Yが保有する顧客リストなどは,X社として他の企業への流出を本来禁止していると考えられますので,入手することについては慎重に行った方がよいでしょう。なお,X社でそのような情報漏洩を行うような社員は,貴社でも行う可能性が高いと言えますので,貴社にてもYによる情報漏洩等について十分な監視監督を行うことをお勧めします。
中途採用者の情報漏洩が不正競争防止法に抵触し,刑事罰に問われる危険がある
1 在職中の秘密保持義務
1.1 秘密保持義務の意義・根拠
秘密保持義務とは,使用者の営業秘密をその承諾なく使用したり開示したりしてはならない義務をいいます。
労働契約は,労働力を使用者の処分に委ねることを内容とし,人的・継続的な関係を基本とする契約ですので,労働者と使用者間の信頼関係が重要視されます。つまり,労働者は,労働契約を締結することにより,労働契約上の付随義務として誠実義務を負っており,その1つとして使用者の秘密を保持する義務があります。そして,多くの会社の就業規則において,労働者に対し秘密保持義務が課され,あるいは名誉・信用の失墜行為が禁止されており,これらの違反は懲戒処分や解雇の理由となり得ます。
就業規則に秘密保持義務が規定され,労働契約の内容となる場合には,使用者は,労働者による秘密保持義務違反に対して,懲戒処分や損害賠償請求などを行うことが可能となります。但し,秘密保偽義務は,第三者への企業情報の開示を禁止するものであり,情報を企業外へ持ち出したこと(例えば,自宅へ持ち帰ったこと)だけで直ちに秘密保持義務違反となるわけではありません。
1.2 秘密の範囲
また,保持されるべき「秘密」とは,非公知性のある情報であって,これが企業外に漏れることで企業の正当な利益(顧客からの信用を含む)を害するものであると解されています。
個人情報保護法によって,使用者が(顧客等の)第三者に対して保護義務を負う個人情報については,当然,労働者も秘密保持義務を負います。
1.3 違法性が阻却される場合
弁護士に相談するために企業情報を許可なく開示することは,弁護士が弁護士法23条による守秘義務を負うことや,権利救済のための必要性から,(違法性が阻却され)秘密保持義務違反とはならないと解されています。
2 退職後の秘密保持義務
労働契約終了すれば,労働契約に付随する義務としての秘密保持義務も同時に終了すると考えられます。従って,退職後も秘密保持義務を負わせるには,何らかの明示の約定(個別契約や就業規則上の規定)が必要です。
また,その約定には必要性や合理性が認められなければならず,過度に広範だったり,必要性に乏しかったりする場合は,約定は無効となり得ます。
なお,不正競争防止法2条7号によれば,何らかの約定によって制限されていなくとも,図利加害目的で営業秘密を使用・開示することは信義則違反になると解されています。これによれば,退職後の労働者も信義則上,秘密保持義務を負う場合があることになります。
3 営業秘密とは?
不正競争防止法により保護される営業秘密と,雇用契約等により(秘密保持義務によって)保護される営業秘密とは,要件・効果において異なります。
3.1 営業秘密
① 不正競争防止法により保護される営業秘密は,「秘密として管理されている生産方法,販売方法,その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって公然と知られていないもの」をいいます(同法2条6項)。
つまり,「営業秘密」であるためには,次の4つの要件を満たさなければなりません。
ア 秘密管理性・・マル秘,社外秘等と記され,他の情報と区別して管理されていること。労働者が業務上取得した一般的な知識・技能は,秘密の認識がないので営業秘密に該当しません。
イ 非公知性・・・公然と知られていない情報であること。
ウ 有用性・・・・機械の設計図,コンピュータプログラム等,事業活動を行う上で客観的な経済価値を有する情報のこと。社内のスキャンダル情報等は営業秘密に該当しません。
② 雇用契約等により(秘密保持義務によって)保護される営業秘密には,社内のスキャンダル情報等も含まれる可能性があります。
3.2 保有者から示された営業秘密
不正競争防止法により保護される営業秘密は,保有者(営業秘密を保有する事業者)から示されたものでなければなりません。従って,労働者が在職中に自ら開発したノウハウ等は,営業秘密に含まれません。
一方,雇用契約等により(秘密保持義務によって)保護される営業秘密には,労働者が在職中に自ら開発したノウハウ等も含まれる可能性があります。
3.3 不正行為となる場合
不正競争防止法上,不正行為となるのは,図利加害目的で営業秘密の使用・開示がなされる場合です。不正か否かの判断は,①在職中か退職後か,②営業秘密の重要性,③使用できないことの不利益,転職後の職務・代償の有無などを総合勘案してなされますが,これらの判断要素は,雇用契約に基づく秘密保持義務違反の成否を判断する場合にも共通して用いられます。
3.4 秘密保持義務違反に対する救済方法
不正競争防止法上は,差止請求,廃棄・除却請求,損害賠償請求及び信用回復請求が認められます。
一方,雇用契約に基づく秘密保持義務違反に対しては,懲戒解雇,損害賠償請求,差止請求が可能です。
不正の競争の目的で,不正な方法(欺岡・暴行・脅迫・窃盗等)により保有者の管理を破って営業秘密を取得・使用・開示する行為や,役員・従業員等が保有者から示された営業秘密を,不正の競争目的で,外部に使用・開示する行為などが刑事罰の対象となります。
また,平成17年度の法改正により,在職中に他社との間で秘密漏洩の約束をし,退職後にその秘密を他社に提供し営業秘密を侵害する行為や,このような不正行為を知って営業秘密を取得した者や,その者が所属する法人も刑事罰の対象となるようになりました。
参考裁判例
在職中の秘密保持義務に関する事例
メリルリンチ・インベストメント・マネージャーズ事件
東京地判平成15.9.17労働判例858-57
(事案の概要)
Yは,機関投資家に対する資産運用及び投資信託の設定・運用などを主たる業務とし,米国を本拠地とする金融グループである「メリルリンチ・グループ」に属するメリルリンチ投信投資顧間株式会社(以下「旧メリルリンチ」という。)が,平成10年7月1日,マーキュリー投資顧問株式会社及びマーキュリー投信株式会社の2社(以下,両社を併せて「旧マーキュリー」という。)を吸収合併してメリルリンチ・マーキュリー投信投資顧問株式会社の商号で発足した株式会社であるところ,Xは,平成5年10月に旧メリルリンチの従業員として採用された。 しかし,Xは,Yの機密書類をYの承認なしに第三者に対して開示したこと等を理由として,平成12年10月24日,Yより懲戒解雇された。
(裁判所の判断)
裁判所は,Xが,Yにおいて,Xに対するいじめ・差別的な処遇があるとして,その担当弁護士に,人事情報や顧客情報などを手渡したこと等を認定した上,「本件各書類は,原告(筆者注:X)が自己の救済のために必要な書類であると考えた書類であって,その交付先が秘密保持義務を有する弁護士であること,原告は,F弁護士から原告の同意なしに第三者に開示しないとの確約書を得ていること,自己に対する職場差別について,被告(筆者注:Y)社内の救済手続を利用したのに,それに対して何らの救済措置が執られるような状況にはないばかりか,被告代表者から秘密保持義務違反を問われ,また退職を勧奨されていたという当時の原告が置かれていた立場からすれば,自己の身を守るため,防御に必要な資料を手元に保管しておきたいと考えるのも無理からぬことであることからすれば,本件就業規則が原告に対し効力を有するとして,原告が本件各書類を被告に返還しなかったことは,本件就業規則の守秘義務規定に違反するとしても,その違反の程度は軽微というべきである。」,「被告が本件各書類をF弁護士に開示,交付した目的,態様,本件各書類の返還に応じなかった当時の事情からすれば,本件懲戒解雇は,懲戒解雇事由を欠くか,または軽微な懲戒解雇事由に基づいてされたものであるから,懲戒解雇権の濫用として無効であり,これを普通解雇とみても,同様に解雇権の濫用として無効であるというべきである。」と判示した。
(コメント)
本判決では,顧客リスト,社内の人事情報に関するやり取りの記載された書類などが,外部に開示されることが予定されていない企業機密であると認定されています。そのうえで,さらに,就業規則に守秘義務規定のある本件において,労働契約上の義務として,業務上知り得た企業の機密をみだりに開示しない義務を負担していると解するのが相当であるとしています。特に,本件では,入社時においてYの企業秘密を漏洩しない旨の誓約書を差し入れ,また,秘密保持をうたった「職務遂行ガイドライン」を遵守することを約しているのであるから,Xが秘密保持義務を負うことは明らかであるとし,Xが投資顧問部の公的資金顧客,企業年金の既存顧客担当の責任者として,その企業秘密に関する情報管理を厳格にすべき職責にあった者であると認定しました。 しかし,判決は,自らの受けた嫌がらせに対する救済のためYの社内手続を利用することとし,Xの主張をまとめた面談書類および,その裏づけ資料である本件書類を担当弁護士に交付したものと認定しています。つまり,Xの権利救済のために必要な書類を担当弁護士に交付したということです。また,判決は,弁護士は弁護士法上守秘義務を負っていることから(弁護士法23条),自己の相談について必要と考える情報については,企業の許可がなくてもこれを弁護士に開示することは許される,と解されるとしました。 これらの理由から,Xの解雇が懲戒解雇権の濫用として無効であり,普通解雇としても解雇権の濫用として無効であると判断したのです。
日産センチュリー証券事件
東京地判平成19.3.9労働判例938-14
(事案の概要)
Yは,有価証券の自己売買,顧客からの売買注文の受託業務,有価証券の引受,売出業務,有価証券の募集,取扱業務など証券業務全般及びその他の附帯業務を行う証券会社であるところ,Xは,昭和60年4月にYに入社し,以後専ら本店で営業社員として稼働してきた。 しかし,Yは,平成17年12月5日,Xに対し,Xが上司の許可なくY所有のコピー機で営業日誌の写しを取り,これを自宅に持ち帰り,他支店への異動後も引き続き保管を続けたことが就業規則87条1号等に違反するとして,退職願の提出期限を平成17年12月8日正午までとして諭旨退職処分(就業規則85条8号により「退職願を提出させて解雇する。但し,提出しないときは懲戒解雇する。」とされているもの)とする旨を通知したが,Xが提出期限までに退職願を提出しなかったため,同月12日,Xに対し,懲戒解雇とする旨を通知した(以下,「本件解雇」という。)。
(裁判所の判断)
裁判所は,「(営業日誌の)個々の顧客を特定しうる可能性のある記載は,訪問場所と顧客名の記載であるが,これだけで特定しうるとはいえないものの,特定を容易ならしめる記載であることは間違いなく,少なくともこれを社外に持ち出すことは全く予定されていない情報ということができるから,被告(筆者注:Y)が就業規則で「洩らし」又は「洩らそうと」することを禁止している「取引先の機密」(87条3号,36条),従業員服務規程で「洩らし」又は「漏洩」することを禁止している「職務上知り得た秘密」(6条,23条1項16号)には当たると認めるのが相当である。」としながら,「被告は,物理的に被告の管理する施設外に持ち出しており,それだけで「洩らし」又は「洩らそうとし」たといえると主張するが,「洩らし」又は「洩らそうとし」たといえるためには,第三者に対して開示する意思で,第三者に対して開示したのと同等の危険にさらすか又はさらそうとしなければならないと解されるところ,原告(筆者注:X)本人尋問の結果によれば,原告は,本店営業部第3課に異動したことにより担当する顧客数が大幅に増えたため,帰宅後,自宅で訪問計画を立てるために利用する目的で,営業日誌の写しを取ったことが認められ,原告には,第三者に対して開示する意思があったものとは認め難いばかりか,写しを取って自宅に持ち帰ることにより,外部に流出する危険が増したとはいえ,第三者に開示したと同等の危険にさらしたとまでは認められないから,未だ「洩らし」たとまでは認めることはできないといわざるを得ない。」,「弁護士にファックス送信した行為であるが,これは,証拠,原告本人尋問の結果によれば,B証言を弾劾するため,内示当日の営業日誌を弁護士に示すためにファックス送信したものであることが認められ,都労委において本件配転の効力を争っている原告にとってその目的が一応正当性を有していること,弁護士は弁護士法上守秘義務を負っており(23条),弁護士を介して外部に流出する可能性は極めて低いことを考慮すると,これをもって漏えいに当たるとすることはできないというべきである。」,「次に,これを都労委の審問期日に提出した行為であるが,本件写しの証拠提出が撤回されたことは上記のとおり争いがなく,証拠によれば,その行為態様は,原告の代理人弁護士が本件写しを甲34号証として提出しようとして,これを都労委の担当者に手渡し,収受印が押されたが,その副本を受領した被告の代理人弁護士から指摘されて結局これを撤回したため,証拠としては提出されない扱いとなり,甲34号証は欠番とされ,原告代理人が回収した同号証は被告代理人に交付されたことが認められる。このように,都労委に対しては最終的に証拠提出されなかったのであるから,漏えい行為自体が存在しないというほかない。なお,被告は,本件写しが提出された審問期日には多くの傍聴人が存在し,本件写しの内容は,特定の第三者ではなく,不特定多数の者に対して知れ渡る可能性があったから,都労委の審問期日において顕出されていると主張する。確かに,手続としては提出されない扱いだったとしても,本件写しが都労委の担当者に手渡されてから回収されるまでの間に,事実上都労委委員,被告の担当者及び傍聴人の目に触れた可能性は否定できない。しかし,まず,都労委委員は労働組合法上守秘義務を負っており(23条),同委員が事実上本件写しの内容を見たとしても,それが外部に流出する危険はないといえるし,傍聴席あるいは当事者席にいた被告の担当者は,本件写しの記載内容の本来の保管者である被告の担当者であるから,そのいずれに対しても漏えいということは考えられない。そして,それ以外の者,すなわち原告を支援する目的で傍聴に来ていた者については,守秘義務は存在せず,これらの者に本件写しの内容が知れたとすれば,それは漏えいに当たると評価せざるを得ない。そして,上記認定事実を総合すれば,少なくとも紙としての本件写しが,原告ないし原告代理人から都労委委員及び被告代理人に手渡され,都労委委員に渡された分が最終的に被告によって回収されたことは傍聴人にも見えていた可能性が高いといわざるを得ない。しかし,その記載内容までが傍聴人の目に触れるような形でやり取りが行われたとまではこれを認めるに足りる証拠はないから,そのような傍聴人に対する漏えい行為があったということもできない。」と判示して,懲戒解雇を無効と判断した。
退職後の秘密保持義務に関する事例
ダイオーズサービシーズ事件
東京地判平成14.8.30労働判例838-32
(事案の概要)
Xは,清掃用品,清掃用具,衛生タオル等のレンタル及び販売等を目的とする株式会社である。Yは,平成2年10月1日にA社に入社したが,同12年1月1日に,A社は事業部門をXに営業譲渡したため,A社の事業部門に属していたYを含む従業員がXに移籍した。Yは,同7年6月当時,A社の求めに応じ,「就業期間中は勿論のこと,事情があって貴社を退職した後にも貴社の業務に関わる重要な機密事項,特に『顧客の名簿及び取引内容に関わる重要な事項』,『製品の製造過程,価格等に関わる事項』について一切他に漏らさないこと,事情があって会社を退職した後,理由のいかんにかかわらず2年間は,在職時に担当したことのある営業地域(都道府県)並びにその隣接地域(都道府県)内の同業他社(支店,営業所を含む)に就職をして,あるいは同地域にて同業の事業を起こして,会社の顧客に対して営業活動を行ったり,代替したりしない。」旨の誓約書(以下,「本件誓約書」という。)に署名押印して提出した。
なお,Xは,同13年6月15日付でYを懲戒解雇したが,Yは解雇後,C社とフランチャイズ契約を締結し,同社の支店で営業活動をしている。そこで,Xは,Yが秘密保持義務又は競業避止義務に違反し,Xの顧客を奪ったとして,Yに対し,債務不履行又は不法行為による損害賠償を請求した。
(裁判所の判断)
裁判所は,「・・このような退職後の秘密保持義務を広く容認するときは,労働者の職業選択又は営業の自由を不当に制限することになるけれども,使用者にとって営業秘密が重要な価値を有し,労働契約終了後も一定の範囲で営業秘密保持義務を存続させることが,労働契約関係を成立,維持させる上で不可欠の前提でもあるから,労働契約関係にある当事者において,労働契約終了後も一定の範囲で秘密保持義務を負担させる旨の合意は,その秘密の性質・範囲,価値,当事者(労働者)の退職前の地位に照らし,合理性が認められるときは,公序良俗に反せず無効とはいえないと解するのが相当である。本件誓約書の秘密保持義務は,「秘密」とされているのが,原告(筆者注:X)の業務に関わる「重要な機密」事項であるが,企業が広範な分野で活動を展開し,これに関する営業秘密も多種多様であること,「特に『顧客の名簿及び取引内容に関わる事項』並びに『製品の製造過程,価格等に関わる事項』」という例示をしており,これに類する程度の重要性を要求しているものと容易に解釈できることからすると,本件誓約書の記載でも「秘密」の範囲が無限定であるとはいえない。また,原告の「『顧客の名簿及び取引内容に関わる事項』並びに『製品の製造過程,価格等に関わる事項』」は,マット・モップ等の個別レンタル契約を経営基盤の一つにおいている原告にとっては,経営の根幹に関わる重要な情報であり,これを自由に開示・使用されれば,容易に競業他社の利益又は原告の不利益を生じさせ,原告の存立にも関わりかねないことになる点では特許権等に劣らない価値を有するものといえる。一方,被告(筆者注:Y)は,原告の役員ではなかったけれども,埼玉ルートセンター所属の「ルートマン」として,埼玉県内のレンタル商品の配達,回収等の営業の最前線にいたのであり,「『顧客の名簿及び取引内容に関わる事項』並びに『製品の製造過程,価格等に関わる事項』」の(埼玉県の顧客に関する)内容を熟知し,その利用方法・重要性を十分認識している者として,秘密保持を義務付けられてもやむを得ない地位にあったといえる。このような事情を総合するときは,本件誓約書の定める秘密保持義務は,合理性を有するものと認められ,公序良俗に反せず無効とはいえないと解するのが相当である。」として,Xの請求を認めた