①鉄道会社従業員が私生活上で痴漢行為をして執行猶予付き有罪判決を受けたこと(痴漢の前科あり)を理由とする懲戒解雇を有効とした裁判例
②懲戒解雇が有効であったとしても,退職金全額を不支給とすることは出来ず,3割の額を支給するとした裁判例
1 判例のポイント
1.1 懲戒解雇の有効性
「痴漢行為が被害者に大きな精神的苦痛を与え,往々にして,癒しがたい心の傷をもたらすものであることは周知の事実である。それが強制わいせつとして起訴された場合はともかく,本件のような条例違反で起訴された場合には,その法定刑だけをみれば,必ずしも重大な犯罪とはいえないけれども,上記のような被害者に与える影響からすれば,窃盗や業務上横領などの財産犯あるいは暴行や傷害などの粗暴犯などと比べて,決して軽微な犯罪であるなどということはできない。まして,控訴人は,そのような電車内における乗客の迷惑や被害を防止すべき電鉄会社の社員であり,その従事する職務に伴う倫理規範として,そのような行為を決して行ってはならない立場にある。しかも,控訴人は,本件行為のわずか半年前に,同種の痴漢行為で罰金刑に処せられ,昇給停止及び降職の処分を受け,今後,このような不祥事を発生させた場合には,いかなる処分にも従うので,寛大な処分をお願いしたいとの始末書(乙6)を提出しながら,再び同種の犯罪行為で検挙されたものである。このような事情からすれば,本件行為が報道等の形で公になるか否かを問わず,その社内における処分が懲戒解雇という最も厳しいものとなったとしても,それはやむを得ないものというべきである。」として懲戒解雇を有効とした。
1.2 懲戒解雇による退職金全額不支給の有効性
「賃金の後払い的要素の強い退職金について,その退職金全額を不支給とするには,それが当該労働者の永年の勤続の功を抹消してしまうほどの重大な不信行為があることが必要である。」として,本件事案では全額不支給とする程の重大な不信行為はなかったと判断した。もっとも,「当該職務外の非違行為が,上記のような強度な背信性を有するとまではいえない場合であっても,常に退職金の全額を支給すべきであるとはいえ」ず,「当該不信行為の具体的内容と被解雇者の勤続の功などの個別的事情に応じ,退職金のうち,一定割合を支給すべきものである。」とした上で,本件事案の事情からは3割の退職金が相当であると判断した。
参考記事
2裁判例の内容
2.1 事案の概要
Ⅹは、電鉄会社Yの従業員である。Ⅹは、平成12年5月1日、電車内で痴漢行為を行い、逮捕され、東京都迷惑条例違反で略式起訴され、20万円の罰金刑に処せられた。Y会社は、Ⅹの普段のまじめな勤務態度等を考慮して、昇給停止および降職の処分とし、始末書を提出させた。Ⅹは、同年11月21日に再び電車内で痴漢行為を行い、逮捕され、埼玉県迷惑条例違反で起訴された(その後、懲役4月、執行猶予3年の有罪判決を受ける。なお、Ⅹは平成3年、同9年にも痴漢行為をして逮捕され罰金刑に処せられており、Y会社は本件の一連の事情聴取からこれを知ることになる)。Y会社は、賞罰委員会の討議を経てⅩを懲戒解雇とし、退職金規則における、懲戒解雇により退職する者には原則として退職金を支給しないという規定に基づき、退職金を支給しなかった。ただし、Ⅹおよびその家族の当面の生活設計を考慮し、即時解雇をせず、解雇予告手当と冬季一時金は支払った(合計で約90万円)。Ⅹは、退職金の支給を求めて訴えを提起した。1審は、懲戒解雇は有効であるとしたうえで、本件痴漢行為は、Ⅹのそれまでの勤続の労を抹消してしまうほどの不信行為といわざるをえないと述べて、Ⅹの請求を棄却した。そこで、Ⅹは控訴した。
2.2 判断
⑴ 本件懲戒解雇の効力について
ア 本件懲戒解雇がその手続に瑕疵がなく,また,処分の内容としても相当な範囲を逸脱したものといえず,有効なものであることは,原判決事実及び理由欄第3の1及び2(9頁以下)記載のとおりである。
イ 控訴人は,本件で,控訴人は,留置場という異常な状況下で,限られた時間で事実を認めたにすぎないし,自認書を保留あるいは拒否したり,それ以外のことを話せたりする状況ではなく,弁明の機会の実質的保障はなかったから,本件懲戒解雇手続には瑕疵があると主張する。しかし,証拠(乙29,32,当審での控訴人本人)によれば,控訴人は,上記の被控訴人の担当者らとの面接の際,未だ申告していなかった平成3年の痴漢行為についてもみずから話すなどしているし,その際の会話の内容(乙29)などからみても,自由に弁明ができないような状況であったとは認め難い。
上記控訴人の主張は採用し難い。
ウ 控訴人は,本件行為は,犯罪行為ではあるが,刑法ではなく条例による処罰であること,その法定刑(改正前)は懲役6月までで,窃盗や業務上横領などと比較しても,はるかに軽いし,控訴人は,その上限でも処罰されていないこと,なお,痴漢行為でも悪質なものは強制わいせつで起訴されるのが通例であるが,本件はそのような場合ではないこと,本件行為が報道等の形で公になったことはないし,仮に,痴漢行為に伴い被控訴人の会社名が報道されたとしても,世間はあくまで当該従業員個人の問題としてとらえるのであって,会社に相当重大な悪影響があるとはいえないこと,なお,電鉄会社が痴漢撲滅運動に力を入れているというのは,本件懲戒解雇後のことであること,さらに,本件懲戒解雇当時,被控訴人の社内規定における懲戒処分の種類は,昇給停止の次が懲戒解雇であったが,それでは実情にあった処分が難しいことから,平成13年7月に諭旨解雇が導入されたこと,本件当時も,諭旨解雇があればそれが選択された可能性が高いことなどからして,本件懲戒解雇処分は不当であると主張する。
エ しかし,痴漢行為が被害者に大きな精神的苦痛を与え,往々にして,癒しがたい心の傷をもたらすものであることは周知の事実である。それが強制わいせつとして起訴された場合はともかく,本件のような条例違反で起訴された場合には,その法定刑だけをみれば,必ずしも重大な犯罪とはいえないけれども,上記のような被害者に与える影響からすれば,窃盗や業務上横領などの財産犯あるいは暴行や傷害などの粗暴犯などと比べて,決して軽微な犯罪であるなどということはできない。
まして,控訴人は,そのような電車内における乗客の迷惑や被害を防止すべき電鉄会社の社員であり,その従事する職務に伴う倫理規範として,そのような行為を決して行ってはならない立場にある。しかも,控訴人は,本件行為のわずか半年前に,同種の痴漢行為で罰金刑に処せられ,昇給停止及び降職の処分を受け,今後,このような不祥事を発生させた場合には,いかなる処分にも従うので,寛大な処分をお願いしたいとの始末書(乙6)を提出しながら,再び同種の犯罪行為で検挙されたものである。このような事情からすれば,本件行為が報道等の形で公になるか否かを問わず,その社内における処分が懲戒解雇という最も厳しいものとなったとしても,それはやむを得ないものというべきである。
オ なお,控訴人は,被控訴人が痴漢撲滅運動に力を入れているのは,本件懲戒解雇後のことであると主張するが,被控訴人が本件行為のあった平成12年11月以前から会社を挙げて痴漢撲滅運動に取り組んでいたことは,証拠(乙22ないし24,いずれも枝番を含む。)から明らかである。上記控訴人の主張は採用し難い。
また,本件懲戒解雇後,諭旨解雇の制度が設けられていることは上記(1)認定のとおりであるけれども,本件の処分当時,そのような制度がなかった以上,それが直接,本件懲戒解雇処分の当否に影響を及ぼすものではない。なお,上記エのような本件行為に至る経緯及びその内容等からすれば,必ずしも,本件が,本来は諭旨解雇に該当する事案であるともいい切れない。
⑵ 本件退職金の不支給について
ア 被控訴人には,基本的には,初任給等を基礎として定められる退職金算定基礎額及び勤続年数を基準として算出した退職金を支給する旨の退職金支給規則があること,そして,同規則の4条には,「懲戒解雇により退職するもの,または在職中懲戒解雇に該当する行為があって,処分決定以前に退職するものには,原則として,退職金は支給しない。」との条項(本件条項)があることは,上記(1)認定のとおりである。
上記のような退職金の支給制限規定は,一方で,退職金が功労報償的な性格を有することに由来するものである。しかし,他方,退職金は,賃金の後払い的な性格を有し,従業員の退職後の生活保障という意味合いをも有するものである。ことに,本件のように,退職金支給規則に基づき,給与及び勤続年数を基準として,支給条件が明確に規定されている場合には,その退職金は,賃金の後払い的な意味合いが強い。
そして,その場合,従業員は,そのような退職金の受給を見込んで,それを前提にローンによる住宅の取得等の生活設計を立てている場合も多いと考えられる。それは必ずしも不合理な期待とはいえないのであるから,そのような期待を剥奪するには,相当の合理的理由が必要とされる。そのような事情がない場合には,懲戒解雇の場合であっても,本件条項は全面的に適用されないというべきである。
イ そうすると,このような賃金の後払い的要素の強い退職金について,その退職金全額を不支給とするには,それが当該労働者の永年の勤続の功を抹消してしまうほどの重大な不信行為があることが必要である。ことに,それが,業務上の横領や背任など,会社に対する直接の背信行為とはいえない職務外の非違行為である場合には,それが会社の名誉信用を著しく害し,会社に無視しえないような現実的損害を生じさせるなど,上記のような犯罪行為に匹敵するような強度な背信性を有することが必要であると解される。
このような事情がないにもかかわらず,会社と直接関係のない非違行為を理由に,退職金の全額を不支給とすることは,経済的にみて過酷な処分というべきであり,不利益処分一般に要求される比例原則にも反すると考えられる。
なお,上記の点の判断に際しては,当該労働者の過去の功,すなわち,その勤務態度や服務実績等も考慮されるべきことはいうまでもない。
ウ もっとも,退職金が功労報償的な性格を有するものであること,そして,その支給の可否については,会社の側に一定の合理的な裁量の余地があると考えられることからすれば,当該職務外の非違行為が,上記のような強度な背信性を有するとまではいえない場合であっても,常に退職金の全額を支給すべきであるとはいえない。
そうすると,このような場合には,当該不信行為の具体的内容と被解雇者の勤続の功などの個別的事情に応じ,退職金のうち,一定割合を支給すべきものである。本件条項は,このような趣旨を定めたものと解すべきであり,その限度で,合理性を持つと考えられる。なお,上記(1)認定のように,被控訴人において,過去に,懲戒解雇の場合であっても,一定の割合で減額された退職金が支給された例があることは,本件条項を上記のように解すべきことの1つの裏付けとなるものである。また,本件後に被控訴人の会社で設けられた諭旨解雇の制度において,退職金の一定割合の支給が認められているのも,上記の解釈と基本的に通じる考え方に基づくものと理解される。
エ 本件でこれをみるに,本件行為が悪質なものであり,決して犯情が軽微なものとはいえないこと,また,控訴人は,過去に3度にわたり,痴漢行為で検挙されたのみならず,本件行為の約半年前にも痴漢行為で逮捕され,罰金刑に処せられたこと,そして,その時には昇給停止及び降職という処分にとどめられ,引き続き被控訴人における勤務を続けながら,やり直しの機会を与えられたにもかかわらず,さらに同種行為で検挙され,正式に起訴されるに至ったものであること,控訴人は,この種の痴漢行為を率先して防止,撲滅すべき電鉄会社の社員であったことは,上記(2)記載のとおりである。
このような面だけをみれば,本件では,控訴人の永年の勤続の功を抹消してしまうほどの重大な不信行為があったと評価する余地もないではない。
オ しかし,他方,本件行為及び控訴人の過去の痴漢行為は,いずれも電車内での事件とはいえ,会社の業務自体とは関係なくなされた,控訴人の私生活上の行為である。
そして,これらについては,報道等によって,社外にその事実が明らかにされたわけではなく,被控訴人の社会的評価や信用の低下や毀損が現実に生じたわけではない。なお,控訴人が電鉄会社に勤務する社員として,痴漢行為のような乗客に迷惑を及ぼす行為をしてはならないという職務上のモラルがあることは前述のとおりである。しかし,それが雇用を継続するか否かの判断においてはともかく,賃金の後払い的な要素を含む退職金の支給・不支給の点について,決定的な影響を及ぼすような事情であるとは認め難い。
カ さらに,上記(1)認定事実からすれば,被控訴人において,過去に退職金の一部が支給された事例は,いずれも金額の多寡はともかく,業務上取り扱う金銭の着服という会社に対する直接の背信行為である。本件行為が被害者に与える影響からすれば,決して軽微な犯罪であるなどとはいえないことは前記説示のとおりであるが,会社に対する関係では,直ちに直接的な背信行為とまでは断定できない。そうすると,それらの者が過去に処分歴がなく,いわゆる初犯であった(当審証人D)という点を考慮しても,それが本件事案と対比して,背信性が軽度であると言い切れるか否か疑問が残る。
加えて,控訴人の功労という面を検討しても,その20年余の勤務態度が非常に真面目であったことは被控訴人の人事担当者も認めるところである(当審証人D)。また,控訴人は,旅行業の取扱主任の資格も取得するなど,自己の職務上の能力を高める努力をしていた様子も窺われる。
キ このようにみてくると,本件行為が,上記イのような相当強度な背信性を持つ行為であるとまではいえないと考えられる。
そうすると,被控訴人は,本件条項に基づき,その退職金の全額について,支給を拒むことはできないというべきである。しかし,他方,上記のように,本件行為が職務外の行為であるとはいえ,会社及び従業員を挙げて痴漢撲滅に取り組んでいる被控訴人にとって,相当の不信行為であることは否定できないのであるから,本件がその全額を支給すべき事案であるとは認め難い。
ク そうすると,本件については,上記ウに述べたところに従い,本来支給されるべき退職金のうち,一定割合での支給が認められるべきである。
その具体的割合については,上述のような本件行為の性格,内容や,本件懲戒解雇に至った経緯,また,控訴人の過去の勤務態度等の諸事情に加え,とりわけ,過去の被控訴人における割合的な支給事例等をも考慮すれば,本来の退職金の支給額の3割である276万2535円であるとするのが相当である。
ケ 上記退職金に対する遅延損害金については,本件では,その支給時期や,支払の催告についての具体的な主張,立証がない。
そうすると,上記退職金については,本件の訴状が被控訴人に送達された日である平成14年2月7日から,労働基準法23条1項に定める7日の期間が経過した翌日である同年2月14日から遅滞が生じると解すべきである。
また,本件の雇用契約は商法503条の附属的商行為に当たると解されるので,上記退職金の遅延損害金の割合は,請求どおり,商事法定利率である年6分の割合によるべきものである。