退職金の没収・減額は退職金規程等に明記する必要がある
没収はリスクが高いので,減額も考慮にいれる
既に払った退職金の返還も可能
リスク回避の為に,退職合意書を取り交わす
問題の所在
労働者が退職時に企業から支給される一時金のことを、一般に「退職金(または退職手当・退職慰労金)」といいます。または,その支払いが年金方式で行われる場合には、「退職年金」あるいは「企業年金」と呼ばれています。
退職金には、賃金の後払いという性質のほか、在職中の企業に対する功労・貢献に対する報償という意味があります。退職金の功労報償としての性格からしますと,企業への功労がなく,むしろ背信的行為を行って退職する労働者に対しては,報奨金としての退職金を支払う理由はありません。典型的には,企業秩序を乱して懲戒解雇された労働者などには,退職金を支払わない又は減額する企業も多く存在します。
ただ,退職金の没収・減額は,その後に退職金請求の紛争リスクを孕むことになります。実際にも,退職金を没収・減額したことにより,労働者が企業を相手に退職金全額の支払いを求めて法的措置(労働審判・訴訟等)を提起することは決して希な事象ではありません。
そこで,退職金の没収・減額に関して,法的リスクを踏まえた対応について,以下説明します。
退職金は就業規則等に定めがなければ払わなくてよい
まず前提として押さえていただきたいのが、退職金は当然に支払わなければならないものではないということです。つまり、退職金の発生には,就業規則・退職金規程,労働協約,労働契約などに退職金の支払いに関する定めがなされていることが必要です。このような定めがなされていない場合は,そもそも退職金は原則として発生しません。退職金が発生しない場合は、当然のことながら退職金を払う必要はありません。この場合は、労働者から退職金を請求されても、「退職金の定めがないから」という理由で支払を拒絶可能です。
但し,就業規則や労働協約などの定めがない場合でも,慣行,個別合意,従業員代表との合意などにより,発生する場合があります。ただし、発生するのは退職金が支給金額の算定が可能な程度に明確に定まっており,労働契約の内容になっているといえる場合に限られます。経営者が「退職金があるかもしれない」などと口頭で言っただけでは発生しません。
退職金の没収・減額は退職金規程に明記する必要あり
では、就業規則や退職金規程で退職金の具体的な定めがあり、退職金が発生する場合、これを不支給・減額するためにはどうすればよいのでしょうか?
退職金の没収・減額をするためには,退職金規程等に没収・減額の事由が予め明記されていなければなりません。
また,退職金規程等に没収・減額となる場合が明記してあったとしても,それに該当しない場合は,没収・減額をすることは出来ません。
従って,退職金の没収・減額を適法に行う為には,それを行うべき場合を,退職金規程に漏れなく明記する必要があります。
第●条(退職金の減額・不支給・返還)
1 次の各号の1つに該当する場合は,退職金の一部を減額(※1)ないし退職金の不支給とする。
① 諭旨解雇されたとき
② 懲戒解雇されたとき
③ 在職中の行為に諭旨解雇ないし懲戒解雇に相当する行為が存したとき(※2)
④ 退職後に守秘義務ないし競業避止義務に違反したとき
2 第1項の場合に,すでに退職金が支給されている場合は,その全部又は一部の返還を求める。(※3)
※1退職金の不支給(没収)だけではなく減額も明記する
※2懲戒解雇ないし諭旨解雇をしない場合も没収・減額する旨定める
※3退職金の返還についても定める
※4新設・変更する場合は,労働者の同意をとるべき
没収・減額ができるケースは限られている!?
退職金規程で退職金の没収・減額が出来る場合について定めたからといって,常に没収・減額が出来る訳ではありません。裁判では,退職金規程等に明記されていたとしても,退職金の没収・減額を有効に適用できるのは,労働者のそれまでの勤続の功を抹消(没収の場合)ないし減殺(減額の場合)してしまう程の著しく信義に反する行為があった場合に限られるとして,没収・減額の実施を無効とする結論が出されることがあります。
そこで,以下具体的ケースごとに,退職金の没収・減額がどの程度まで出来るかを検討します。
⑴ 懲戒解雇・諭旨解雇の場合
会社の経営者の方は、懲戒解雇・諭旨解雇が有効であれば,退職金没収・減額も当たり前に有効であるとお考えのことがよくあります。しかし,裁判実務では,懲戒解雇等自体が有効であったとしても,退職金の不支給は無効とする判断がなされることが希ではありません。
では、どのような場合に退職金の没収・減額が認められるのでしょうか?
没収・減額が認められやすいケース:会社財産の横領、重大な企業秘密の漏洩、会社の名誉毀損・信用毀損、重大な業務命令違反、上司に対する暴行などによって懲戒解雇・諭旨解雇された場合
先代社長の遺産争いに端を発して副社長、製材所所長、作業係長、課長らが会社と競業関係に立つ別会社を設立し、取締役に就任したことを理由に会社は懲戒解雇・退職金不支給処分とした。裁判所は懲戒解雇は有効であると判断しつつも、退職金不支給については60%までは有効であるが、残り40%の没収は許されないとして、40%の支払を命じた。
東京メディカルサービス・大幸商事事件(東京地判平3.4.8労判590-45)
経理部長の地位にある労働者が会社の仕入取引に関し、事故が代表者を務める会社を介在させ利益を上げていた。その点を調査・照会等を行ったところ、会社に出勤しなくなり、重要書類在中の鍵の引き渡しも拒否したため、会社は懲戒解雇・退職金不支給処分とした。裁判所は懲戒解雇・退職金不支給を有効と判断した。
- その他の裁判例はこちら
- 東京コンピューターサービス事件(東京地判平7.11.21労判687-36)
在職中に他の従業員に対し、新会社設立の意思やその経営方針について説明
⑵ 競業避止義務違反の場合
在職中に企業の機密情報や重要な顧客に関する情報に触れる機会のある社員が同業他社に転職することは,会社の重要な情報が他社に流出する危険を生じさせます。そこで,企業は,就業規則や誓約書等において,退職後に競合他社に転職したり,あるいは競合事業を自ら経営する会社を設立するなどして,在職中に獲得した知識,技術,技能,人間関係を利用して競争的性格を持つ職業活動に従事することを禁止する旨の規定(競業避止義務規定)を明記することがあります。
その規定の実効性を確保するため,当該規定に違反すれば退職金の不支給・減額,返還を求める旨の規定を置く例が少なくありません。
ただ,退職後の競業避止義務は,すでに労働契約が解消されており,労働者が職業選択の自由の一環として自由に再就職先を選択できる退職後の行為を問題にする点で,懲戒解雇等の場合以上に慎重に対応する必要があります。
すなわち,裁判例では,競業避止義務違反を理由とする退職金不支給ないし減額の規定が有効であったとしても,全額不支給については,全額不支給とするのが相当であると考えられるような顕著な背信性がある場合に限られるとしています。
その背信性の判断は,①不支給規定の適用の必要性,②退職に至る経緯,③退職の目的,④退職した社員の違反行為により会社が受けた損害等の諸事情を総合的に考慮してなされます。
具体的には,裁判例の傾向として,①単に経験を生かして同業他社に就職した程度では足りず,多額の投資をして特殊なノウハウを身に付けさせており,その者がいなければ会社の当該部門の営業が成り立たないこと,②当該部門の多数の社員を勧誘して離脱させたため,当該部門を閉鎖せざるをえなかったこと,③職務上知りえた秘密をみだりに使用して会社の利益を害したことを要するという傾向にあると説明されています。
⑶ 退職時の対応を理由とする場合
企業によっては退職時にとるべき手続に違反した場合や退職時に会社に損害を与える行為を行った場合に退職金を不支給・減額とする場合があります。例えば,2ヶ月前に退職届を出して業務の引継をするとの規定があるにもかかわらず,突如として退職届を提出して引継を行わなかった場合などの場合です。この場合も,基本的には,不支給・減額は,労働者のそれまでの勤続の功を抹消ないし減殺してしまう程の著しく信義に反する行為があった場合に限られると考えられています。
上記例のように引継をせずに退職してしまった場合に不支給とすることは無効となる可能性が高いと思われます。
退職後に懲戒事由等が発覚した場合,退職金の返還を求められるのか?
退職し退職金を受け取った後で,懲戒事由や競業避止義務違反等が会社に発覚した場合,会社が退職金の返還を求める場合があります。
この点,退職して退職金を支払った後に,退職金の没収・減額事由が発覚した場合,本来ならば退職金を請求する権利がなかったので,会社が退職金相当の利益について不当利得であるとして,返還請求を行うことができる(民法703条)という考え方があります。
ただ,実務上は返還義務について争われるのを防ぐため,退職金規程に不支給・減額規定に返還に関する規定(上記規定例の※3を参考にしてください)も入れておくことが必要です。
退職合意書によってリスクを回避する
退職金の没収・減額はリスクを伴いますので,合理的な退職金規程を設け,没収・減額の事由を明確に規定した上で,その適用に際しては,事案毎に不支給・減額の程度を慎重に決めていくことが重要です。
そのほかにも、紛争リスクを回避する為には,退職合意書を取り交わすことも一案です。
(合意退職)
第1条 甲と乙は、下記事情により平成〇年○月〇日付けで甲乙間の雇用契約を解約し、乙が甲を退職することを合意する。
乙が,度々無断欠勤・早退を繰り返したこと,業務命令に従わず行動し甲に損害を与えたこと,上司に対し度重なる暴言・反抗的態度をとったこと,立替経費を不正請求したこと,再三の注意指導にもかかわらず勤務態度を改めなかったこと,その他諸般の事情から,平成〇年〇月〇日において甲にて乙が就業規則第〇条〇号,〇号の懲戒解雇事由に該当すると判断し,乙もこれを認めた。本来であれば甲は懲戒解雇を行うことができると考えるが,乙より自己都合退職の申し出があった為,乙の将来に配慮し,合意退職をすることとした。(※1)
(退職金の支払い)
第2条 甲は乙に対し、下記の算出根拠により退職金として金〇〇〇円を平成〇年〇月〇日限り支払う。
退職金規程〇条〇項(自己都合退職の場合の退職金)により,乙の退職金は計算上は金〇〇〇円と算定される。しかし,前条の事情は,退職金規程〇条〇号の退職金の減額・不支給の事由に該当する。そこで,諸般の事情を考慮し,甲乙合意の上,金〇〇〇円をもって退職金額と確定した。(※2)
(清算条項)
第3条 甲と乙は、本合意書に定める他、乙の退職後の守秘義務等乙が退職後も負うべきとされる義務を除き、甲乙間において何らの債権債務が存在しないことを相互に確認する。
以上の合意が成立したので、本合意書を2通作成し、甲乙それぞれ署名したうえ、各1通を所持することとする。
甲 印
乙 印
※1 退職に至る経緯を出来るだけ具体的に記載し,就業規則の懲戒解雇事由などに該当する事実関係について相互に確認すると共に,本来懲戒解雇を行えたが,労働者の申し出により,合意退職に至ったことを明記する。
※2 退職金規程の退職金不支給(没収)・減額事由に該当すること及び労使の合意により最終的な退職金額を確定したことを明記する。
消滅時効を確認
賃金支払請求権の消滅時効期間は2年間ですが,退職金支払請求権の消滅時効期間は5年間です(労基法115条)。請求された退職金が消滅時効にかかっている場合は支払う必要はありません。
対応方法
1 事実関係及び証拠の確認
まずは,以下の事実及び証拠を確認する必要があります。
就業規則・退職金規程等により退職金の定め,没収・減額の定めがあるか
【証拠】
□ 就業規則・退職金規程
没収・減額事由に該当する事実(懲戒解雇や競業避止義務違反等)があるか
【証拠】
□ 事実関係を証明する証拠
□ 被処分者による弁明書・経過報告書
2 労働者との交渉
退職金を不支給・減額すると,労働者が退職金満額の支払いを求めてくる場合があります。法的措置に進む前に,労働者と交渉して,貴社の望む結果(退職金の不支給・減額)が得られるようにします。 裁判に訴えられる前の交渉の時点で解決できれば,貴社にとっても早期解決のメリットがあります。
3 法的措置の裁判対応
労働者との間で交渉による解決が図れない場合は,労働者は退職金の支払いを求めて裁判を起こす可能性が高いと言えます。具体的には,労働審判手続,訴訟手続などがありますが,労働者が事案に応じて手続を選択して,自己の請求の実現を目指すことになります。貴社としては,かかる労働者の法的請求に適切に対応する必要があります。
懲戒処分は労務専門の弁護士へご相談を
弁護士に事前に相談することの重要性
懲戒処分は秩序違反に対する一種の制裁「罰」という性質上、労働者保護の観点から法律による厳しい規制がなされています。
懲戒処分の選択を誤った場合(処分が重すぎる場合)や手続にミスがあった場合などは、事後的に社員(労働者)より懲戒処分無効の訴訟を起こされるリスクがあります。懲戒処分が無効となった場合、会社は、過去に遡って賃金の支払いや慰謝料の支払いを余儀なくされる場合があります。
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しかし、実際には、教科書どおりに解決できる例は希であり、ケースバイケースで法的リスクを把握・判断・対応する必要があります。法的リスクの正確な見立ては専門的経験及び知識が必要であり、企業の自己判断には高いリスク(代償)がつきまといます。また、誤った懲戒処分を行った後では、弁護士に相談しても過去に遡って適正化できないことも多くあります。
リスクを回避して適切な懲戒処分を行うためには、労務専門の弁護士に事前に相談することとお勧めします。
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これにより懲戒処分にかかる企業の負担及びリスクを圧倒的に低減させる効果を得ることができます。
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労務専門弁護士の顧問契約 をご参照ください。
参考裁判例
退職金の不支給が許されないと判断した事例
ヨタ工業事件
東京地判平成6.6.28 労働判例655-17
(事案の概要)
Yは,電線管付属品の製造・販売等を業とする株式会社であり,Xらは,それぞれ昭和54年10月8日,同62年4月27日に,Yと雇用契約を締結した。
しかし,Xらは,集団で職務ボイコットに出たことを理由に,平成5年4月21日,Yより懲戒解雇された。
(裁判所の判断)
裁判所は,「本件退職金規程9条,10条には懲戒解雇された者には退職金を支給しない旨の規定がある。しかしながら,退職金は,功労報償的性格とともに,賃金の後払的性格をも併せ持つものであることからすると,退職金の全額を失わせるような懲戒解雇事由とは,労働者の過去の労働に対する評価を全て抹消させてしまう程の著しい不信行為があった場合でなければならないと解するのが相当である。以上に認定・判断したところによれば,Xらについて,過去の労働に対する評価を全て抹消させてしまう程の著しい不信行為があったということはできず,退職金不支給事由となるような懲戒解雇事由が存在するということはできない。」と判示して,退職金不支給は認められないとした。
(コメント)
本控訴審も一審の内容をそのまま支持し,ただ退職金の算定額につきYが「Xらは昇給辞令の受領を拒否し」たまま退職したとして昇給前の賃金額を基礎とすべきことを主張した点のみをとりあげ,Xらに昇給辞令受領拒否の事実は認められないことを原判決に付加し,本控訴を棄却しています。
アイ・ケイ・ビー事件
東京地判平成6.6.21 労働判例660-55
(事案の概要)
Yは,玩具の製造及び販売等を目的とする会社であるところ,Xは,昭和58年3月21日,Yとの間で,雇用契約を締結した。
しかし,Xは,平成4年11月30日,Yを退職した。
(裁判所の判断)
裁判所は,「懲戒解雇にともなう退職金の全部又は一部の不支給は,これを退職金規定等に明記してはじめて労働契約の内容となしうると解すべきところ,本件において,成立に争いのない証拠によれば,被告(筆者注:Y)の退職金規定は,その5条で「懲戒解雇になったものには退職金は支給しない。」,7条で「就業規則に定める懲戒基準に該当する反則が退職の原因となった者に対しては,その者の算定額から50パーセント以内を減額することができる。」と定めているが,懲戒解雇に相当する事由がある者には退職金を支給しない旨の規定は存在しないことが認められる。してみると仮に被告が主張するような懲戒解雇相当の行為が原告(筆者注:X)にあったとしても,現に被告が原告を懲戒解雇したとの主張・立証がない(もっとも,前記のとおり,原告が被告を平成4年11月30日に退職したことにより,原告・被告間の雇用契約が終了している以上,その後に被告が原告に対し懲戒解雇の意思表示をしたとしても,その効力はない)。以上,右行為が存在することのみを理由として退職金の支払を拒むことはできないと解するのが相当である。」と判示して,退職金の不支給・減額は認められないとした。
エスエイピー・ジャパン事件
東京地判平成14.9.3 労働判例839-32
(事案の概要)
Yは,コンピュータソフトウェアの開発,販売並びに保守等を目的とする株式会社であり,Xは,平成6年10月1日にYに入社し,ソリューション・マーケティング担当ラインマネージャーの地位にあった。
平成11年2月上旬にXによる不正経理問題が発覚し,Xは同月12日付けで退職届を提出し,その後出社しなかったが,同年4月30日,Yより懲戒解雇された。
(裁判所の判断)
裁判所は,「被告会社(筆者注:Y)退職金規程所定の「懲戒解雇の場合」とは,その文言上「懲戒解雇手続が取られた場合」を意味すると解するのが相当である。これを覆すだけの証拠はない。・・・同原告乙山(筆者注:X)には懲戒解雇事由が存し,かつ,被告会社は,同原告に対し,平成11年2月16日,不適切な経理処理について調査中であるため,その終了まで自己都合退職は認められない旨通告していることが認められるが,(Yの幹部も預り金の存在を認識しながら黙認していた可能性があること,汀業界では取引先に預り金を作っておくこと自体は珍しくはないこと,Xも業務と無関係に使用する意図で預り金を作出し使用したとまでは認められないなど)の事情に鑑みると,未だ本件退職金請求が権利濫用となるとは認められない。」と判示して,退職金不支給は認められないとした。
上野製薬事件
大阪地判平成15.3.12 労働判例851-74
(事案の概要)
Yは,医薬品,食品添加物,工業薬品等の製造販売及び輸出入を主たる目的とする株式会社であるところ,Xは,昭和48年4月にYに雇用され,平成13年2月23日に退職した。
(裁判所の判断)
裁判所は,「被告会社(筆者注:Y)が,原告(筆者注:X)に対し,その退職に至るまで懲戒解雇処分を行っていないことは当事者間に争いがない。社員退職金規程(12条)において,懲戒解雇を退職金不支給事由の一つとして挙げていることは前記のとおりであるが,そのほかに社員退職金規程に退職金を不支給とする事由はない。そもそも,被告会社において,社員退職金規程が設けられ,退職時に一定の計算式に基づいた退職金を支給する旨が規定されていることからすると,被告会社における退職金は,単なる功労的な性質を有するにとどまらず,賃金の後払い的な性質を有するものであるといえるし,退職金の支給は各従業員と被告会社との労働契約の内容となっているものといえるから,これを不支給とするには,不支給とする事由をあらかじめ社員退職金規程に明記する必要があるというべきである。ところが,被告会社においては,懲戒解雇の場合に退職金を不支給にするとの規定があるにすぎないから,被告会社が原告に対し,懲戒解雇処分を行っていない以上,退職金を支払う義務があるといわなければならない。」と判示して,退職金不支給は認められないとした。
東北ツアーズ協同組合事件
東京地判平成11.2.23 労働判例763-46
(事案の概要)
Yは,旅行業ないし組合員に対する顧客の斡旋などを業とする協同組合であるところ,XらはYに雇用されていた従業員である。
しかし,Xらが一身上の都合により1か月後にYを退職する内容の退職届を提出したところ,Yは,Xらの退職予定日前である平成9年9月2日,Xらを懲戒解雇した。
(裁判所の判断)
裁判所は,「被告(筆者注:Y)による退職金の支給について支給条件として懲戒解雇された従業員には退職金を支給しないという内容の付款が設けられていると認められるかどうかであるが,退職金の支給については労基法15条1項,89条1項,同法施行規則5条1項が,退職金の定めをするときは,それに関する事項を労働契約の締結の際に明示し,所定の手続によって就業規則に規定しておかなければならないとしているので,被告による退職金の支給について支給条件として懲戒解雇された従業員には退職金を支給しないという内容の付款を設けるのであれば,そのような内容の付款をあらかじめ就業規則において定めておくべきであるが,仮に就業規則にそのような付款が定められていなかったとしても,個々の労働契約においてそのような付款を設けることを合意することは当然に許されるものと解され,また,就業規則においてそのような付款を設けていなくとも,そのような付款が存在することを前提に退職金の支給に当たってはそのような付款が適用されるという事実たる慣習が成立しているものと認められる場合には,被告による退職金の支給について支給条件としてそのような付款が設けられていると認めることができる。」としたが,Yにおいては,「退職金を支給しなかった例があるというだけでは,就業規則において退職金の支給条件として懲戒解雇された従業員には退職金を支絶しないという内容の付款を設けていなくとも,そのような付款が存在することを前提に退職金の支給に当たってはそのような付款が適用されるという事実たる慣習が成立していると認めるには足りないというべきである。・・そうすると,被告による退職金の支給について支給条件として懲戒解雇された従業員には退職金を支給しないという内容の付款が設けられていると認めることはできない。」と判示して,退職金不支給は認められないとした。
(コメント)
本判決は,本件退職金が,賃金後払いの性質を有することを確認したうえで,そもそも使用者に退職金の支払義務があるわけではないこと,一般に退職金には功労報償の性質もあることから,懲戒解雇された従業員に対して退職金を支給しないという内容の付款を設けることも許されるとしました。
そして,本件でこのような内容の付款が存在していたかについて,本判決は,就業規則上の付款,労働契約上の付款,事実たる慣習による付款の存在を,それぞれ否定しています。
本判決は,就業規則で退職金不支給が定められていないとしても,懲戒解雇された労働者に退職金を支給しない慣行が成立していれば,使用者は退職金を支払う必要はない,との立場をとっているように読みとれます。
退職金の不支給・減額が許されると判断した事例
日本コンベンションサービス事件
大阪地判平成8.12.25労働判例711-30
(事案の概要)
Yは国際会議,学会,イベントの企画・運営を主たる業務とする会社であるところ,Xらは,昭和49年6月21日から同60年9月16日までにYに雇用された。
しかし,Xらは,Yと競合する会社の設立に参画して,会社の業務を著しく阻害し,かつ会社の信用を毀損して就業規則に違反したことを理由に,平成2年7月13日,Yより懲戒解雇された。
(裁判所の判断)
裁判所は,XらのうちYの支社次長の職にあった者が,在職中に同種の事業を営む新会社の設立を計画し,それを朝礼で発表し新会社への参加を呼びかけ,さらに他の支店の従業員に対しても新会社への参加を呼びかけ,支社の書類・物品を持ち出したことを認定した上で,「その行為は,これまでの功績を失わしめるほどの重大な背信行為というべきであるので,退職金を支給しないこととなっても,やむを得ないというべきである」と判示して,当該支社次長の職にあった者に対する懲戒解雇を有効と判断した。
(コメント)
本判決は,退職金の不支給につき,退職金の功労報償的性質を理由に,労働者に顕著な背信性が認められる場合に限り(不支給を)有効とする判例の流れに立っています。
吉野事件
東京地判平成7.6.12労働判例676-15
(事案の概要)
Yは,石綿製品,工業用合成ゴム製品,保温保冷資材の製造加工・販売,防水工事の設計・請負・施工等を目的とする株式会社であり,XらはいずれもYに雇用され,Yの東京支店において勤務していた。 しかし,X1及びX2は,Yの東京支店長であったAとともに競業他社の設立・経営および事業活動に積極的に関与したことを理由に,昭和63年6月15日,Yより懲戒解雇され,また,X3は同年7月28日に,X4は同年8月20日に,それぞれYを自己都合退職した。
(裁判所の判断)
裁判所は,「被告会社(筆者注:Y)においては,本件退職金規程に基づく退職金支給の慣行とともに,「懲戒その他不都合のかどにより解雇され,または退職したには退職金を支給しない。」(5条)との確立した慣行が成立していたものと認められる。もっとも,右慣行は,従業員の長年の勤続の功労を抹消してしまうほどの不信行為があった場合に退職金を支給しないとの趣旨の限度で有効であると解すべきである。」,そこで,これを本件についてみると,認定した事実によれば,被告会社東京支店長であったAは,亡B社長らとの間で,被告会社の経営方針等をめぐって意見が対立し,次第に亡B社長らに対し批判的な姿勢を強め,昭和63年2月5日,あえて被告会社と同業種を営む訴外会社を設立し,その実質的経営者となり,被告会社(東京支店)の仕入先,販売先を奪取する行為に出るに及び,その結果被告会社に対し,多大の利益を失わせたものである。訴外会社の設立・経営は,被告会社に秘密裡になされており,その目的は,亡B社長らに発覚しない間に,被告会社(東京支店)の取引先を奪うなどし,Aの経営方針に基づく会社運営を軌道に乗せることにあったと認めるのが相当である。X1はAの腹心の部下として,またX2は同人の妻として,同人とともに積極的に訴外会社の設立・経営に参加し,被告会社に在職していながら訴外会社の事業活動に従事していたものであって,X1及びX2が被告会社に対してとった行動は極めて背信的というほかはない。したがって,X1及びX2について,本件に顕れた有利な情状を考慮しても,長年の勤続の功労を抹消してしまうほどの不信行為があったというべきであり,前記退職金を受給することはできない。しかしながら,X3及びX4については,訴外会社の設立に関与してはいるが,被告会社在職中に訴外会社の事業活動を行った形跡は認められず,Aらが被告会社を懲戒解雇された昭和63年6月15日からしはらく経た後に被告会社を自己都合退職したものであって,X3及びX4について,長年の功労を抹消してしまうほどの不信行為があったということはできす,前記退職金受給権を失わないというべきである。」と判示して,X1及びX2については,退職金の受給資格を否定したが,X3及びX4については,退職金の受給資格を肯定した。
小田急電鉄(退職金請求)事件
東京地判平成14.11.15労働判例844-38
(事件の概要)
Yは,鉄道事業等を主たる業務とする株式会社であるところ,Xは,昭和55年4月1日,Yに入社し,以来,前半の約9年間は「駅業務」でホームや改札業務等に従事し,後半の約11年間は「案内所」勤務で,ロマンスカーの予約受付や国内旅行業務の仕事に従事した。
しかし,Xは,痴漢行為を行い,逮捕勾留後,埼玉県迷惑条例違反で起訴されたことをもって,鉄道係員懲戒規程に該当するとして,平成12年12月5日,Yより懲戒解雇された。
(裁判所の判断)
裁判所は,Xが,平成12年11月21日にJR高崎線の電車に同乗していた女子高校生に対し,スカートに手を差し入れお尻を触るという痴漢行為をし,逮捕勾留の後,埼玉県迷惑条例違反で正式に起訴されているほか,他にも痴漢行為により,平成3年ころと平成12年5月(本件行為のわずか約半年前である。)の2回にわたって逮捕された経歴を有し,しかも,後者については,罰金20万円に処せられたことを認定した。
その上で,「被告(筆者注:Y)の退職金支給規則によれば,被告における退職金は算定基礎賃金(退職金算定基礎額)に勤続年数別の支給率を乗じるものであって,賃金の後払的性格をも有していると認められるから,その退職金の性格にかんがみれば,退職金不支給規定を有効に適用できるのは,従業員のそれまでの勤続の労を抹消してしまうほどの不信行為があった場合に限られると解すべきである。そこで本件において,従業員のそれまでの勤続の労を抹消してしまうほどの不信行為があったか否かにつき判断するに,前示のとおりの,本件行為の態様原告(筆者注:X)の同種事件における刑事処分歴や懲戒処分歴,被告の経営方針等に照らすと,本件行為は,原告のそれまでの勤続の労を抹消してしまうほどの不信行為というほかないから,被告の退職金不支給の措置は有効であるといわざるを得ない。」と判示して,退職金の不支給は認められるとした。
(コメント)
なお,本判決では,Xの行為の態様,同種事件における刑事処分歴や懲戒処分歴,Yの経営方針,ならびに痴漢行為自体に業務関連性が全くないとはいえないこと等から,Xの行為はXのそれまでの勤続の労を抹消してしまうほどの不信行為であるとして,Yの行った退職金不支給の措置は有効であるとしました。但し,同事件の控訴審(東京高判平成15.12.11労判867-5)では,痴漢行為で刑事処罰を受けたことを理由とする懲戒解雇は有効であるが,退職金については,その全額を不支給とすることは許されず,その3割を支給すべきであるとされています。
東芝事件
東京地判平成14.11.5労働判例844-58
(事案の概要)
Yは,情報通信システム,重電機,家庭電器などの製造販売を目的とする株式会社であるところ,Xは,昭和47年4月1日,Yに入社した。
しかし,Xは,平成11年4月16日,財団法人家電製品協会に出向し,環境部次長の職にあったが,平成13年4月3日の出勤途上,突然出奔し,同年5月1日,長野県松本市内で家族によって発見され,自宅に連れ戻された後,同月11日,Yに退職届を提出し,同日をもってYを退職した(勤続期間29年2か月(29.17年),退職時54歳)。
Yは,Xの長期無断欠勤が就業規則の懲戒解雇事由に該当するが,情状を酌量して依願退職扱いとし,規程4条の自己都合の場合の退職金基本額の半分約373万円を支給した。これに対し,Xは,規程3条などに基づく退職手当金を支給される権利があるとして,実際に支給された退職金の差額約1000万円の支払いを会社に請求した。
(裁判所の判断)
裁判所は,「退職金は,功労報償の性質を有することは否定できないから,退職手当金規程において,懲戒解雇事由がある場合に退職金の一部又は全部を支給しない旨を定めることは許されると解すべきであるが,退職金が一般に賃金の後払いの性質を有することからすると,退職金を支給しない,又は減額することが許されるのは,従業員にその功労を抹消又は減殺するほどの信義に反する行為があった場合に限られると解される。原告(筆者注:X)は,被告(筆者注:Y)の管理職として,企業秩序の維持・確保を図るべき立場にあり,出向先である家電製品協会において,環境部次長として重要な職責を担っていたにもかかわらず,家電リサイクル法の施行直後という重要な時期に,重要な業務を中途にしたまま突然職場を放棄し,約1か月の長期間にわたり無断欠勤を続けた。原告の地位や業務内容からすると,原告の業務は他の一般職員が容易に代替しうるものではなく,原告の無断欠勤により各種事務局業務が停滞し,家電製品協会の業務に著しい支障が生じた。また,原告の行為は,出向元である被告の家電製品協会に対する信用を失墜させるものといわざるを得ない。原告の出奔の原因は,業務の性質や職場の人間関係からくるストレスにあると考えられるから,原告のみを責めることはできないが,原告は,業務の遂行が困難であれば,代替要員の補充や配置転換を申し出るなど,業務に及ぼす影響を最小限度にとどめる方法をとるべきであった。何らの配慮をすることなく無断で突然職場を放棄するのは,重要な職責を担う管理職として無責任といわざるを得ない。したがって,原告の行為は,その功労を減殺するに足りる信義に反する行為といわざるを得ず,原告に支給すべき退職金は,退職手当金規程4条の基本額の50パーセントを上回らないものと認めるのが相当である。」と判示して,退職金の減額を認めた。
大器事件
東京地判平成11.1.29労働判例760-61
(事案の概要)
Yは,家具や室内装飾品等の製造,加工,修理,輸入,販売等を業とする会社であるところ,Xは,昭和48年3月,Yに雇用された。
Xは,平成9年5月末日頃,Yに対し,同月末日をもって退職する旨の退職届をしたが,これに対し,Yは,Xに対し,平成9年6月30日付けで懲戒解雇する旨の通知をした。
(裁判所の判断)
裁判所は,「懲戒解雇は,懲戒権の行使であるとともに雇用関係終了事由であるが,原告(筆者注:X)が被告(筆者注:Y)に対しかねて同日で退職する旨の意思を表明していたことは当事者間に争いがなく,被告もまた,同日をもって原告との雇用契約を終了させる意思であることは明らかであるから,原被告間の雇用関係は同日をもって終了したものというべきであり,その後に懲戒権を行使するということはあり得ない。しかし,本来,懲戒解雇事由と退職金不支給事由とは別個であるから,被告の右退職金規程のように退職金不支給事由を懲戒解雇と関係させて規定している場合,その規定の趣旨は,現に従業員を懲戒解雇した場合のみならず,懲戒解雇の意思表示をする前に従業員からの解約告知等によって雇用契約関係が終了した場合でも,当該従業員に退職金不支給を相当とするような懲戒解雇事由が存した場合には退職金を支給しないものであると解することは十分に可能である。このような観点から本件をみると,前記説示のとおり,原告の前記背任行為(見積価格での商品の仕入れが可能であつたにもかかわらず,敢えて,その一割高の価格で仕入れた行為)は,いずれも悪質かつ重大なものであって,被告に対する背信性の大きさからして,本来懲戒解雇に相当するのみならず,これを理由に退職金不支給とすることも不当ではないと考えられる。」と判示して,退職金の不支給を認めた。
アイビ・プロテック事件
東京地判平成12.12.18労働判例803-74
(事案の概要)
Yは,国際会議の旅行企画,手配並びに海外出張等の手配を主な業務としていた株式会社であるところ,Xは,Yが訴外会社から旅行業の営業譲渡を受けた時点でYに入社して勤務し,平成9年10月20日にYを退職した際には,営業第二部(泌尿器,ガン,化学療法等の国際会議に関する旅行営業を所管事務とする部署)部長の職にあった。
(裁判所の判断)
裁判所は,「労働者の退職金請求権の行使がいかなる場合に権利の濫用に当たるかについては,個別の事案に沿って判断せざるを得ないが,退職金の右性質,とりわけ,功労報償的性質の面にかんがみると,当該労働者に,その在職中背信的な行状等があった場合には,その行状の背信性の程度次第で退職金請求権を行使することが権利の濫用に当たる場合があるというべきである。そして,在職中の行状等に背信性が認められるかに関しては,当該企業の定める就業規則において懲戒解雇事由とされている事由への該当性の有無も,その判断に当たっての重要な事情になるというべきである。・・・なお,右の理は,当該企業に右行状等が判明したのが,当該労働者の退職後であっても変わるところはないと解される。たまたま当該使用者が当該労働者の退職後に右行状等を知ったとか,当該労働者が右行状等を秘したまま自主退職したなどというにすぎないのに,当該労働者が退職金の支給を受けられるというのは,退職前に右行状が判明していた場合との均衡を著しく失するというべきだからである。また,退職金支払請求権は,個別の労働契約上退職金の支給に関する合意がある場合,あるいは,就業規則上退職金の支給の定めがある場合等に発生するところ,前者の場合,退職金支給の合意に至る経緯,そのような合意をするに至った動機等の事情次第では,当該労働者の行状等の背信性にかんがみ,退職金請求権を行使することが不当であると解される場合があり得るから,右の事情は,当該労働者が退職金を請求することの権利濫用性を基礎付けるものとなる場合があるというべきである。これを本件についてみるに,前記記載の事実及び判断によれば,同記載のとおりの原告(筆者注:X)の行為は,懲戒解雇事由に該当ないし匹敵するものであり,かつ,その背信性は重大であると認められる。一方,本件の退職金の支給合意は,原告が被告(筆者注:Y)を退職する直前の平成9年9月30日に,右退職に当たっての条件等を定めた本件覚書における所定事項の一つとして行われたものであること,被告の就業規則上退職金支給に関する定めはないこと,以上の事実及び退職金一般の功労報償的性質に照らせば,本件の退職金の合意は,原告の右退職に当たって被告が特別かつ例外的に原告に対してこれを支給する趣旨にあったものと認められる(被告は,右合意は円満退職を前提としたものであった旨,これと同趣旨の主張をしているところである。)。そして,原告は,右合意の前及び直後に前記記載のとおりの行為に及んだというのであるから,これらの行為は右合意の趣旨を無に帰せしめる性質を有するものであったというべきであり,このことに,前記のとおりの右行為の背信性の程度にも照らせば,原告の被告に対する本件退職金請求は権利の濫用に当たると解するのが相当である。」と判示して,退職金の不支給を認めた。
(コメント)
本判決は,退職金支払いをめぐる争いで権利濫用の法理が適用された珍しいケースです。
朝日新聞事件
大阪地判平成12.1.28労働判例786-41
(事案の概要)
Yは,大手の新聞社であり,Xは,昭和43年1月,Yに記者として雇用され,平成11年3月30日定年退職するまで,Yの従業員であった。また,Xは,Yを定年退職後,その嘱託として平成11年6月4日に解雇されるまで勤務していた。
Yには,就業規則に,定年後5年間年金(以下,「新年金」という。)を支給する旨の規定があり,これにより,Xは,Yから,平成11年4月から同13年3月まで新年金月額6万7686円の支給(前期)を,平成13年4月から同16年3月まで,月額2万2686円の新年金(後期)を受給できる権利を有していた。
しかし,Xは,平成11年5月10日,覚せい剤取締法違反(覚せい剤所持)の嫌疑で逮捕され,Yから,同月25日付処罰通告書をもって,懲戒解雇の意思表示を受け,同日,新年金の受給資格を取り消す旨の通告を受けた。
(裁判所の判断)
裁判所は,「新年金は,退職金制度とは別個の制度として導入されており,沿革は古く,労働者の無拠出によるものであり,恩恵的な制度として設けられた側面は否定できないが,勤続年数によって支給期間,金額が増減することはこれが年功報償としての性格を有するものということができる。そして,この制度は就業規則に明文化され,労働契約の内容となっているもので,新年金受給権はこれに基づいて発生する権利であるから,これが恩恵的な側面を有するからといって,支給者において,根拠なくその受給資格を剥奪できるものではない。すなわち,受給資格を剥奪できるのは,支給停止条項が労働契約の内容となっている場合に限られるというべきである。ただ,労働契約の内容については,就業規則の合理的な解釈,労使の慣行など総合的に検討して判例されるべきものであるから,形式的な文言だけから結論が出るものではない。そこで案ずるに,前述のとおり,「定年給,年金支給規定」第2条2項には,「定年給受給者に不都合な行為があった場合は,その支給を停止することがある。」と規定されているが,「新年金支給規定」には,同趣旨の規定はなく,現行の就業規則においては,「新年金支給規定」は,「定年給,年金支給規定」とは別個の規定として設けられており,前者が後者の特別規定という関係にはないから,後者の規定を新年金に直接適用することはできない。しかし,新年金制度制定前の停年給制度,定年給制度においては,一定年限の勤続者に対して,定年退職,合意退職を問わず,停年給,定年給を支給する制度であり,これらの制度については支給停止条項があり,昭和33年度以降,これに沿った運用がされてきたものであり,新年金制度が実施されるまでは,労働契約の内容としても,定年退職者に支給される定年給に支給停止条項が存在したことは疑い入れない。新年金制度は,定年給対象者の内,定年退職者についてのみ,新年金として別途規定するに至ったもので,合意退職者については従前の定年給制度がそのまま存続することになったのである。そして,新年金制度は金額,支給期間等に変更はあるものの,制度そのものの性格は,新年金となることによって定年給から変更になったとはいえない。そうであれば,定年給における支給停止条項を新年金において排除しなければならない理由はないし,被告は,新年金制度においても,受給者に不都合な行為があった場合は支給を停止できるとの考えで,本件以外にも,同様の取扱いをしたことがあり,労働者にとっても,定年給と新年金とで異なる扱いを受けることの期待があったともいえない。新年金は,退職に伴い発生する権利であり,この点では退職金に類似するが,退職金については,懲戒解雇事由があるときはこれを支給しないものとされており,新年金について,懲戒解雇事由があるときでもその支給を停止されないとの期待を持つ合理性はない。してみれば,新年金制度の導入によって,定年退職者の定年給について,一定の場合に支給が停止されるとの労働契約の内容が変更になったとはいえないのであって,定年給と性格が同じである新年金についても,一定の場合に支給が停止されることは労働契約の内容になっているものというべきである。以上によれば,被告(筆者注:Y)は,年金受給者にその雇用期間中の功績を無にするほどの不祥事があった場合には,年金の支給を停止できるというべきである。原告(筆者注:X)が,覚せい剤取締法違反の現行犯で逮捕されたこと,これが被告の社会的信用,名誉を傷つけたことは当事者間に争いがない。原告が被告の新聞記者としての立場にあったこと,被告が新聞社という立場から,覚せい剤の害悪を報道し,これに関する犯罪を糾弾してきたことを考慮すれば,原告の行為によって生じた被告の社会的信用の低下は著しいものがあるといえ,これは原告の雇用期間中の功績を抹消するに足りる不祥事であって,年金受給資格の停止事由となるというべきであり,その受給資格取り消しの意思表示についてこれを無効とする理由はない。」と判示して,退職年金の不支給を認めた。
(コメント)
本件新年金の性格について,判決は,労働者の無拠出であるところから恩恵的側面も否定できないが,「年功報償」としての性質を有するとしています。
トヨタ車体事件
名古屋地判平成15.9.30労働判例871-168
(事案の概要)
Yは,車両組立を主たる目的とする会社であり,Xは,昭和34年3月11日,Yに入社して,主にデザイナーとして勤務していた者である。
しかし,Yは,平成12年12月6日,Xに対し,「業務に関し,みだりに金品その他を受け取り,又は与えたとき」(本件規則66条13号)の懲戒事由に該当するとして,同日限り懲戒解雇する旨の意思表示をし,退職金全額を支払わない旨通知した。
(裁判所の判断)
裁判所は,「就業規則に,懲戒解雇のときは退職金を支給せず,あるいは減額する旨の定め(以下、「退職金不支給規定」という。)がある場合,このような不支給規定は,(a)被用者の違法,不当な行為が発生するのを防止し,また,(b)退職金を実質的な引当とすることにより,当該違法,不当な行為によって使用者の被る損害を補填するとともに,(c)企業をめぐる取引,法律関係が非常に多面的なため,かかる損害の発生やその数額の立証に困難の伴う場合が少なくないことから,当該立証上の負担を軽減するなどの目的に基づいて制定されるのが通常と解されるところ,以上のような退職金不支給規定の目的は,それ自体合理的であって,社会通念上も相当なものと認められ,格別不当ということができない。他方,就業規則に退職金に関する具体的な規定が置かれており,その請求が被用者の権利に属するといえる場合には,退職金は,過去の就労に対する賃金の後払いとしての性質を有すると解されるから,この点を考慮すれば,懲戒解雇が肯定されて,被用者の労働契約上の地位を将来に向かって喪失させることが許容される場合においても,それだけで退職金不支給規定自体に,当然かつ全面的に法的規範性を認めるだけの合理性があると解するのは妥当でないのであって,当該退職金不支給規定は,実質的懲戒解雇事由が存在するだけでなく,被用者の退職金全額の支払請求が信義則に違反するといえる場合に,信義則違反の内容程度に応じた範囲内で退職金を不支給又は減額とする趣旨に出たものと制限的に解釈される限りにおいて,法的規範性を肯定するに足りる合理性が具備されるものと解するのが相当である。そして,そのほか,他面で退職金が功労報酬としての性格も有している点も考慮すれば,信義則違反の成否等の判断に当たっては,(a)当該懲戒解雇事由の内容・程度及び,これによって使用者の被る損害の性質・程度が相当重要であり,あるいは損害立証の困難性が認められるために,(b)更に,直接懲戒解雇事由とされなかった他の非違行為の存在その他の懲戒解雇の一般的な情状も考慮すれば,(c)被用者の勤続年数の長さや職務内容の重要性,ないしこれに対する給与額の相対的な低さなどのほか,過去の特別な功績の存在・内容等の被用者に有利な諸事情を勘案しても,これによる退職金全額の支払請求が信義に反するといえるものであるか否かを総合的に検討して決するのが妥当である。」,「したがって,原告の勤続年数や職務内容のほか,デザイナーとしてある程度の功績をあげたなどの原告に有利な事情を考慮しても,その懲戒事由は,けっして軽微なものということができず,そのほか情状の悪さも考慮すれば,原告の行なう退職金全額の請求は,全体としても,十分信義則に違反するものであって許されないというべきであり,これに応じた退職金の不支給である以上,本件での退職金不支給規定である本件規定6条には,前示のような法的規範性を肯定するに足りる合理性が認められるというのが相当であって,原告の退職金請求は失当といわねばならない。」と判示して,退職金の不支給を認めた。
(コメント)
本判決は,就業規則の退職金不支給規定につき,制限的に解釈される限りで法的規範性を肯定するに足りる合理性が具備されるものと解するのが相当であるとして,退職金全額の支払請求と信義則違反の成否等の判断基準(当該懲戒解雇事由の内容・程度,使用者の被る損害の性質・程度,他の非違行為の存在その他の懲戒解雇の一般的な情状,被用者の勤続年数の長さや職務内容の重要性,給与額,過去の特別な功績の存在・内容等の被用者に有利な諸事情を勘案しても,これによる退職金全額の支払請求が信義に反するといえるものであるか否か)や,その主張立証の負担について詳細に述べたところに特徴があります。