研修費返還方法

資格を取って即退社する社員に費用の返還請求ができるか?

会社の費用負担で資格を取得させた後、即退社する社員に対し、費用の返還を求められるか?返還を求めるための具体的な書式・ひな形について労働問題専門の弁護士が分かりやすく解説します。

社長
当社は、不動産会社です。当社では社員に対し「宅地建物取引主任者」の資格取得を奨励しています。希望者には指定の学校に通学してもらい費用は当社が全て負担しています。ところが、最近、資格取得を見計らったかのように退社する社員がいます。当社で活かしてもらうための資格取得だからこそ費用負担するなどして支援したのに裏切られた気持ちで腹が立っています。例えば、「資格取得から2年以内に退職した場合は費用全額を返還する」という文書にサインさせれば、費用を返還させられるでしょうか?
弁護士吉村雄二郎
「資格取得から2年以内に退職した場合は費用全額を返還する」という約束は労働基準法16条に違反して無効になります。これに対し、資格取得費用を「貸した」場合は違う結論になります。資格取得にかかる費用を貸付け、資格取得から2年以上勤務を続けた場合には免除するというやり方を取れば労働基準法16条に違反しない場合があります。ただし、貸し付けた形を取れば全て大丈夫という訳ではないので注意が必要です。
資格取得費用や留学費用を即退社した場合に返還させる約束は労働基準法第16条に違反して無効となる可能性が高い。
「貸付け」+「一定期間勤務すれば免除」というやり方で返還させられる場合がある。
貸付けの形を取っていても労働基準法16条に違反する場合もあるので注意

1 退職による資格取得や留学の費用返還と労基法16条

資格取得費用や留学費用を返還させる必要性

会社では、社員をスキルアップさせるために研修を行い、資格の取得や留学での自己啓発を推奨し、その費用を負担することがあります。会社としては、資格取得や留学で得た知見などを会社で活用することを期待して支援をしているのが通常です。会社は社員に投資しているのです。業務とは無関係に支援するということは普通はありません。

ところが、資格取得後や留学後を見計らったように退職し、他社へ転職する社員がいます。これではせっかく会社が投資した費用が回収出来ないことになります。会社の経営者にとっては「利用された」「騙された」「裏切られた」と感じる方も多いはずです。

そこで、会社は,従業員が資格取得後や留学終了後に短期間で退職する場合は,その費用を返還させる旨を就業規則に定めたり、覚書や誓約書をとる場合があります。経営者としては、先行投資した研修費用や留学費用を回収するために必要な期間は勤務させ、それに違反した場合に返還することは当然であると考えるからです。

労働基準法16条というトラップ

ところが、このような返還約束は、労働基準法16条に違反し無効となってしまう可能性が高くあります。

労働基準法16条
使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。

これは労働契約を不履行(典型的には退職)となった場合の違約金や損害賠償額を定められると、労働者が違約金等の支払を怖がって退職できず、いつまでも会社に奴隷のように拘束されることを禁止するといった趣旨の定めになります。

この労働基準法16条が退職した社員の資格取得費用や留学費用の返還に適用されるというのです。

つまり、資格取得費用や留学費用の返還を定めることは、違約金や損害賠償額を定めるのと同じで、その支払を恐れて社員が退職できなくなるというのです。それゆえ、労働基準法16条が適用され、返還の約束は無効になるのです。

会社の経営者からすれば、かなり違和感のある結論だと思いますが、仮に文書で約束しても無効にされてしまう強行規定で、しかも違反した場合には「6ヶ月以下の懲役または30万円以下の罰金」の刑罰まで付けられています。

このような労働基準法16条には打つ手なしで、会社は研修費用や留学費用を泣き寝入りしなければならないのでしょうか?

2 資格取得費用や留学費用は貸付にする

貸付けによる方法

資格取得費用や留学費用を会社が「支出」するのではなく、社員に費用相当額を「貸与」している場合には違う結論になります。

資格取得費用や留学費用相当額は、金銭消費貸借契約に基づく貸付であって、返済を要するけれどもただ、一定期間労働した場合にはその返済を免除するとされているのであれば、労基法16条には抵触しません。

金銭消費貸借であれば、もともと返済が予定されているものですから、約定に従って、その返済を請求できるのは当然のことです。退職という労働義務の不履行を条件に返済させる訳ではないから労働基準法16条にもひっかかりません。

また、また一定の条件を満たしたときに返済を免除するのは、むしろ労働者に有利な取り扱いであり、問題ありません。

貸付ける場合の留意点

金銭消費貸借の諸条件を明確に定める

まず「貸与」であることが明らかになっている必要があります。趣旨が曖昧なまま費用を援助して、後日トラブルになってから貸与だと主張しても通りません。

予め金銭消費貸借であること、貸付金の返済方法、返済期日、免除の事由などを明らかにしておくべきです。たとえば返済期日については資格の取得後2年経過してからとしたうえで、退職の際の期限の利益喪失と、2年間勤務した場合には返済を免除する旨を定めます。

金銭消費貸借の実態を有していること

実際には会社が負担するべき業務に必要な「支出」であり、「貸付」が名ばかりになっている場合、仮に金銭消費貸借契約書などを取り交わしていたとしても、「貸付」が否定され、労働基準法16条違反に問われる場合があります。

ポイントは資格取得や留学が「会社の業務」といえるかどうかで、実質的に会社の業務の一環として資格取得や留学をした場合は、本来会社が支出するコストなのだから、それを「貸付」とするのはおかしい、という判断がなされます。判断ポイントはつぎの3点です。

①資格取得や留学を受けることが労働者の自由な意思に委ねられているか
② 取得する資格、技能等が使用者が命じる業務遂行にとって必要(有用)であるか
③ 資格取得や留学の成果は労働者個人にとって有用か(会社を退職した後も使えるか)

①については、労働者が自分で希望した場合は業務ではなく、自分の為に行ったことになります。これに対し、労働者が希望せず明示または黙示に資格取得や留学をせざるを得ない場合は会社の業務の為に行ったことになります。

②については、取得する資格や留学で得られる知見が会社の業務に役立つ場合は、会社の業務のために行ったことになります。

弁護士吉村雄二郎
①と②については、会社の業務時間中に業務命令で資格を取得させたり留学させた場合は、資格取得や留学は「業務」ということになります。その場合は「貸付」の外形をとっても業務費用としての「支出」と認定されることになります。

③については、資格取得や留学が労働者個人にとってプラス(例えば、会社を辞めても別の会社で活かせる資格や知見)になるのであれば、自分の為に行ったことになります。これに対し、その会社でなければ意味がないような資格取得や留学の場合は業務のために行ったことになります。

弁護士吉村雄二郎
裁判例で留学費用の返還請求を否定したケースでは,海外留学等は,海外の関連企業での業務への従事により語学力等を高めるためのOJT研修とみられるものだったり,留学先が決まると業務命令により留学派遣が命じられていたりしています。一方,留学の応募が自由で,留学先や専攻テーマが従業員の選択に委ねられていたり,留学にあたり,本人と会社が個別に返還約束の誓約書を交わしていたり,帰国後は,海外で取得したMBAとは関係がない仕事に就いていたりするようなケースでは,留学費用の返還請求が認められる傾向にあるようです。

返還請求額や支払方法の相当性

例えば、資格取得や留学後、3年間勤務すれば返済を免除するという約束がなされていた場合に、2年で退職した場合にも、資格取得や留学の費用の全額の返還をさせるのかそれとも資格取得や留学後に勤務した年数に応じて減額するのかという問題です。

金銭消費貸借が貸付として認められるのであれば、約束どおり全額の返還を求めることができます。ただし、実質的には勤務した期間を考慮して一部は減額することが(例えば、上記例では3分の2を控除するなど)、労働者に配慮していると評価され、約束を有効にする可能性が高まります。

弁護士吉村雄二郎
このような減額による配慮は返還額が100万円を超える場合などに妥当します。返還する金額が数十万程度の場合は必ずしも減額しなくてもよいと思われます。

賃金や退職金から控除する場合は24条協定及び相殺の合意が必要

退職により期限の利益を喪失する場合は、貸付金の一括返済を求めることになります。このときに退職に際して退職金とこの貸付金を相殺するためには、労基法24条の協定(賃金からの控除の協定)があること、金銭消費貸借契約のなかで、返済方法のひとつとして退職金からの控除が合意されていることが必要です。

金銭消費貸借契約書

消費貸借の合意(第1条)

金銭消費貸借の合意を定めます。

ポイント

  1. 金銭の授受と返還約束を定めること
  2. 使途を定めること(「●●資格取得費用」など)…振り込んだ金銭を他に流用することを禁止するため
  3. 貸付金の受け渡し方法は、現金を社員へ手渡しや社員の口座へ振り込む方法もありますが、直接会社から資格や留学費用の支払先に振り込む方法とすることもできます。…振り込んだ金銭を他に流用することを禁止するため
  4. 契約後、金銭を受け渡す前に社員が自己破産をした場合は、契約はなかったことにする条項をいれるべきです…回収できなくなるため

弁済期(第2条)

貸付金を返済する期限を定めます。

ポイント

  1. しっかりと弁済期を定め、その期日までに原則として返済するべきことを定めます。
  2. 弁済期は、最低限勤務をして欲しい期間で設定することが多いです。一般的には2~3年が多いです。3年を超えると長いイメージです。海外留学費用の場合は(金額が大きいので)5年程度でも認められています(後記裁判例参照)。
  3. 採用前に貸し付ける場合は、「社員として採用されてから●年後」というような形で定めます。採用されなかった場合や資格を所得しなかった場合は直ちに返還する旨も定めます。

期限の利益喪失(第3条)

一定の期間内に退職した場合や破産や民事再生などを行った場合は直ちに返還するべきことを定めます

上記で説明したとおり、資格取得後、所定の期間の途中で退職した場合に、勤務期間に応じて返還額を減額する定めを置くことで有効性を高めることができます

遅延損害金(第4条)

返済が遅れた場合の遅延損害金を定めます。定めないと民法所定の年3%となるため、10%くらいに設定します。

相殺合意(第5条)

回収可能性をたかめるため、賃金や退職金と相殺できるように相殺合意を定めます。

免除(第6条)

一定期間勤務を継続した場合に、返還を免除する場合は、債権免除する旨の規定をおきます。

 

★金銭消費貸借契約書(資格取得費用)

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誓約書

金銭消費貸借契約書とともに、誓約書を取得します。

ポイント

  1. 社員の希望による資格取得及び金銭の借入であることをあきらかにする(業務命令によるものではないこと)
  2. 資格は、会社の業務のためだけではなく、自分の為に利用できるものであり、本来は自分で負担するべき費用であることを明らかにします
  3. 資格取得は業務時間外に行うことを明確にします。
  4. 返済条件等は金銭消費貸借契約書によることを明記します。

 

★誓約書(資格取得費用借用)

 

弁護士吉村雄二郎
資格取得費用や留学費用の返還については、ケースバイケースで微妙な判断も伴います。実際の運用に際しては必ず専門家にご相談ください。

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参考裁判例

社員留学制度で留学した従業員に対する,会社からの留学費用返還請求が認められた事例

長谷工コーポレーション事件

東京地判平成9.5.26労働判例717-14

(事案の概要)
Xは,建築工事請負等を業とする会社であるところ,Yは,昭和61年4月,Xに採用され,平成2年3月当時,建設事業部東関東支店営業不動産部に所属していた。
Xには社員留学制度があり,右制度においては,毎年1月社員から留学希望者を掲示等で募集し,応募した社員を選考のうえ合格者を留学させるものとし,Xは留学に伴う渡航費,留学費,留学中の手当等を支出している(以下,「本件留学制度」という。)。
Yは,本件留学制度により,平成3年6月より同5年5月までの間,米国チュレーン大学大学院に留学した。
また,右留学に先立つ平成3年6月,Yは次の内容の誓約書に署名押印し,Xに差し入れた(以下,「誓約書」という)。
「(一),(二) 省略
(三) 帰国後,一定期間を経ず特別な理由なくXを退職することとなった場合,会社が海外大学院留学に際し支払った一切の費用を返却すること」
そして,Yは,平成7年10月31日付をもってXを退社した。

(裁判所の判断)
裁判所は,「Yは,Xに対し,労働契約とは別に留学費用返還債務を負っており,ただ,一定期間Xに勤務すれば右債務を免除されるが特別な理由なく早期退職する場合には留学費用を返還しなければならないという特約が付いているにすぎないから,留学費用返還債務は労働契約の不履行によって生じるものではなく,労基法16条が禁止する違約金の定め,損害賠償額の予定には該当せず,同条に違反しないというべきである。」とした。

(コメント)
本判決は,応募が社員の自由意思によるもので業務命令に基づくものではないこと,留学経験や留学先での学位取得は担当業務に直接役立つものではない一方,留学社員にとっては有益な経験,資格となること等から,本件留学制度は業務ではなく,その費用をどちらが負担するかについては,労働契約とは別に当事者間の契約によって定めることができるとして,本件では,誓約書を提出して口座振り込みで,学費,渡航関係費,特別手当の交付を受けたことが認められるとして,少なくとも学費については,一定期間当該会社に勤務した場合に返還義務を免除する旨の特約付きの金銭消費貸借契約が成立していると解するのが相当であると判断しています。

野村証券事件

東京地判平成14.4.16労働判例827-40

(事案の概要)
Yは,平成元年4月1日,Xに入社し,奈良支店に配属され営業課及び企業営業課に勤務していたが,平成3年5月,Xの海外留学候補生として選抜され,その後,フランスに赴き,パリ郊外所在のビジネス・スクールに入学しMBA資格を取得した後,平成6年7月12日帰国した(以下,「本件留学」という。)。
その後,Yは,平成8年4月22日付けでXに対し同年5月15日をもって退職する旨の退職届を提出し,同日退職した。
なお,Xの海外留学生派遣要綱は,次のとおり定めている。

1条~17条 省略
18条(留学費用の返納)
留学生または留学を終えたものが,次の各号の一に該当するに至ったときは,本人,または身元保証人は第8条に定める留学費用の全部を即時弁済しなければならない。
(1)留学期間中に,あるいは留学を終え帰任後5年以内に自己の都合によって退職したとき
(以下略)
また,Yは,平成4年2月12日付けで,要綱9条所定の次の内容の海外留学誓約書に署名押印した。
「此度私は,社費留学生としてELFE大学へ留学するにあたっては,下記条項を遵守することを誓約いたします。

1,2 省略
3 派遣要綱第18条(1),(2),(3)号に該当するに至ったときは,即時留学費用の全部を返却いたします。
(以下省略)」

(裁判所の判断)
裁判所は,「会社が負担した海外留学費用を労働者の退社時に返還を求めるとすることが労働基準法16条違反となるか否かは,それが労働契約の不履行に関する違約金ないし損害賠償額の予定であるのか,それとも費用の負担が会社から労働者に対する貸付であり,本来労働契約とは独立して返済すべきもので,一定期間労働した場合に返還義務を免除する特約を付したものかの問題である。そして,本件合意では,一定期間内に自己都合退職した場合に留学費用の支払義務が発生するという記載方法を取っているものの,弁済又は返却という文言を使用しているのであるから,後者の趣旨であると解するのが相当である。」,「具体的事案が上記のいずれであるのかは,単に契約条項の定め方だけではなく,労働基準法16条の趣旨を踏まえて当該海外留学の実態等を考慮し,当該海外留学が業務性を有しその費用を会社が負担すべきものか,当該合意が労働者の自由意思を不当に拘束し労働関係の継続を強要するものかを判断すべきである。」,「勤続年数が短いにもかかわらず将来を嘱望される人材に業務とは直接の関連性がなく労働者個人の一般的な能力を高め個人の利益となる性質を有する長期の海外留学をさせるという場合には,多額の経費を支出することになるにもかかわらず労働者が海外留学の経験やそれによって取得した資格,構築した人脈などをもとにして転職する可能性があることを考慮せざるを得ず,したがって,例外的な事象として早期に自己都合退社した場合には損害の賠償を求めるという趣旨ではなく,退職の可能性があることを当然の前提として,仮に勤務が一定年数継続されれば費用の返還を免除するが,そうでない場合には返還を求めるとする必要があり,仮にこのような方法が許されないとすれば企業としては多額の経費を支出することになる海外留学には消極的にならざるを得ない。また,上記のような海外留学は人材育成策という点で広い意味では業務に関連するとしても,労働者個人の利益となる部分が大きいのであるから,その費用も必ずしも企業が負担しなければならないものではなく,むしろ労働者が負担すべきものと考えられる。他方,労働者としても一定の場合に費用の返還を求められることを認識した上で海外留学するか否かを任意に決定するのであれば,その際に一定期間勤務を継続することと費用を返還した上で転職することとの利害得失を総合的に考慮して判断することができるから,そのような意味では費用返還の合意が労働者の自由意思を不当に拘束するものとはいいがたい。仮に,合意成立時に予想しないような特別の事情が発生して退職を余儀なくされたり,予想の範囲を超える多額の費用を要したのであれば,自己都合の解釈や権利濫用の法理によって妥当な解決を図ることができる。よって,上記場合には,費用返還の合意は会社から労働者に対する貸付たる実質を有し,労働者の自由意思を不当に拘束し労働関係の継続を強要するものではなく,労働基準法16条に違反しないといえる。」とした。

明治生命保険(留学費用返還請求)事件

東京地判平成16.1.26労働判例872-46

(事案の概要)
Xは,生命保険業等を営む相互会社であり,Yは,平成7年4月1日,総合職としてXに入社し,京都支社宇治営業所,京都支社の勤務を経て,平成9年4月1日本社国際部国際金融グループに配属された。
Yは,国際部国際金融グループに所属していた平成10年6月,Xの留学制度に応募し,同年7月,平成11年度海外大学院経営学修士課程留学候補者として選抜された。Yは,平成11年6月シカゴ大学ビジネススクール外8校に出願し,同月同校に合格し,渡米して,ハーバード大学のサマースクール,シカゴ大学ビジネススクールのプレMBAを受講した後,同校の経営学修士課程(「MBA課程」ということもある。)を受講し,経営学修士号(MBA)を取得し,平成13年7月11日に米国から帰国した。
なお,Yは,平成11年6月23日,下記内容のX宛て書面(以下,「本件誓約書」という。)に署名押印し,Xに提出した。

この度,社命により留学することとなりました。留学終了後,5年以内に,万一自己都合により退職する場合は,留学費用(ただし,人件費相当分を除く)を全額返還いたします。 そして,Yは,平成14年8月16日,自己都合によりXを退職した。

(裁判所の判断)
裁判所は,「被告(筆者注:Y)は,「留学終了後,5年以内に,万一自己都合により退職する場合は,留学費用(ただし,人件費相当分を除く)を全額返還いたします。」と記載された本件誓約書を作成して原告(筆者注:X)に提出したことが認められるところ,前記文言を社会通念に従って判断すると,被告は原告に対し留学費用について返還約束をしたものと認められるから,留学費用について金銭消費貸借の合意がされたものと認めるのが相当である。」,「・・・返還約束の対象となる「留学費用(ただし,人件費相当分を除く)」とは,賃金(人件費)に当たらないことが明確とはいえない駐在員規定ないし駐在員運用事項を準用して支出された金員(準用に際し取扱内規により金額が増減されたものを含む。)以外の留学に必要な費用をいうと理解するのが合理的である。具体的には,別紙2「留学費用明細書」のうち,語学研修費用,出国・帰国時諸費用,引越費用及び自動車保険料に分類された金員は駐在員規定ないし駐在員運用事項を準用して支出されたものと認められるから,それ以外の,大学授業料及び大学出願料をいうと理解するのが合理的である。」,「本件誓約書は,大学授業料及び大学出願料を貸付けの対象とするものであり,これらの金員について,原被告間で,弁済期を定めないこととして原告が被告に貸し付け,留学課程終了後5年間被告が就労した場合には返還義務を免除する旨の消費貸借合意が成立したものと認められる。」,「会社が負担した海外留学費用を一定期間内に労働者が退社することで返還を求める旨の合意が労働基準法16条ないし14条違反となるか否かは,それが損害賠償額の予定又は違約金と見なされ,退職の自由を不当に制限するものか否かによる。そして,業務遂行に必要な費用は,本来的に使用者が負担すべきものであって,一定期間内に労働者が退職した場合にこれを労働者に負担させる旨の合意は,それが消費貸借合意であったとしても,実質的に違約金ないし損害賠償額の予定と認められるから,会社が費用を負担した海外留学が業務性を有し使用者がその費用を負担すべき場合には,留学費用についての消費貸借合意は,労働基準法16条ないし14条に違反するものとして無効となるというべきである。」,「本件についてみるに,本件留学制度に応募するか否かは,労働者の自由意思に委ねられており,上司の推薦によるものでも,業務命令によるものではなく,大学に合格し留学が決まれば業務命令として留学を命じられるが,選抜された段階で本人が辞退すれば本人の意思に反して派遣されることはないこと,派遣先,留学先は,一定範囲の大学に制限されるが,その中から労働者が自由に選択でき,被告も自由に選択したこと,研究テーマ,研修テーマ,留学先での科目選択は,労働者の自由であり,被告も自由に選択したこと,留学中,毎月研修予定研修状況等について簡単な報告書を提出することが義務づけられているが,それ以外に原告の業務に直接関連のある課題や報告を課せられることはなく,長期休暇の利用にも制約はなかったことが認められる。そして,MBA課程の履修内容は,原告の業務に関連性があり,原告において被告が留学前後に担当した職務に直接具体的に役立つものがほとんどであるが,原告の業務に直接には役立つとはいえない経済学や基礎数学等の基礎的,概念的学科も含まれる上,国際標準による会計学,財務分析等について,豊富な分量の文献を履修者に読ませて講義を行うとともに,多様なケーススタディによる教育を行うもので,原告の業務には直接的には相当過剰な程度に汎用的な経営能力の開発を目指すものである。また,MBA資格そのものは,被告の原告における担当職務に必要なものではない。他方,被告にとっては有益な経験,資格であり,原告以外でも通用する経験利益を得られる。そうすると,被告の留学は業務性を有するとはいえないから,本来的に使用者がその費用を負担すべきものとはいえず,被告の留学費用を目的とした消費貸借合意は,実質的に違約金ないし損害賠償の予定であるということはできず,労働基準法16条ないし14条に反するとはいえない。」とした。

社員留学制度で留学した従業員に対する,会社からの留学費用返還請求が否定された事例

富士重工業(研修費用返還請求)事件

東京地判平成10.3.17労働判例734-15

(事案の概要)
Yは,昭和58年4月より平成2年7月27日まで,Xに雇用されていた。
Xには,社員をアメリカ合衆国などの外国に派遣する海外企業研修員派遣制度があり,海外企業研修員派遣規則(以下,「本件規則」という。)によって,派遣が実施されていた。本件規則第12条には,「研修員が研修期間中,または研修終了後5年以内に退職する場合,海外企業研修員取扱規則第3条,及び本派遣規則第9条に基づいて会社が負担した費用の全額または一部を返済させることがある。」と規定されている。
Yは,本件規則に基づき,昭和63年4月より,海外企業研修員としてアメリカ合衆国に派遣され(以下,「本件派遣」という。),本来の研修期間は平成2年4月までであったが,Xの指示で同年1月に帰国した。
Yが同年7月ころ,Xに対し退職を申し出たところ,XはYに対して,本件規則第12条に基づき本件派遣の費用の返済として452万7281円の支払いを要求した。
なお,YらはXに対し,平成3年4月4日,次の内容の覚書にそれぞれ署名捺印して提出した(以下,「本件合意」という。)。
「Xに対し,Yは下記のとおりYの海外企業研修員派遣費用を返済する義務を負う。また,Yの連帯保証人AはYと連帯してXへの返済の責めを負う。

返済金額     348万9779円
(1)平成3年7月末日まで  10万円
(2)平成4年1月末日まで  30万円
(以下省略)」

(裁判所の判断)
裁判所は,「本件派遣前に,原告(筆者注:X)と被告一郎(筆者注:Y)との間で,被告一郎が研修終了後5年以内に退職したときは,原告に対し派遣費用を返済するとの合意が成立していたことが認められる。しかし,被告一郎は,自分の意思で海外研修員に応募したとはいえ,前記認定事実によれば,本件研修は,原告の関連企業において業務に従事することにより,原告の業務遂行に役立つ語学力や海外での業務遂行能力を向上させるというものであって,その実態は社員教育の一態様であるともいえるうえ,被告太郎の派遣先はSOA本社とされ,研修期間中に原告の業務にも従事していたのであるから,その派遣費用は業務遂行のための費用として,本来原告が負担すべきものであり,被告一郎に負担の義務はないというべきである。そうすると,右合意の実質は,労働者が約定期間前に退職した場合の違約金の定めに当たり,労基法16条に違反し無効であるというべきである。原告は,本件規則第12条の文言は「返済させることがある」であり,返済を強制する根拠条文にはならず,被告らの原告に対する本件派遣費用返済義務は,本件合意締結までは,何ら法的,確定的な義務ではなかった旨主張する。しかし,右第12条が,原告が派這費用の返済を請求した場合には,研修員に返済義務があるという意味であることはその文言自体からも明らかであるし,前記認定事実によれば,原告も,研修員が研修終了後5年以内に退職したときは派遣費用を返済する義務があることを前提に,派遣前の研修員に右義務の説明をしたり,退職した研修員に返済を請求していたことが認められ,原告の右主張は採用できない。そして,前記認定事実によれば,本件合意は,被告一郎に本件派遣費用返済義務があることを前提として,その返済金額及び支払方法について合意されたものであるところ,右のとおり,被告一郎には右義務が存在しなかったのであるから,被告一郎には,本件合意の前提事実について錯誤がある。したがって,原告と被告一郎との間の本件合意及びこれを連帯保証した被告太郎と原告との間の本件合意は無効である。・・また,前記のとおり,本件規則第12条の文言が,研修員に返済義務がないことを明示しているとはいえないから,これを前提として,被告らには錯誤につき重過失があるとの原告の主張も採用できない。したがって,原告の本訴請求は理由がない。」とした。

(コメント)
本判決では,本件研修の実態が社員教育の一態様であり,その期間中も被告は原告の業務に従事していたことから,その派遣費用は業務遂行のための費用として本来原告が負担すべきものであり,被告に負担の義務はないとしました。
そして,本件合意は被告に派遣費用返済義務があることを前提にして,その返済金額支払い方法について合意されたものであるところ,被告にはその義務が存在しなかったのであるから,被告には合意の前提事実に錯誤があり,本件合意は無効であって,原告の本訴請求には理由がないとして棄却しています。

新日本証券事件

東京地判平成10.9.25労働判例746-7

(事案の概要)
Xは,証券会社であり,Yは,昭和63年4月1日,Xに雇用された。
Yは,平成4年1月2日から同5年5月28日までの間,Xの留学規程に基づき,アメリカ合衆国ボストン大学経営学部大学院に留学し,経営学修士号(MBA)を取得した。
なお,Xの留学規程(以下,「本件留学規程」という。)には,次の規定がある。

2条2項
海外留学生とは,海外に留学派遣を命じられた職員をいう。
6条
留学生は,留学先において,当社業務に関連のある学科を専攻するものとする。
18条
この規程を受けて留学した者が,次の各号の一に該当した場合は,原則として留学に要した費用を全額返還させる。
(1) (略)
(2) 留学終了後5年以内に自己都合により退職し,又は懲戒解雇されたとき

そして,Yは,平成9年3月20日自己都合によりXを退職した。

(裁判所の判断)
裁判所は,「原告(筆者注:X)は,海外留学を職場外研修の一つに位置付けており,留学の応募自体は従業員の自発的な意思にゆだねているものの,いったん留学が決定されれば,海外に留学派遣を命じ,専攻学科も原告の業務に関連のある学科を専攻するよう定め,留学期間中の待遇についても勤務している場合に準じて定めているのであるから,原告は,従業員に対し,業務命令として海外に留学派遣を命じるものであって,海外留学後の原告への勤務を確保するため,留学終了後5年以内に自己都合により退職したときは原則として留学に要した費用を全額返還させる旨の規定を本件留学規程において定めたものと解するのが相当である。留学した従業員は,留学により一定の資格,知識を取得し,これによって利益を受けることになるが,そのことによって本件留学規程に基づく留学の業務性を否定できるわけではなく,右判断を左右するに足りない。」,「これを被告(筆者注:Y)の留学についてみれば,・・被告は,留学先のボストン大学のビジネススクールにおいて,デリバティブ(金融派生商品)の専門知識の修得を最優先課題とし,金融・経済学,財務諸表分析(会計学)等の金融・証券業務に必須の金融,経済科目を履修したこと,被告は,留学期間中,本件留学規程に基づいて現地滞在費等の支給を受けたこと,被告は,帰国後,原告の株式先物・オプション部に配属され,サスケハンナ社と原告の合弁事業にチームを組んで参加し,原告の命により,サスケハンナ社の金融,特にデリバティブに関するノウハウ,知識を習得するよう努め,合弁事業解消後も前記チームでデリバティブ取引による自己売買業務に従事したことが認められ,被告は,業務命令として海外に留学派遣を命じられ,原告の業務に関連のある学科を専攻し,勤務している場合に準じた待遇を受けていたものというべきである。原告は,被告に右の留学費用の返還条項を内容とする念書その他の合意書を作成させることなく,本件留学規程が就業規則であるとして就業規則の効力に基づき,留学費用の返還を請求しているが,このことも被告の留学の業務性を裏付けるものといえる。右に基づいて考えると,本件留学規程のうち,留学終了後5年以内に自己都合により退職したときは原則として留学に要した費用を全額返還させる旨の規定は,海外留学後の原告への勤務を確保することを目的とし,留学終了後5年以内に自己都合により退職する者に対する制裁の実質を有するから,労働基準法16条に違反し,無効であると解するのが相当である。」とした。

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