジヤー等ほぼ一貫して人事の仕事をしてきたものであること、被告会社としては、原告を人事本部長として採用するにあたり、原告が米国で教育を受けたという学歴及び右職歴に注目したこと、そして、被告会社は、同年九月六日付で原告に対し、月額報酬七五万三七〇〇円、試用期間経過後は同社から自動車を貸与する等の待遇で人事本部長として被告会社に入社するように申し出したこと、原告は右申し出を受けて被告会社に対し、同月一三日付書簡で、同社申し出の条件で受諾する旨通知したこと、原告が日本IBMを辞めて被告会社に入社した理由の一つは、仕事が人事の仕事で、しかも人事本部長という地位で採用されることにあつたこと、もし提供される職位が人事本部長ではなく一般の人事課員であつたならば、原告は被告会社に入社する意思はなかつたこと、被告会社としても原告を人事本部長以外の地位・職務では採用する意思がなかつたこと等が認められ、以上の事実を総合すれば、本件契約は、人事本部長という地位を特定した雇用契約であると解するのが相当である。
原告は、入社前の面接において、(イ)採用後の職務については、人事関係の業務のほか、広報及び工場の購買関係の業務をも担当させる可能性があること、(ロ)被告会社が将来日本の自動車会社を買収する計画が実現した際には、原告はその買収した会社の人事本部長をも兼ねること、さらに(ハ)原告の努力如何によつてはフアスパツクの人事本部長になる可能性もある等と告げられていることから、本件契約は人事本部長という地位を特定した雇用契約ではない旨主張する。
しかしながら、被告会社が原告に対し、採用後の職務について原告主張のような事実を告知したかどうかはさておき、仮に右事実を告知したとしても、右事実は本件契約が人事本部長という地位を特定した契約であることを妨げるものではないと解すべきである。なぜなら、前記(イ)は人事本部長として人事関係の業務が中心であつて、将来被告会社の都合及び原告の能力に応じて人事の業務に加えてその他の職務の拡大の可能性があるというにすぎず、結局、本件契約の職務の中心は人事関係にあることになり、また(ロ)及び(ハ)は、いずれも仕事の内容自体は人事関係の仕事であり、しかも原告が被告会社の人事本部長として能力を十二分に発揮すれば、被告会社の発展に伴つて、原告自身の地位も同社の人事本部長よりもさらに昇進する可能性があるということを示されているにすぎず、結局、これらは人事本部長の仕事とほぼ同一の仕事をするけれどもその権限が拡大するあるいは昇進する可能性を示されているにとどまり、以上のような事情は、本件契約を人事本部長という地位を特定した契約であると解する妨げとはならないからである。
そして、他に右認定、判断を左右するに足りる証拠はない。
3 次いで、原告が被告会社の人事本部長として規則(ト)の「業務又は能率が極めて悪」かつたのかどうかを検討する。
(一) 前記二2で認定した事実と、成立に争いのない甲第七号証同第一三号証の一ないし二二、同第一九号証の一ないし三(但し後記信用しない部分を除く。)、同第二〇号証、同第三四号証、乙第一二号証の一ないし三、証人cの証言により真正に成立したと認められる乙第一〇、一一号証、証人aの証言により真正に成立したと認められる乙第五号証の一、同第六号証並びに証人c、同d、同aの各証言及び原告本人尋問の結果(ただし、後に信用しない部分を除く。)を総合すれば、原告が人事本部長として就労して以来の勤務状況及び昭和五二年四月二〇日に人事本部長の解任を通告されるに至る経緯について、次のような事実が認められる。
(1) 原告は昭和五一年一〇月一五日から被告会社で、前任者であるaの指導・監督の下で人事本部長として執務を始めたが、aは原告に対し初めは何も担当させず、全時間を被告会社の政策・やり方等に関する文書を読んで理解するように、また、横浜の子安工場における仕事の性質及び被告会社の組織機構を理解するようにさせていた。
(2) 子安工場は、昭和五一年一〇月一八日から同年一二月中旬までの間、翌五二年一月一七日から翌月中旬までの間、過半数の従業員がレイ・オフに入つたため、一部閉鎖の状態となり、更にその間に年末年始の休日もあり、そのうえ、控訴人は同年二月六日から同月二四日までの間、フアスパツクにおける研修に参加し、さらに同年三月一五日から翌月四日までの間は、希望退職者の募集計画が実施されたため、控訴人が直接従業員と接触する機会は制限されていたとはいうものの、控訴人は同計画の実施過程で、各職場から選出された従業員代表者との会合を持つた程度であり、同工場に足を運んで個々の従業員に対する認識を深めるための努力を十分にしなかつた(当時被控訴人の従業員は労働組合を結成していなかつたが、控訴人に人事本部長として、主導的立場で個々の従業員と接触することが期待されたのは、必ずしも労働組合結成の阻止を目的としたものではなく、直接個々の従業員から労働環境ないし労働条件等につき意見を聴取し、労使関係を円満な状態に保つことについての資料を収集することにあつたのである。)。
(3) 控訴人の前勤務先である日本IBMは、被控訴人よりもはるかに多数の従業員を擁する大規模な会社であるため、同社の管理職は事務処理の円滑を図る上で部下に事務を委譲することが多く、かかる大会社の人事部長の経験から控訴人が同一の執務態度で被控訴人の事務を処理することになれば、控訴人の部下の執務量が過多となるので、bは、当面、控訴人の教育・訓練をも兼ねて、部下の仕事が過量となることを回避するため、控訴人に対し、文書の起案、作成及びテレツクス打ちを部下に委譲せず、自ら実行するよう指示した。しかし控訴人は文書の重要な部分の起案を部下に命ずることが多く、その執務態度を改善しようと努力しなかつた。その結果、b及びa社長は控訴人の文書作成能力及び事務処理能力を低く評価せざるをえなかつた。
(4) bは同五二年一月五日付で控訴人についての第一回目の勤務評定をした。同評定を要約すれば、(一) 控訴人は業務を部下に委譲し、仕事の完成につき部下から相当の助力を受け、仕事の結果を再調査するにすぎない、(二) 控訴人は巨大な組織内で業務を担当していた職歴に禍いされて、直接従業員と接触するなどして、親密かつ友好的な関係を作り出そうとする行動に欠けている、(三) 控訴人は管理職と微妙な問題につき討議するとき、慎重な態度に欠ける、(四) 控訴人は各種の文書を自ら作成しない、ということであり、そのころbは、控訴人との間で、右勤務評定中の各点につき、話し合いをし、改善するよう指導した。
(5) 右指導後も、控訴人の執務態度には変化がみられなかつた。そこで、bは、同年一月一八日控訴人に対し、人事の分野に注意・努力を集中すべきこと、課せられた事務は自ら処理して能力を実証すべきこと、連絡文書は自ら起案作成すべきことを要望した(右要望の事実は当事者間に争いがない。)。
(6) 同年一月二五日付でbによつて第二回目の勤務評定がなされた。これを要約すると、(一) 控訴人は本来の任務である人事関係の業務でなく、経営企画及び広報関係の業務に熱意を示す傾向にある、(二) 控訴人は文書作成等の仕事を部下に委譲している、(三) 自己の本来の業務とそれ以外の従たる仕事の処理の順序を判断する能力に欠けている、というものであり、総じて控訴人の執務状況はbを安心させるものではなく、控訴人は人事本部長の職務及びこれに関連する被控訴人の方針・手続等を理解していないように見受けられた。
(7) 同年一月二五日当時、b、c労務部長、d人事部長はジヨブ・オーデイツトを分担実施中であつた。bは控訴人に対し、d人事部長とともに、五五の職についてのジヨブ・オーデイツトを実施するよう指示したが、控訴人はこのうち五つの職について実施したにすぎなかつた(右事実のうち控訴人に関する部分は当事者間に争いがない。)。他方d人事部長は三二の職についてこれを実施した。
ところで、ジヨブ・オーデイツトの本来の目的ないし効用は、各従業員の担当する仕事の質、量、内容等を把握し、職場の組織変更等の要否を検討する資料を収集することにあるが、控訴人に対する関係では、右目的以外に、ジヨブ・オーデイツトの実施を通じて、控訴人を小規模な被控訴人の人事部長としての職務に適応するよう訓練し、これにより、控訴人にかかる適応能力のあることを実証させるとともに、面接した従業員に対する個人的な理解を深めるという狙いもあつた。そこでbは、当初から、控訴人に対し、早期にジヨブ・オーデイツトを完了するよう強く指示した。控訴人がbの指示どおり実施していれば、前示の五つの職だけでなく、d人事部長と匹敵する数量の作業を遂行できる状況にあつたにもかかわらず、控訴人はジヨブ・オーデイツトの本来の目的のみを力説し、bの指示に従わなかつた。
(8) 同年二月六日から同月二四日までの間、原告はオーストラリアにあるフアスパツクにおいて、人事本部長としての執務に慣熟するために研修を受けたが(右事実は当事者間に争いがない。)、人事本部の常務に関する事柄には関心を示さず、研修の成果はあまりあがらなかつたとの評価を受けた。
(9) 同月二四日、原告は帰国するに際し、当時フアスパツクにいたaと会つたが(右事実は当事者間に争いがない。)、同人は原告に対し、帰国後は自ら仕事をするようにして、他人に仕事を任せるというやり方を改めるように、また、ジヨブ・オーデイツトを続けて行うようにと激励した。
(10)(イ) 控訴人の指導にあたつていたbは昭和五二年二月三日から同年四月三〇日までの間、フアスパツクに出張し、控訴人は同年三月初旬から単独で人事本部長の職務を行つた(この点は当事者間に争いがない。)。同月一五日から実施された人員整理計画(右計画実施については当事者間に争いがない。)において、希望退職者六〇名を予定し、退職希望者との面接は、各部門の部長とc労務部長が担当し、控訴人は同計画の実施に関しては、その細部の方策ないし計画の樹立を担当し、むしろ、ジヨブ・オーデイツトの完結に力を注ぐようbから指示されていた。
(ロ) a社長が同年三月控訴人に対し、ジヨブ・オーデイツトの進行状況を尋ねた際、控訴人は全調査を翌四月二五日に完了すると答えた(右事実は当事者間に争いがない。)。
(ハ) a社長は控訴人から提出されるジヨブ・オーデイツトの結果をみて、控訴人の文書作成能力、分析力、決断力等を評価しようとしたが、その後全く進捗しないため、同年三月末に至つても右の評価はできなかつた。
(ニ) 控訴人がフアスパツクの研修終了後も、ジヨブ・オーデイツトを実施しなかつたので、a社長は、同年四月一日控訴人に対し、再度進行状況の報告を求めた(右事実は当事者間に争いがない。)。ところが、その実施が遅滞しているうちに、そのころ工場長や営業部長らから、職場の組織変更の案件が提示されるに及び、控訴人は右組織変更の解決まで残りのジヨブ・オーデイツトの実施を延引せざるをえないことになり、やむなくその完了時期が一、二か月先になると回答した(右事実は当事者間に争いがない。)。
(11) 被告会社は、同年三月一五日から工場部門の人員整理を始めたが、その目標人数が六〇人でe工場長の考えていた数を三〇人上回つていたため、同工場長は希望退職に応じた者も即日退職させるのではなく同月三一日まで雇用するように主張し、原告は右要求に応じた。退職が決まつた者の退職までの勤務状況は悪く、フオアマン(職工長)や退職勧告を受けていない一部の工員からは退職が決定した工員を早く退職させるべきだとの声があがつたほどであり、この間完成車の車体に意識的に行つたとみられる引つかき傷が何台かに出た。
(12) 従前子安工場の警備は、警備保障会社から派遣される警備員と被控訴人の従業員(守衛)二名によつてなされていたが、昭和五一年一月経費削減の一環として、同会社への警備委託が廃止され、被控訴人の時間給制従業員(工員)五名が月給制従業員たる守衛に配転された。
ところが同五二年三月一五日から実施された人員整理により、六〇名が希望退職し、かえつて、時間給制従業員に不足を生じたため、工場長、生産部長らから守衛のうち五名を工場の現場に配転されたいとの要請を受けた控訴人は、a社長の了解を得て、同年四月四日右守衛五名に現場への配転を命じ、同工場の警備は警備保障会社に委託することとし、同月六日からこれを実施した。
しかし守衛を工員に配転することは、月給制従業員の定員の変更を伴うため、被控訴人の事務処理手続上、右配転については、フアスパツクの承認を受けることが要件とされていた。控訴人は、このことを知つていたにもかかわらず、同月四日フアスパツクに対する承認の上申手続をしただけで、c労務部長、d人事部長の助言に従うことなく、前示のとおり配転を実施したところ、フアスパツクは同月一五日被控訴人に対し財務上の理由により不承認の通知をした。
(13) 原告の人事本部長としての能力に疑問をいだき続けていた被告会社は、前記(12)の執務規則違反をみるに至つて原告の人事本部長からの解任を決定し、aをして、同月二〇日、原告に対し人事本部長を解任する旨告知させた。
以上の認定に反する第一九号証の一ないし三の各供述記載部分並びに原審及び当審における控訴人本人の各供述部分は前掲各証拠と対比するとたやすく信用できず、他に右の認定を左右するに足りる証拠はない。
(二) 次に、前記二2において認定のとおり被告会社は、原告を一般の従業員の雇用とは異なり、被告会社では社長に次ぐ四名の最上級管理職の一名にあたる人事本部長という職務上の地位を特定して、原告の過去における教育及び経験に照らし、特段の能力を保有するものとして、早期に人事本部長としての職務に習熟し、被控訴人の規則及び方針に従つて執務してくれるものと期待し中途採用したものであること、さらに、被告会社における執務方法については、前記(一)で認定したとおり、原告において人事本部長としての職務に十分習熟する機会を与えられていたことに加えて、成立に争いのない甲第二〇号証によれば、被告会社においては、いわゆる日本の会社に比べ執務の手続きを複雑に定め、その方式は完全にアメリカ・フオード社の規則を被告会社に適用していることが認められ、右の認定を左右するに足りる証拠はない。
(三) 以上のような事実を総合して考慮すると、人事本部長という職務上の地位を特定した雇用契約であつて、原告の特段の能力を期待して中途採用したという本件契約の特殊性に鑑み、前記(一)の原告の執務状況を検討すると、特に(イ)機会あるごとに、自己に課せられた仕事を部下に委譲する形ではなく、自ら仕事を担当する(デイレクターという形ではなく、被告会社のいうワーキング・マネジヤーとして)という方法で執務することを期待されていたにもかかわらず、執務開始後約六か月になつてもそれが改善されなかつたこと、(ロ)ジヨブ・オーデイツトの目的を認識し又は認識しえたにもかかわらず、人員整理の完了した後である昭和五二年四月二〇日までに、五五の職のうち五人に面接したのみで、原告に要求されていた職務を著しく怠つていたこと、とりわけ、同年三月にb社長に対し同月末日までに面接を完了する予定であると報告しながら、全くそれを行わなかつたこと、(ハ)被告会社の執務方法に習熟する機会を与えられながら、かつ、被告会社においては社長の決裁だけでなくフアスパツクの承認が必要である事項が留保されていることを認識し、さらに、部下の助言を無視して規則違反を行つた等の原告の執務態度は、被控訴人における最上級管理職の一つである人事本部長として備えるべき適格性を欠き、規則(ト)にいう「業務の履行又は能率が極めて悪く、引き続き勤務が不適当と認められる場合」に該当し、ひいては、規則(リ)にいう「雇用を終結しなければならないやむを得ない業務上の事情がある場合」にも該当する、と解するのが相当である。
原告は、規則(ト)の「従業員の業務の履行又は能率が極めて悪く、引き続き勤務が不適当と認められる場合」を適用して原告を解雇するためには、同人の業務の履行又は能率が極端に不良で、これを矯正したり他に配置換えをする等の余地がなく、被告会社から排除する以外に方法がない場合でなければならない旨主張するが、本件契約が前記二2において認定のとおり人事本部長という地位を特定した雇用契約であるところからすると、被告会社としては原告を他の職種及び人事の分野においても人事本部長より下位の職位に配置換えしなければならないものではなく、また、業務の履行又は能率が極めて悪いといえるか否かの判断も、およそ「一般の従業員として」業務の履行又は能率が極めて悪いか否かまでを判断するものではなく、人事本部長という地位に要求された業務の履行又は能率がどうかという基準で規則(ト)に該当するか否かを検討すれば足りるものというべきである。
さらに、原告は、規則(リ)の「雇用を終結しなければならないやむを得ない業務上の事情がある場合」とは、被告会社に存する業務上の事由例えば経営困難による人員削減、組織変更による部門又は役職の廃止により従業員を解雇する場合等を指すものと解すべきであり、被告会社についてはそのような事由は生じていないと主張するが、既に右認定のとおり規則(ト)に該当する以上これのみに基づいて原告を解雇することができるものであるばかりでなく、規則(リ)の事由の中には、原告主張のような事由も含まれると解せられるものの、右のように本件契約が人事本部長という地位を特定した契約であり、かつ、原告が人事本部長として規則(ト)に該当すると認められる以上、このような場合等も規則(リ)に定める事由に該当すると解するのが相当である。
(四) 原告は、人員整理において多大の功績を挙げた旨主張するが、証人cの証言によれば、工員を成績順に分類する方法は必ずしも原告個人の発想とはいえないことが認められ(この認定を左右するに足りる証拠はない。)、また、人員整理の戦略に参加することは、人事部門の最高責任者である人事本部長としては当然の業務であるということができ、さらに、原告本人尋問の結果によれば、ある意味では最も困難でかつ重要であると思われる工員個人との希望退職に関する面接・説得を原告は全く行つておらず、専らc労務部長が担当したことが認められる。また、e工場長を納得させるために行つた退職日の延期は、完成車に対する損傷の発生という形で現われ、同工場長を納得させる方法としては、必ずしも適当なものと評価されるものではなかつた。
次に、原告が人員整理以外の業績として掲げた事実を検討すると、証人cの証言によれば、まず鶴見の土地の利用法については、必ずしも原告本人の発想によるものではなく、集団討議の中で出されたものであることが認められ、また、ジヤパン・プロフイールと称する資料の作成にあたつても、すべて原告本人が作成したというものではなく、c労務部長ら人事部門の職員が援助して作成されたものであることが認められ、右の認定を左右するに足りる証拠はなく、また、フロントエンジン・フロントドライブ車に関する調査については、原告本人尋問の結果によれば、被告会社においては原告だけが担当したことが認められるが、それが人事本部長としての功績と呼べるかは疑問であるし、成立に争いのない甲第二五号証、原審証人cの証言、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果によれば、昭和五一年一二月三〇日控訴人とa社長との間で、管理者業績評定書が作成され、翌五二年中に達成すべき控訴人の業務目標の一つとして、人員整理の実施が掲げられたこと、同年四月四日ころまでに右人員整理が計画どおり達成されたこと、控訴人は人事本部長として右実施にあつたことが認められる。しかしながら、控訴人が人事本部長として右計画の実施にあたることは、職務上当然であり、しかも、同計画は当時被控訴人においてその実現が必須とされていたものであり、この遂行にあたつては、c労務部長及びd人事部長らの努力が多大であつたことは、前掲c証言によつて明らかであるから、右人員整理の目標が達成されたからといつて、人事本部長としての適格性が十分であると速断することはできないものというべく、その目標達成に至る過程及び人事本部長の職務全般の処理にわたつて、被控訴人の方針、就業規則の定め及び監督上の指示を忠実に遵守しなければ人事本部長としての適格性を具備しているとはいえないものというべきところ、(一)に認定(本判決における訂正後のもの)の控訴人の執務態度、その実績に照らせば、右目標の達成にもかかわらず、(三)の認定判断を動かすことはできない。
三 控訴人の当審における予備的請求について判断する。
成立に争いのない甲第四五号証によれば、被控訴人の就業規則一〇条に「当会社はその判断で従業員の配置転換、又は転勤を命じることができる。従業員は、正当な理由がない限り、転勤又は配置転換を拒否することはできない。」と規定されていることは明らかであり、また控訴人が本来人事関係に属しない業務に当つたことのあることは原判決四七枚目裏三行目から同末行までに説示(本判決で附加した分も含む。)のとおりである。しかしながら、先に判示のとおり控訴人・被控訴人間の本件雇用契約は、控訴人の学歴・職歴に着目して締結された、人事本部長という地位を特定した契約であつて、控訴人としては提供される職位が人事本部長でなく一般の人事課員であつたならば入社する意思はなく、被控訴人としても控訴人を人事本部長以外の地位・職務では採用する意思がなかつたというのであり、また、原審証人エイ・エム・bの証言によれば、前記説示にかかる業務は、被控訴人の組織部分の間隙に介在する分野のものであつて、従前から、各部門において適宜分掌していたことが認められ、これによると、右業務は人事本部長の職務に付随するものにすぎないから、控訴人が被控訴人から右業務の処理を命ぜられたことがあつたからといつて、控訴人の職務上の地位にいささかも変動をもたらすものではなく、したがつて、被控訴人には控訴人を人事本部長として不適格と判断した場合に、あらためて右規則一〇条に則り異なる職位・職種への適格性を判定し、当該部署への配置転換等を命ずべき義務を負うものではないと解するのが相当である。
以上によれば、控訴人の当審における予備的請求は、その余の判断をするまでもなく失当というべきである。
四 次に、原告は、同人が規則(ト)及び(リ)に該当するとしても、同人が被告会社に雇用される以前から解雇されるまでの経緯に鑑み、本件解雇は権利の濫用である旨主張するのでその当否を検討する。
1 前掲甲第四、第五号証、同第一七号証、同第一九号証の一、原審証人エイ・エム・bの証言、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果によると、控訴人とbはeによつて紹介され、昭和五一年四月ころから就職の交渉に入つたこと、被控訴人は、それ以前から、人員整理の必要に迫られていたこと、しかし、六回以上にわたる両者の面談及び書類の交換の機会に、人員整理問題は話題に上らなかつたこと、bは同年九月六日控訴人に対し人事本部長への就職方の申入れをしたこと、控訴人は同月一三日右申入れを承諾し、同月三〇日に日本IBMに退職願を提出したところ、翌一〇月五日ころbから人員過剰問題を知らされたこと、控訴人は同月一五日から被控訴人の人事本部長として執務を開始したことが認められる。しかし前示のとおり、被控訴人が人事本部長を控訴人に交代したのは、本部長職に日本人を充てることが適当であると判断したためであり、控訴人に対し人員整理完徹の責任を負わせるだけの目的で、同人を採用したものであることを認めるに足りる証拠はなく、また人員整理問題は人事関係の最上級管理職である人事本部長に就職しようとする者としては当然に予想すべき事柄であり、この点に危惧があれば入社までに十分な期間が存したのであるから、自らの責任で調査確認の上就職の可否を決すべきであり、被控訴人としては、控訴人の就職前には、同人に対し、積極的に、会社にとつて最上級の機密事項に属する人員整理計画の存在について告知すべき義務があるとはいえないと解するのが相当である。
2 次に、被告会社が原告を試用期間中(昭和五一年一〇月一五日から同五二年一月一四日まで)に解雇しなかつた理由は、成立に争いのない乙第一二号証の一ないし三並びに証人aの証言によれば、試用期間中に被告会社が原告の人事本部長としての能力を判定することを怠つたというよりは、むしろ原告の立場を考慮し、その能力を実証する機会を与えたためであることが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はなく、前記3(一)ないし(三)において認定判断したように人事本部長としての適格性に欠け、規則(ト)及び(リ)に該当する事由が認められる以上、試用期間中に解雇しなかつたことをもつて権利の濫用となる余地はないというべきである。
3 さらに、被告会社が原告に対し、しばしば警告を与え、矯正の機会を与えていたことは、前記二3(一)において認定したとおりである。
4 加えて、成立に争いのない乙第四号証、証人aの証言により真正に成立したと認められる乙第三号証、同証人の証言及び原告本人尋問の結果を総合すると、被告会社は、昭和五二年四月二〇日、原告に対し、人事本部長から解任する旨告知するとともに、原告の再就職にも配慮し、日本IBMへの復職を実現するために米国のIBM本社に推薦状を出したり、重役斡旋会社からの照会に対し、原告に有利な回答等を行つたこと、同年五月九日、原告は被告会社の代理人であるaに対し、同年六月末まで在籍したい、人事本部長解任発令後は出社しなくてもよいようにしてもらいたい、原告に貸与されている社用車を有利な価格で譲渡して欲しい旨申し入れ、被告会社は右申し出に同意したことが認められ、このような事実からすると円満退職の方向に動いていた事実が認められること、しかし、円満退職で解決しなかつたため、最終的に同年七月二八日付書面で、同年八月末日限り解雇する旨の意思表示をしたことが認められ、右の認定を左右するに足りる証拠はない。
5 なお、控訴人が人員整理その他の業務の執行にあたり、前示認定の限度で、被控訴人に対する貢献をしたとしても、それは人事本部長として当然になすべき職務の一端を行つたにすぎず、そのことの故に、前認定の事由に基づく被控訴人の解雇権の行使が制限されるいわれはないというべきである。
6 以上に説示したところによれば、本件解雇が権利の濫用であると認めるに足りる事情は認められず、他に本件解雇が権利の濫用であると認めるに足りる証拠はない。